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r-fukai's Diary ausf blogger

月曜日, 6月 06, 2005

萌えオタになることは競争を忌避すること

http://mozaic.lolipop.jp/archives/000280.html
おそらく私はオタク第二世代に分類されるのであろうが、そのオタク第二世代やオタク第一世代がそれ以降のオタクの難点として指摘する「なんでそんな薄いことで満足できてしまっているのか」という点を体現している意見だと思う。
要するに彼らは、「自らの好む分野においてさえ優劣を競うことを忌避している」ということなのだ。これは私にとっては思いもよらない結論だ。譬えて言うならば、MMRでキバヤシの断言を聞いた他のメンバーの気分。
一体、彼らはどこで自らの優越感を満足させているのだろうか。そして、それって人以前に生物としてどうなのよ、という感想を抱かざるを得ない。余計なお世話だが。
もし、萌えオタとして振舞うためには「他者と優劣を比較されることへの忌避」が必要不可欠なのだとしたら、私は萌えオタの境地にはたどり着けそうにもない。
それはともかくとして、どうして彼らがそれほどまでに競争を忌避するようになったのかについては、非常に興味がある。もしかすると、忌避しているという意識さえなく、自然にそうなるのかもしれないが。
ごく表層的な解釈を行なえば、教育現場の状況を見て、「教育が悪い」という結論に至るのだろうが、そんなレベルの話ではないような気がする。
現在の教育現場において、他者との優劣の比較は建前上は悪いことだとされている(順位をつけない運動会など)けれども、実際の社会は全くそんなことはなく、教育現場においてさえ入学試験という現実においては他者との比較に晒されざるを得ない。
また、入学試験を表立って批判する教育者も極小数に限られるうえ、そのような教育者は親によって排斥される傾向が非常に強い(元から同じような思想を持っているのでもない限り、そんな人間の口車に乗って子供の人生を棒に振らせる親などそうはいない)ため、心の底ではどう考えているかは判らないにしても、真正面からそのような主張を繰り広げる教育者もなかなかいないだろう。もし、入学試験を悪いものだと考えている教育者がいれば、そのような周囲からの抑圧が、更なる憎悪を掻き立てていたとしても、不自然なことではないだろう。
そのような状況において、教育を受ける側の人間が「空気を読んで」競争を忌避するようになったということなのだろうか? なんか非常にトンデモな香りの漂う推論な気がしてならないのだが。