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r-fukai's Diary ausf blogger

金曜日, 3月 04, 2005

メガドラ版テトリスは無駄だったか?

http://www5a.biglobe.ne.jp/~ninten/tetlis.HTM
事件の経緯はともかくとして、引っかかるのは以下の記述。
(引用開始)
たとえメガドラ版が発売されていたとしても、それがメガドライブの
起爆剤となっていたかは疑わしい。すでにファミコン版があるのに、わざわざ
メガドラ版を買う人がどれだけいるだろうか。
(引用終了)
BPSや任天堂が出したテトリスは、SEGAがゲームセンター向けのアーケード版とは挙動が違い、メガドライブ版は同じSEGAが出すのだからアーケード版の移植になっている。
具体的に書くと、SEGA版はブロックが一度下まで落ちて他のブロックにくっついても、ごく短い時間だけはレバー操作で左右に動かすことができた。BPSや任天堂版は一度下まで落ちて他のブロックくっついてしまえばそれまでである。
この違いは、主にゲームの展開として状況が厳しくなってから効いてくるもので、アーケード版にはまってハイスコアを叩き出すような人たちには、かなりの違いとして受け止められた筈である。
日本のテトリスブームに火を点けたのはアーケード版であることを考えれば、ファミコン版はそのパチモンであると受け取られてもおかしくないほど挙動が違うので、宣伝の仕方によっては本体を買ってもメガドライブ版をやりたがる人は一定数存在したはずである。
「そんなマニアはニッチ市場にしかなり得ない」という言説は今だから言えることであって、メガドライブとファミコンがしのぎを削っていた頃はそういうマニアックな違いも充分認識してプレイするほどゲームに夢中な人間が多かったのだ。
よって、メガドライブ版テトリスがきちんと発売されていればあるいは、という妄想は、単に妄想とだけ片付けられることではない。ましてやファミコン版を持っているからメガドライブ版には見向きもしないなどということも、最初に触れたテトリスがBPS版であるならともかく、そうでないなら、ほとんどあり得ない話である。この頃のゲーム機には、「どれだけゲーセンのゲームに近いものが遊べるか」という評価軸が確かに存在したのである。