一番幸せな美食家のパターンとは?
http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20070705/1183644385
>グルメで幸せに生きられるのは、毎食「美食」を楽しめる超大金持ちだけじゃないかと思うのですよ。
いやいや。人間というのは連続した刺激には必ず慣れるようにできている。
この世界に美食のパターンがどれだけ存在するのかは知らないが、一人の人間がその生涯で食事をする回数だけのバリエーションがあるとは思えない。
つまり、毎食「美食」を楽しんでいる超大金持ちは、そのうち「美食」そのものに飽きてしまい、美食を味わっても幸せだと感じなくなるのではなかろうか(梶尾真治の短編にそんなのがあったような。「地球はプレイン・ヨーグルト」か)。
そもそも、生まれてからずっと美味いものだけを食っているような人間は、それが普通だと感じ、別段自分が幸せな状態にあるとは認識しないのではないか。それは客観的には幸せだと思うが、主観的にはどうなのか。
つまりは安い給料しかもらったことがない人間(そしてもっと良い給料が貰える可能性を知らない人間)は安い給料でも不満を持たない、という命題の裏返しであるわけなのだが。
つまり何が言いたいのかというと、普段はまずい飯(もしくは普通の飯)を食っていて、欲求不満が貯まらない程度の間隔で美食を味わう美食家が一番幸せなのではないかな、と思ったということである。
>グルメで幸せに生きられるのは、毎食「美食」を楽しめる超大金持ちだけじゃないかと思うのですよ。
いやいや。人間というのは連続した刺激には必ず慣れるようにできている。
この世界に美食のパターンがどれだけ存在するのかは知らないが、一人の人間がその生涯で食事をする回数だけのバリエーションがあるとは思えない。
つまり、毎食「美食」を楽しんでいる超大金持ちは、そのうち「美食」そのものに飽きてしまい、美食を味わっても幸せだと感じなくなるのではなかろうか(梶尾真治の短編にそんなのがあったような。「地球はプレイン・ヨーグルト」か)。
そもそも、生まれてからずっと美味いものだけを食っているような人間は、それが普通だと感じ、別段自分が幸せな状態にあるとは認識しないのではないか。それは客観的には幸せだと思うが、主観的にはどうなのか。
つまりは安い給料しかもらったことがない人間(そしてもっと良い給料が貰える可能性を知らない人間)は安い給料でも不満を持たない、という命題の裏返しであるわけなのだが。
つまり何が言いたいのかというと、普段はまずい飯(もしくは普通の飯)を食っていて、欲求不満が貯まらない程度の間隔で美食を味わう美食家が一番幸せなのではないかな、と思ったということである。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home