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r-fukai's Diary ausf blogger

水曜日, 6月 08, 2005

森「ゲーム脳」昭雄の論文を読んでみた人

http://blog.drecom.jp/scheisse/archive/91
おぉ、すげぇ。
わざわざ英語の論文を取り寄せて読んでみる人がいようとは。
んで、論文を読んで突っ込みを入れているわけなのだが、疑問に思う点がいくつか。
論文中で、結論まずありきでカテゴリー名をつけてしまっていることに突っ込みを入れている。それは確かに良くないのだけれども、でもこれをType A,Type B,Type C,Type Dと仮に名づけることにして、結論としてそれぞれのタイプに名前をつけることにしたとしても、論文の趣旨はそれほど変わらない(論文を読みなれていない素人に与える印象は変わるだろうけれど)のでちょっと弱いのではないか。
最初はカテゴライズだけしておいて、論文の最後で実際に名前をつける方がきちんとした論文らしさが増えるのは確かだけれども、この程度の論理の前後は、論文全体の価値をなくしてしまうレベルのものではないと思われる。でもこういうのが許されるのはせいぜい学生までなんじゃなかろうか、とは思う。
また、実際に聞き取り調査を行なった、という一文がないために「聞き取り調査を行なっていない」と結論付けているけれども、大まかな調査内容と結果だけを示して、その結果がどのように導かれたのかが書かれていない論文なんてのは実は山のようにあって(執筆言語が英語か日本語かに関わらず)、データ操作の途中経過を書いていない(流石に「全く書いていない」ものには信用が置けないわけだけれども)ものも結構ある。
私が参照する論文は、その大半が助教授よりも地位が下の人が書いているものなので、教授レベルの地位にある人間の論文の水準がどの程度になるのかは良く知らないけれど、聞いた話では世の中に認められる論文を書く必要性が最も高いのは助手から助教授である期間であって、教授になってしまえば最低限の数だけ発表していれば問題ない、なんてことも言われているようだ。
示されている結果の数値があまりにおかしいことも「聞き取り調査を行なっていない」と結論付ける根拠になっているのだけれども、本来ならば論文を読んだ上で疑問点(今回の場合は、Table-1の数値は一体どのようにして導き出されたものなのか)を森「ゲーム脳」昭雄に問い合わせた上で結論を出すべきなんじゃなかろうか。
勿論、データの収集や操作の経過について論文中で言及されていないのは、論文のかなり重大な瑕疵ではあることは間違いないので、その時点でわざわざ問い合わせてみる必要性を感じなくなったという心情はとてもよく理解できる。
しかしながら、書かれていないことは論文の瑕疵なのか研究の瑕疵(行なわれなかったので書かれていない)のかは判らないのだ。論文そのもののレベルがあまりに低いので、この可能性も否定しきれないのではないかなどと考えてしまう。単純にこの論文のことを信用しないのならば、論文の形式が整っていないことで判断を停止してしまっても構わないと思うが、積極的に否定するのならば、それなりの手続きが必要なのではないか。
この文章を読んで私が思ったのは、この研究が森「ゲーム脳」昭雄の指導で行なわれていることは確かかもしれないけれど、論文を実際に執筆したのは連名で記載されているという学生なんではないかということだ。なんつーか、あまりに初心者的な瑕疵が多い論文だ。私はもっぱら情報工学分野の論文しか読まないが、まさか他の分野の論文のレベルがこの程度だとは思いたくない。