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r-fukai's Diary ausf blogger

水曜日, 10月 05, 2005

若者が漢字を使えない理由

http://d.hatena.ne.jp/mojiura/20051004/p1
社会全体が漢字を忌避しているから学生が漢字を覚えられないのだ、という話。
特に裏付けとかそういうものはないけれども、それなりの説得力は感じられる。新聞の漢字かな混じり書きなどは、私もみっともないと思う。何故に「読めるようになる」方策を採らずに安易な方向に流れるのか。ま、そういった諸々はさておき、リンク先で例として上げているのは、漢字というよりは漢語ではなかろうか。
そして、私が思うに、日常的に漢語が使われなくなった原因として、教養としての漢文が廃れたという側面もあるのではないだろうか。
ある程度英語の語彙が増えてくると、日本語で表現するよりも英語で表現したほうがしっくり来る概念というものがある。昨今のわけのわからん英単語の氾濫は、もちろん、相手にはわからない専門的な表現を使うことで自分の発言に箔を付けたいという要素もあるだろうけれども、大半は英単語のほうがしっくりくる、というような理由から来ているのではなかろうか。
何が言いたいのかというと、日本語の文章で漢語表現が使われていた背景には、これと同じ理由もあったのではなかろうか、ということだ。つまり、日本語(この場合はやまとことばと言うべきか)で表現するよりも漢語で表現したほうがしっくり来ると感じる人がある程度の人数いるくらい、教養としての漢文が浸透していたのではないか。
ここからはまた別の話。
よく、ワードプロセッサ(というか日本語IMEだよな)を使って文章を綴ると、なんでもかんでも漢字に変換できるものだから文章中の漢字の比率が上がってしまい、それは色々と具合が悪いので、意識してひらがなで表記することを心がけよう、などと言われている。その傾向は私も自分自身の文章の中に感じられるのだけれども、余程のことがない限り、一度漢字にしたものをひらがなに開くことはしていない。これは純粋に好みの話だ。
漢語表現ではなくて漢字を使う使わないという話にしてしまうと、こういう話に堕してしまう可能性があるのではないだろうか。