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r-fukai's Diary ausf blogger

水曜日, 7月 27, 2005

オタク的言論人に感じていた違和感の正体

http://chiruda.cocolog-nifty.com/atahualpa/2005/06/v_ef36.html
大塚英志とかの「オタク方面で思想を語りたがる人々」の論説にどうしても違和感を感じてしまうのは、私がかなり濃い目のオタクであるにも関わらず、「フェミニズム」にも「サヨク」にも傾倒したことがないからだということがようやく判った。大塚に言わせれば私は例外的存在になるのだろう。
しかしながら、オタクが悉く「サヨク」で「フェミニスト」という属性も備えているなどという、明らかに間違った認識は、一体全体どこから導き出されるのだろう? 自分の周囲がそうだからといって、全体へ敷衍することなどできるわけもないのに。
ちなみに、私とリンク先で言及されている『「おたく」にだけはなりたくない』年代との間には、10年ほどギャップがある。よって、私は「おたく」が世間から後ろ指指される存在だから「サヨク」でも「フェミニスト」でもないわけではない。私にとって自分がオタクであることと思想信条は全く別次元にある問題だし、多くの人にとってもおそらくそうであるに違いない。
昨今の扶桑社歴史教科書騒動を見るまでもなく、日本の教育界が「サヨク」であることは明らかで、その教育界によって育成された人間が「サヨク」寄りになるのは、素直に考えれば当然である。フェミニズムに関しても、ジェンダー教育などというものが問題にされることを挙げれば「サヨク」と同様であることは論を待たない。
そして「おたく」という人種は、長いものに巻かれれば楽に生きられることに気付けないほど馬鹿ではないし、それを判った上で敢えて反抗してみせるほど根性があるわけでもないのだ。敢えて反抗するにしても、社会的行動の範疇からはみ出すような反抗はしない程度の知性はある(し、敢えてはみ出す勇気も持っていない)ので、いわゆる不良にはならない。
このような理屈をつけなくても、わざわざ反抗するようなエネルギーがあるならば、オタク的趣味を楽しむことに注いだ方が余程良いということを知っているのがオタクだろう。
つまり、世の「おたく」が「サヨク」で「フェミニスト」だったとしても、それは学校という環境から適応的にそうなっただけの話で、オタク的であることと不可分につながっているわけでもなんでもない。「おたく」であることとは関係ないのだから、「サヨク」で「フェミニスト」である大多数の「おたく」ではない日本人もそうであろう。
つまり、サヨクのお笑い言論人が口にする「日本の右傾化」というのは、情報の流通量が増えたことの自然な結果なのである。

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