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r-fukai's Diary ausf blogger

火曜日, 7月 31, 2007

科学を宗教として扱うのは間違いだっつーのに

http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20070731/p1
もはや他人の意見に耳を貸すということを全くしていないので、「こいつは馬鹿です」という指摘以外の意味はあまりないのだけど、間違ったミームが広がるのを防ぐのも必要な仕事であろう。
もし、科学がユダヤ教からイスラム教にまで連なる排他的な性格を持つ一神教であるならば、「敬虔なキリスト教徒である優秀な科学者」という人間は存在しないことになる。
しかしながら、欧米世界にはそのような科学者は大量に存在するし、厳格なイスラム世界にも優秀な科学者はいる。おそらくユダヤ世界にもいるだろう(アインシュタインは敬虔かどうかはともかくとしてユダヤ人ではなかったか)。
彼らの精神構造がどうなっているのか、私は科学的手法を信用していると同時に緩やかな神道の信奉者ではあり、また形式的な仏教徒でもあるが、神道の考え方や仏教の考え方と科学が衝突しているとはあまり思わない(衝突する部分が全くないとは言わない)。おそらく彼らの心理世界においても、キリスト教の教えと科学が衝突する部分においてはどちらかが優先されているのだろうし、そもそも科学で検証しようのない部分については衝突しているという意識さえないに違いない。
なぜそのように、排他的な宗教(神道や仏教は違うが)と科学の共存が可能になるかといえば、科学は宗教の扱う分野を侵犯したりしないし(SF作家ソウヤーの作品に、科学的に人間が信仰心を抱く理由を解明するシーンが出てきたりするが、これはフィクション)、宗教もまた然りだからだ(原理主義にまで進んだ場合はダメだが)。
要するに、「他者に対して排除的な科学」という心理モデルは、排他的な一神教を信仰していない日本人が持ちやすい科学に対する誤った心理モデルであり(同時に外部からは排他的に見える宗教に対する誤解でもある)、その原因は主に科学的手法に対する不勉強から生じる。だからこそ私は最初に「日経サイエンスを一年間購読してから同じエントリを書けるならお相手しよう」と書いたのだ。

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