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r-fukai's Diary ausf blogger

月曜日, 6月 20, 2005

夕刊フジblogとメディアリテラシー

http://plaza.rakuten.co.jp/sendatte/diary/200506140000/
要するにインターネットというメディアに対するリテラシーが、利用者側に絶対的に足りないというのが世間一般の共通認識であるのだから、送り出す側はきちんとそれを踏まえて活動しないと痛い目に遭うよ、ということだろうか。
それはそれとして、コメントの方に気になる記述があった。「このような消え去る運命のメディアのことなど知ったことか」のような内容である(意訳に近いことをしているので文責は私にあると認識していただきたい)。
もし、東スポやら夕刊フジやらといった旧来のメディアが、団塊の世代の大量退職によって消えていってしまうのだとしたら、それは結構深刻な事態を招くことになるのではないだろうか。
なんだかんだ言って、紙メディアの歴史というのは古い。新聞に限ってみても、明治から脈々と続く歴史というものがあった上でリテラシー(この場合はタブロイド紙というメディアに乗せられたメッセージは信用に値しないという共通認識)というものも形成されている。
インターネットというメディアに関するそのような共通認識は、現状ではまるでないといっても過言ではないだろう(せいぜいが2ちゃんに関するものだろうか)。夕刊フジblogだろうがasahi comだろうが私のこのblogだろうが、受け取り手はどれをどれくらい信用すべきなのか、共通認識としての物差しは持っていない(あるいは、他のメディアを背景にした物差しがあるか)。
このような状態であるときに、旧来のメディアが一気に崩壊してしまったら、大混乱に陥ってしまうことは明白で、だからこそ旧来のメディアは崩壊しないのだ、という楽観的なものの見方もできるかもしれないが、これまでの世界の動きを見るに、そんな楽観的なことは言っていられないと思う。
かといって、旧来のメディアをそのまま維持し続けるのは何か違うし、インターネット上の「共通認識としての物差し」がすぐさま作り出せるわけでもない。
おそらくは、大混乱に陥って、その混乱の中の試行錯誤から新しい物差しが生まれてくるのだろうが、これもまた楽観的と言えなくもない。
私自身は、メディアによってメッセージの信憑性を計るという行為を「自分にとってどうでもいい情報」に対してしかやらないことにしている(あくまで方針であって、いつもそうしているわけではない)ので、自分自身の内面では困らないような気もするのだけれども、マスメディアの大転換が起きるとしたら、外部的な影響が必ずあるだろうから、悠長なことは言っていられないのかもしれない。
とはいえ、有効な対策の案など持ち合わせてはいないのだけれども。