.comment-link {margin-left:.6em;}

r-fukai's Diary ausf blogger

木曜日, 5月 12, 2005

脱線事故と臨界事故の違い

http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20050506#p2
リンク先でJR西日本の脱線事故とJCOの臨界事故を同じ性質のものとして扱っているけれども、なにか違和感を感じる。
JCOの臨界事故は、原子力発電に関する基本的な知識があればやらない類の不手際が問題であり、例えばマンハッタン計画に関わった科学者のエピソードとして、科学知識に乏しい作業員が臨界量に無頓着に高濃度の放射性物質を扱っているのを目撃して慌てて止める、というものを読んだことがある。
国民性とかそういうものには無関係に、知識があるかないか、もしくはその知識を実感しているかいないかの問題に帰着する話であろう。化学の実験において危険な薬品を扱っているのにふざけている学生のようなものだ。
それはカーブでの速度超過も同じではないかという人もいるかもしれない。が、カーブに速度超過状態で進入するのは危険なのではないかという推測は、高速移動する乗り物に乗ってカーブに進入すれば体感できるけれども、放射性物質の臨界はそのように体感できる話ではないという点で大きく異なる。
つまり、速度超過は「余程の馬鹿でもなければその結果が予測できて当然」という前提が社会的に共有されているという認識があるのである。それなのに、敢えてその速度超過を行なった理由として、JR西日本の体制や日本人の時間厳守の性質が問題になっているのである(念のために書いておくが、私は現状のJR西日本バッシングについては非常に強い否定的意見を持っている)。
翻って臨界事故に関しては、何をすると危険なのかという知識が実感として共有されているなどということは前提にできない。逆に、放射能とは一体どのような概念なのかさえ判らないという共通認識は、広く共有されていると言ってもそれほど反対する人はいないだろう。
よって、臨界事故に関して「自分ならあんなことはしない」と胸を張って言える人間は少数派であり、そこからさらに先に進んだ「そうであるのに何故そのようなことをしたのか」という議論にはたどり着けないのである。
やはり念のために書いておくが、私は脱線事故が速度超過のみによって起きたとは考えていない。もちろん一要因ではあっただろうが。それだけならばもっと頻繁に起きてしかるべき事故だろう。