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r-fukai's Diary ausf blogger

木曜日, 3月 03, 2005

談話室滝沢は究極のメイド喫茶か?

http://www.geocities.co.jp/Playtown/2080/
http://www.tobunken.com/diary/diary.html
原えりすんの電気オタク研究所(05/03/02分)と唐沢俊一の裏モノ日記(05/02/27分)より。
(どちらも、そのうち過去ログに移動するはず)
談話室滝沢の特異な経営方針から、正社員となるウエイトレスには華道や茶道の習い事が義務付けられていたが、最近の若い女性はそのような私生活への束縛を嫌い、人材を確保できないために閉店となる由。
その方針をして、原えりすんは「究極のメイド喫茶は談話室滝沢だった」としたのであるが、はて? メイドというのは労働者階層の職業だったはず。
使用人としての最低限の礼儀作法は監督するメイド頭などに叩き込まれたとしても、華道や茶道といった習い事まで習得することはなかったのではないか。むしろ、そのような習い事は上流階級のためのものだとして遠ざけられる傾向にあったのではないか。いやいや、よく考えてみれば、労働者階級の賃金では生活資金とは別にそのような習い事に費やせるだけの余裕などなかったに違いない。
しかしながら、それは西洋の事情であって、本邦において最初にメイドという職業が誕生した時は、彼女たちは国家的重要人物であるところの日本に滞在する外国人の身の回りの世話をするという使命を帯びており、当然のことながら外国語を習得している必要があった。つまり、日本におけるメイドというのは、高い知識と教養を必要とした職業だったのである。その経緯に関しては、以下のページに詳しい。
http://maidken.hp.infoseek.co.jp/inushima/history.htm
というわけで、日本においては原えりすんの言説は正しいのかもしれない。あくまで日本においては(でもメイドが萌え職業として認知されているのも日本だけだったりする)。
談話室滝沢閉店の経緯に話を戻すが、正社員を地方出身の女性に限るとしていた理由として、寮生活をさせるためだけではなく、地方と東京の経済的格差から来る精神の質の違い(別にどちらが上でどちらが下ということはない。「性質の違い」としてしまうと煩く感じるので敢えて「質」とした)もあるのならば、労働ビザで入国した東南アジア女性に同様の教育を施して正社員として迎え入れるのでは駄目なのだろうか。
おそらく、教育のためのコストは日本人よりも掛かると思われるが、これまでの正社員の条件と変わらない待遇を受けられるのであれば、喜んで正社員になる人間はひきも切らないのではないだろうか。
おそらく、談話室滝沢の社長はウエイトレスが日本人であることにもそれなりのこだわりを持っているかもしれず、検討はされた上で却下になったのかも知れないが。