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r-fukai's Diary ausf blogger

木曜日, 7月 05, 2007

表現者としての視点が欠けてはいないか

http://d.hatena.ne.jp/kagami/20070705#p1
最初に「検閲は正直どうでもいい」などと書いてある時点で、この人は創作者でも表現者でもないのだろうと判る。
確かにオタク趣味には金が掛かる。そして役人は阿呆なことで金を浪費しまくる。
しかしながら、平均的な感覚で評価したとして、オタクの金の使い方も役人の金の使い方も同様に見えるだろう。どちらも無駄遣いであることに変わりはないからだ。まぁこれは脇道。
閑話休題。
途中、貧困生活に喘いだ哲学者やライターのエピソードが引用されるが、彼らだって自らの文章のうち「自分が一番言いたいこと」を理不尽に曲げられてまで金を得たいと思っただろうか。私にはそうは思えない。
もし、東浩紀が極貧生活を送っていたとしても(そうすると、おそらくは文化庁から仕事など来はしないのだが)、今回のような扱いを受けたならば、やはり金は受け取らないだろう。受け取るようであれば、彼の言葉はたちまち力を失い、彼の肩書は単なる雑文書きに堕するであろう。
問題は金額の重みなどにはなくて、表現者としての矜持にあるのだ。

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