熱湯浴じゃなくてネット右翼という概念について
なんか知らんが、私が子供だった頃の日本では「思想的に左寄りであることは道徳的である」という風潮があったように思える。
現在においても、左寄りであることを隠さないメディアや言論人は、そう考えているのではないかと勘繰れるだけの言動を繰り返しているように見える。
それは要するに、建前や奇麗事の範疇に入ってしまうことなのではないか。そして、擬似的にでも匿名で発言できるインターネット世界において、わざわざ建前や奇麗事を語りたがる人間などいなくて、場合によっては露悪的過ぎるほど本音を語ることが普通である(奇麗事はまぁ他者からの評価にも因るのでないとは言わないが、わざわざ建前で語っている人間はそうはいないだろう)。
というわけで、インターネット上の言論は右に振れたもので溢れ返ることになる、という説はどうだろう。
現在においても、左寄りであることを隠さないメディアや言論人は、そう考えているのではないかと勘繰れるだけの言動を繰り返しているように見える。
それは要するに、建前や奇麗事の範疇に入ってしまうことなのではないか。そして、擬似的にでも匿名で発言できるインターネット世界において、わざわざ建前や奇麗事を語りたがる人間などいなくて、場合によっては露悪的過ぎるほど本音を語ることが普通である(奇麗事はまぁ他者からの評価にも因るのでないとは言わないが、わざわざ建前で語っている人間はそうはいないだろう)。
というわけで、インターネット上の言論は右に振れたもので溢れ返ることになる、という説はどうだろう。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home