動物は食べなくては生きていけない
もう、予定のない休日といえば、洗濯だけやってあとはひたすら寝ているかうだうだつまんねーなどと思いつつTVを眺めているうちにいつの間にやら一日が終わっているというパターンが確立してしまっているので、ゴールデンウィークなどという休日が連続している週などは、何をしていたのかなんていうことも思い出せないうちにあっという間に過ぎてしまうのである(本当に何もしていないので、何も思い出せないのが当然)。
平日に極々生産的、活動的に過ごしているわけでもないのに、このように休日を過ごしてしまうのは、なんか人間としてあまりよろしくないような気がするのだけれども、水は低きに流れるとはよく言ったもので、こういうひたすらポテンシャルの低い過ごし方というのは、なんと言うか、ものすごい楽なのである。そうやって過ごしてもいいことになってしまうと、もう日経サイエンスなどのほんの少しポテンシャルの高い文章も読む気をなくすし、甚だしきはマンガでさえ読む気をなくしてしまうのだ。
閑話休題。
そんな状態で眺めたものなので、内容が正確であることなどあろう筈もないが、フジテレビの番組「アンビリーバボー」で「食事をせずに生きていく」という話題を取り扱っていた。いくらだらけきっていたとしても、こういう突っ込み甲斐のある情報には触手が伸びる辺り、つくづく業というものを感じさせる。
その内容といえば、全く飲み食いをせずに生きている高齢のロシア人女性を取り上げ、彼女のことを調べたと称する研究者のコメントと、腸内細菌叢にその理由を求める非常に苦しい説明だった(あれが本当なら、腸内細菌叢まで含めた生態系としての彼女は永久機関になってしまう)。その前に紹介していた、米国のジャムサンド以外の食物を受け付けない少年の話によって、腸内細菌叢という言葉に尤もらしさを与える手法が小憎らしい。
全く飲み食いをしないのであれば、使われていない消化器系は萎縮している筈(使われない人体組織は必ず萎縮する)で、そのことに全く触れていないのは不自然極まりない(そんな情報は、例えば戦時中の手記などを参照すればいくらでも得ることができる)し、排泄に関する情報が全くないのもおかしい。とまあ、素人科学レベルで突っ込みどころ満載なのはいつもの話である。
んで、おそらくこの企画を立てた作家の知識背景になったと思われる本のレビューを見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20050501#p1
リンク先の人は「直感的に正しい」とか言っているけれども、そもそもリンク先の人の置かれている状況が非常に特殊であることが考慮に入っていない。そりゃあ、食うことが一番のストレスに感じるくらい何もない生活ならば、食えば疲労を感じるだろう。重い生活行為を削っていった結果、一番重い生活行為が「たらふく食う」という行為になっているだけで、要するに相対的にそうなっているだけの話である。
食事の後に眠気を感じるのは血流が消化器官に集まることで脳に割り当てられる血流量が減るからである、という説明は、小学生向けの科学雑誌などによくあるもので、そういう知識もないんだろうか、この人は(ちょっと調べてみると、「食後は副交感神経が優位になるから眠くなるのだ」という説明と、「昼食後に眠くなるのは体内時計の影響によるもの。午後には眠くなるのが当然で、食事とは無関係である。それを証拠に朝食後と夕食後に眠くなることはあまりない」という説明があった)。
異物を体内に取り込んで、自分で利用できる形に変換するという行為が何のストレスもなく行なうことができるなどという都合のいい話があるわけはないので、食事がある程度のストレスを伴う行為であることは明白である。が、動物である人間が活動のためのエネルギーや身体を構成するための物質を得るためには、食事をしなければならないこともまた明白である。
H.G.ウエルズが「宇宙戦争」中で描いた火星人は、消化器官などという原始的器官は持たず、血管に直接栄養分を注入する(確か他の生物の血液もしくはそれを加工したものだったように思う)ことで栄養を補給していた。要するに、食事という習慣は人類の活動において邪魔なものであるという認識そのものは別段目新しいものではなく、それでも外部からの物質の導入は必要であるという見解もまた目新しいものではないのだ。それくらいのことは100年前の人間だって思いつくことなのである。
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050502/1115055672
ここでさらに詳しい内容の紹介があるが、結局は単なる精神論の話で、そこには科学的知見の欠片もないことが判ってしまう。経験談レベル以上のものではない。「少なくとも経験者がいるのだから嘘でない限り、有効であることは証明されているではないか」という人がいるかもしれないが、それでは問おう。オリンピック選手の経験談を読んで、オリンピックに出場できるレベルまで達することができる人間がどれだけいるだろう? 書かれていることが常識的レベルに留まっていたとしても、それが万人に適用できると考えるのは間違いである。ましてやここに書かれていることなど、ガッツ石松が書いた(十中八九、口述筆記であろうが)と言われる無茶なダイエット本とどっこいどっこいだ。何かしら言葉で飾られていたとしても、客観性はまるでないのだから同じことだ。この評価を変える気は私には全くない。
そうか。こういう本はBookoffで買えば良いのか。なるほど、なるほど。このエントリにまつわる議論でも起きたらBookoffで買って読むとしよう。
平日に極々生産的、活動的に過ごしているわけでもないのに、このように休日を過ごしてしまうのは、なんか人間としてあまりよろしくないような気がするのだけれども、水は低きに流れるとはよく言ったもので、こういうひたすらポテンシャルの低い過ごし方というのは、なんと言うか、ものすごい楽なのである。そうやって過ごしてもいいことになってしまうと、もう日経サイエンスなどのほんの少しポテンシャルの高い文章も読む気をなくすし、甚だしきはマンガでさえ読む気をなくしてしまうのだ。
閑話休題。
そんな状態で眺めたものなので、内容が正確であることなどあろう筈もないが、フジテレビの番組「アンビリーバボー」で「食事をせずに生きていく」という話題を取り扱っていた。いくらだらけきっていたとしても、こういう突っ込み甲斐のある情報には触手が伸びる辺り、つくづく業というものを感じさせる。
その内容といえば、全く飲み食いをせずに生きている高齢のロシア人女性を取り上げ、彼女のことを調べたと称する研究者のコメントと、腸内細菌叢にその理由を求める非常に苦しい説明だった(あれが本当なら、腸内細菌叢まで含めた生態系としての彼女は永久機関になってしまう)。その前に紹介していた、米国のジャムサンド以外の食物を受け付けない少年の話によって、腸内細菌叢という言葉に尤もらしさを与える手法が小憎らしい。
全く飲み食いをしないのであれば、使われていない消化器系は萎縮している筈(使われない人体組織は必ず萎縮する)で、そのことに全く触れていないのは不自然極まりない(そんな情報は、例えば戦時中の手記などを参照すればいくらでも得ることができる)し、排泄に関する情報が全くないのもおかしい。とまあ、素人科学レベルで突っ込みどころ満載なのはいつもの話である。
んで、おそらくこの企画を立てた作家の知識背景になったと思われる本のレビューを見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20050501#p1
リンク先の人は「直感的に正しい」とか言っているけれども、そもそもリンク先の人の置かれている状況が非常に特殊であることが考慮に入っていない。そりゃあ、食うことが一番のストレスに感じるくらい何もない生活ならば、食えば疲労を感じるだろう。重い生活行為を削っていった結果、一番重い生活行為が「たらふく食う」という行為になっているだけで、要するに相対的にそうなっているだけの話である。
食事の後に眠気を感じるのは血流が消化器官に集まることで脳に割り当てられる血流量が減るからである、という説明は、小学生向けの科学雑誌などによくあるもので、そういう知識もないんだろうか、この人は(ちょっと調べてみると、「食後は副交感神経が優位になるから眠くなるのだ」という説明と、「昼食後に眠くなるのは体内時計の影響によるもの。午後には眠くなるのが当然で、食事とは無関係である。それを証拠に朝食後と夕食後に眠くなることはあまりない」という説明があった)。
異物を体内に取り込んで、自分で利用できる形に変換するという行為が何のストレスもなく行なうことができるなどという都合のいい話があるわけはないので、食事がある程度のストレスを伴う行為であることは明白である。が、動物である人間が活動のためのエネルギーや身体を構成するための物質を得るためには、食事をしなければならないこともまた明白である。
H.G.ウエルズが「宇宙戦争」中で描いた火星人は、消化器官などという原始的器官は持たず、血管に直接栄養分を注入する(確か他の生物の血液もしくはそれを加工したものだったように思う)ことで栄養を補給していた。要するに、食事という習慣は人類の活動において邪魔なものであるという認識そのものは別段目新しいものではなく、それでも外部からの物質の導入は必要であるという見解もまた目新しいものではないのだ。それくらいのことは100年前の人間だって思いつくことなのである。
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050502/1115055672
ここでさらに詳しい内容の紹介があるが、結局は単なる精神論の話で、そこには科学的知見の欠片もないことが判ってしまう。経験談レベル以上のものではない。「少なくとも経験者がいるのだから嘘でない限り、有効であることは証明されているではないか」という人がいるかもしれないが、それでは問おう。オリンピック選手の経験談を読んで、オリンピックに出場できるレベルまで達することができる人間がどれだけいるだろう? 書かれていることが常識的レベルに留まっていたとしても、それが万人に適用できると考えるのは間違いである。ましてやここに書かれていることなど、ガッツ石松が書いた(十中八九、口述筆記であろうが)と言われる無茶なダイエット本とどっこいどっこいだ。何かしら言葉で飾られていたとしても、客観性はまるでないのだから同じことだ。この評価を変える気は私には全くない。
そうか。こういう本はBookoffで買えば良いのか。なるほど、なるほど。このエントリにまつわる議論でも起きたらBookoffで買って読むとしよう。
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