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r-fukai's Diary ausf blogger

木曜日, 10月 06, 2005

進化論と天皇制

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/10/post_bcc0.html

戦前、進化論をそれなりに理解しているインテリ層で、天皇陛下が現人神であらせられるなどと本気で信じていた奴はどれくらいいるのか。話をそこから始めなきゃ意味ないだろう。
現人神であることが本当だろうがそうでなかろうが、国家元首として尊重してそういう類の周囲の言説に無用のツッコミなどしない、なんてことができないほど世間知らずな奴は、いなかったか、いたとしても不敬罪でしょっ引かれていた、ただそれだけの話なのではないか。
リンク先で語られていることは、「キリスト教を奉じている科学者がいるのはおかしなことだ」などという変な意見と同レベルのしょうもない意見にしか見えない。
もう一つついでに言っておくと、平成の世に暮らす日本人で、進化論を信じつつ霊魂の存在も信じている人間や、進化論を信じつつアダムスキーの与太を信じている人間なんてのもいる。流石にラエリアンは教義がインテリジェントデザイン論と似たようなものなので進化論は信じていないだろう。
つまりは、直接相反しない限り、人間というのは自らの知識や信条の矛盾になど気付かないものなのだ(先に挙げた例は矛盾などしていない可能性が高いが)。そんな錯誤を日常的に味わっていない人間がいるとはとても思えない。
ここまで考えて、キリスト教信者の神の概念と日本人の神の概念があまりに違うので話がかみ合ってないだけであるような気がしてきた。
菅原道真は生前は人間として扱われていたが、死後に神として奉られた。一神教を奉ずる人間に、このことが理解できるだろうか。彼らの神と日本の神の間には、単数か複数か以上に暗くて深い溝があるのだ。
なぜにキリスト教の神を表す「天主さま」といういい言葉があったのに捨ててしまったのだろうか。捨てていなければ、このような無用な混乱は避けられただろうに。