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r-fukai's Diary ausf blogger

水曜日, 6月 15, 2005

この世の中は既に表層的には掴みきれない

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050615#p1
物事を表層的に捉えて世の中に広く伝えるのがマスコミの役割だとしたら、歪曲は必然だろう。
世の中の複雑さ加減(と同時に進行する世の中で起きる事象の複雑さ加減)が、意味を歪めることなく表層的にまとめることを不可能にするレベルにまで進んでしまったと言うこともできる。
最早、生半可な知能レベルの持ち主ではマスコミに求められる仕事をこなせなくなってしまっている、ということなのかもしれない。これは非常に楽観的なものの見方なのだけれども。
閑話休題。
なんというか「問題の根源が英語で記述されているためにまともに読める奴がいなかった」結果として、このようなことが起きたように見えてしまう。
こんな文章は国語の問題として出されたとしても誤読をして騒ぐ奴は必ず発生するので、もし、校長がまともな判断力を備えた人物であったとしたならば、そもそもこのような主題を入試問題に据えたという迂闊さに対して反省し、事態を収拾させるために謝ったのだろう(本当にそうなのかは保障しないが、そうだとすれば謝るという行為に対して私は納得できる)。
歪みを気にせずに要約するだけならば、そろそろコンピュータによって代替できそうな気もする。提供される生データを個人個人が自らのコンピュータエージェントによって自分好みに歪ませて世の中の事件を大雑把に把握するというのは、80年代のエージェントモデル華やかなりし頃の未来像だったわけだけれども、可能ならばそれも悪くないと私は思う。