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r-fukai's Diary ausf blogger

水曜日, 10月 12, 2005

大山のぶ代の考えるドラえもんのイメージ

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20051008
ふーん。
リンク先の主題であるところの「のび太のくせに……」は置いておくとして。
ドラえもんの性格は、連載当初のエピソードと、人気も安定してきたであろう10巻以降(おそらくもっと前からなのだが、安全のためにこう言っておく)のエピソードではまるで違っているだろう。大山が駄目だと感じたドラえもんの台詞は、1巻の頃のものとしてはありそうな台詞ではある。
声優が代替わりしてキャラデザインが一新されて言われたのは、大山ドラえもんの性格は少々優等生過ぎた、というものであり、確かに「道具を使って助けてくれたりもするが、基本的には口うるさいお目付け役」という性格付けは、ストーリーの根幹(駄目なのび太によってもたらされるセワシの悲惨な現状を回避するために未来からやってきた)から導き出されたものとしては正解なのかもしれないけれども、それによって原作が持っていたほんのりとした毒気が、漂白されてしまったのも事実だと感じる。たとえ現在の目から見ればコメディだったとしても、ドラえもんはギャグマンガとして扱われていた作品であり、ギャグには毒が必要不可欠なのだ。
それはそれとして、大山がキャラクターを掴むために、どれくらい原作を読み込んだのだろうか。結構読み込んだとすれば、ドラえもんの印象は1巻の頃のものから比べれば、かなり礼儀正しい方向に移行しているだろう。
そういうイメージを持った上で1巻の頃のドラえもんの台詞を忠実に再現した台本を渡されれば、違和感を感じるのも無理はないだろう。しかし、その反動で今度は原作のレベルをはるかに超えて優等生的なドラえもん像を作り上げてしまったということはないだろうか。
だとしたら、マンガの神様は藤子不二雄だと信仰して止まぬ私のような人間にとっては、少々残念な話ではある。そして、代替わりによってそのドラえもん像が引き戻されたのは喜ばしいことだ。
全ては私の勝手な妄想なので「勝手に残念/喜ばしがってろ」と言われればそれまでだが。