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r-fukai's Diary ausf blogger

金曜日, 3月 18, 2005

電波男

「電波男」本田透(三才ブックス)読了。
http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/
少し前からサイトを読んでいて、サイトでもこの本でも不思議に思ったのは、「何故、この人はこんなに恋愛に固執するのだろう?」ということだ。
「恋愛に固執する」という点を除けば、この人の主張していることは大体において私が普段から感じていることに近い。そりゃ私もオタクだからね。
ぶっちゃけ、私にとって恋愛とは戦争のようなものである。
この地球上で実際に起きているけれども、私の日常からは果てしなく遠い。そして時折フィクションの題材として楽しんだりもする。
おそらく当事者になると、洒落にならない事態に陥るであろうことが予想される点でも両者は似ている。そして今のところ、私はどちらの当事者にもなりたくはない。
ウザい自分語りはこの辺にしておく。閑話休題。
この本は、著者のトラウマ体験談を交えつつ、現代日本の男女関係を「恋愛資本主義」だとして分析、断罪し、そこからの脱却は「萌え」にあり、とする本である。
どこかのページにあった評に「冗長すぎる」というものがあった。この本は、上に挙げたサイトにある文章とほぼ同じ文体で綴られていて、400頁を超す分量を誇っている。
確かに、論とそれを傍証するだけの事実関係のみにしぼって書けば、新書程度の量に収まりそうではある。だが、それではこの著者が書く意味はなくなってしまうのではないか。新書に収まるように、理路整然と無駄を省いた文章を書いたのでは、この著者の作家性は生きてこない。
この本は、その提示する内容もなかなかユニークではあるけれども、著者の「芸」(文芸とすると違う意味になってしまうのがもどかしい)を楽しむ本でもあると思うのだ。
可能であるならば、「芸」を取り除いた原稿をNHK出版(はい、ここは笑うところです。岩波は無理にしても、講談社現代新書ならいけるかもしれない)あたりに持ち込んで、新書として発売してみるのも面白いかもしれない。タイトルは「恋愛資本主義の崩壊」とでもしておいて、韜晦しておくのがいいだろう。
なんかけっこう良い企画のように思えてきたのはきっと気の迷いだ。

3/22追記。「冗長に過ぎる」という評はここのものでした。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20050315#p1