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r-fukai's Diary ausf blogger

水曜日, 5月 11, 2005

国際化中華思想

http://kotonoha.main.jp/2005/05/09charactercode.html#m_p3
「多言語対応でないコードを書くのは島国根性」という発言がなんか引っかかる。
それは島国根性じゃないだろう。英語圏のプログラマが1byte文字しか扱えないコードを書くのは島国根性では決してない。それと何が違うのか。そのプログラマがイギリス人なら島国根性なのか。アメリカ人ならなんだ?
ここからは別の話。
金を払ってプログラムを利用しているのでもなければ、プログラムの仕様に関して直接文句を言うのはともかく、プログラマの思想に踏み込んで文句を言うのは何様のつもりなのかと反発されても仕方がないだろう。
そもそも、こういう発言をしてUTF-8対応のコードを書く人間が増えるとでも思っているのだろうか?
自分に対して善意の行為をしてくれない人間を批判して、自分に善意が向くようになるなどと考えているのだとしたら、単なる愚か者である。同調している連中も、ちったぁコードを書く側の立場に立って考えてみるといい。自分の善意の行為に何かが足りないとして、それに難癖をつけてくる連中に何かをしてやりたいと思うのかどうか。
そりゃあ、国際化されていないコードよりは国際化されているほうが良いだろう。しかし、人間が自分が必要だと感じていない余計な作業に手間を割くに至る心理過程を考えてみれば(時には必要であっても作業になかなか取り掛かれないというのに)、何故国際化されたコードが書かれないのか、そして国際化されたコードを書いてもらうにはどうすれば良いのかが見えてくる筈だ。プログラマの心性の批判はその道程には決して乗っていないか、もしくは大きな遠回りの道程に乗っているだけだろう。このようなことを言い出す人間は、国際化中華思想に冒されているとしか思えない。
だいたい、プログラマには面倒くさがりの人間が多いのだ。面倒くさがりの人間をいくら叱咤しようとも、実質的な利害が発生しない限りは動かないことは世の常識ではないのか。
反発を感じてそれを表明するのは自由だけれども、それが自分の居心地のいい世界が訪れることにはつながらない。判っててやってるなら別にいいんだけど。