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r-fukai's Diary ausf blogger

水曜日, 7月 06, 2005

「儀礼的無関心」への抵抗

http://d.hatena.ne.jp/strange/20050704#p3

>「こういうことするとキモイ奴と思われているのかもしれない」なんて考えにいたってしまうのはなんでだろうなあって思う。
それは「儀礼的無関心」に抵触する行為だからなんでは。
相対的に田舎の方に向かえば向かうほど(すなわち、地域社会がまだ生き残っている場所に行けば行くほど)そのような行為に対して「キモイ奴」という評価はされなくなっていき、逆にそのような行為を積極的に行なわないことに対する風当たりが強くなっていくのではないだろうか。
今の日本の都会では「儀礼的無関心」を適用すべき範囲を量りかねて、「袖摺りあった」仲であっても「無関心を貫かなければならない」という脅迫観念が出来上がってしまっていて、結果として人を人として見ていない状況が出来上がってしまっているのではないだろうか。
大元のエントリの筆者が「抵抗活動」というラベルを貼ってしまったのは、その「人を人として見ていない状況」が許せないと感じられるからだろう。別に誰が維持しているわけでもない「儀礼的無関心」に伴う結果に対しての活動だから、抵抗すべき相手のいない活動であり、それに「抵抗活動」と名付けてしまうのは自意識過剰に見えるかもしれないけれども、そう名付けたくなる心情もよく判る。