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r-fukai's Diary ausf blogger

土曜日, 4月 30, 2005

安全はコモディティ化している

http://ue2agal.blog5.fc2.com/blog-entry-28.html
ここの追記の方に興味深い言説がある。引用する。
>安全とはお金がかかるものです。ですから理想的なシステムだとはわかっていてもコスト
>面から導入が不可能ということはよくある話です。こういう話が適当かはわかりませんが、
>安全性が増しても利用客は増えません。
その通り。安全というのは危険でないことであるため、安全でないことが判るのは実際に危険が起きてからなのである。つまり、何も起きていない段階では、利用者は安全なのか、それとも、実は安全ではないけれどもたまたま何も起きていないだけなのかを判断することは出来ないことになる。
リンク先の記事にある新しい列車制御システムにしても、それが導入されていることや、理想状態での動作を知ることはできるが、それが有効に働いているかどうかは、ある程度の期間をかけて、ようやく確率的に確からしいことが判る程度である。また、何も起きていない状況でそこまで気にする人はいないわけで、福知山線の列車制御システムが旧式だということが世間に周知されたのは、実際に事故が起こってからなのである。
そのような状況であってもダイヤ編成が疎であれば、大抵の場合は問題は起きない。
しかし考えてみて欲しい。通勤列車がラッシュ時にも10分に1本以下しか来ず、どの列車も駅員によって背中を押されなければ乗り込めないほど満員であるような路線であったとしても、誰も文句を言わないなどということがありえるだろうか? 必要な安全設備を導入するに当たって、運賃を増額すると言われて、文句を言わないなどということがありえるだろうか?(安全設備のためという名目ならばどのような運賃増額に対しても文句を言うべきではないと言っているわけではない)
実際には安全とは言えない状況であっても、現在のような運行状況になってから事故が起きるまでの福知山線のように、何も起きなければ誰も何も文句は言わないのである。むしろ利用者が増えて企業収益は上がる。現実にJR西日本の前期収益は史上最高だった。結果として事故が起き、JR西日本の信用は失墜し、長期的な収益は明らかに低下するだろうが、106人もの死者が出てしまった後では、それも空しい。
公共交通機関であるから法的な規制を加えるのか、それとも、我々消費者が知識を蓄えてきちんと監視を行なうのか、どちらかより望ましいのか、私には判らないし、私の判断が状況に影響を及ぼせるとは思わない。
一つだけ言えるのは、資本主義的調整機構は、少なくとも現状では、何かしら犠牲が出ない限り働かないものであるということを我々は念頭に置いておくべきであるということであろう。同時に、自由であるということは、我々により賢くあることを要求することでもあることも念頭に置くべきだろう。