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r-fukai's Diary ausf blogger

金曜日, 8月 03, 2007

私が、GPLが先進国-途上国間の搾取構造を持つと考える理由

某所での議論が長くなったので、エントリとして立てることにした。興味がない人は無視してください。

例えば、あるコードを書いて売ったら$10になるとします。実際には国や地域によってかなり変動があると思われますが、話を簡単にするために世界中どこでも$10だとしましょう。
アメリカ人でプログラマをやっているレベルの人間にとって、$10を寄付することは別にどうということはありません。日本人でもそうでしょう。しかし、富裕層に属さないインド人にとってはどうでしょうか? その他の途上国の人間にとっては?
GPLは、GPLに関わる限り、その$10のコードをGNUコミュニティに寄付することを強要します。$10を寄付することなどどうということのない先進国の人間は、GNUコミュニティに参加することでコミュニティにフィードバックし、自身もコミュニティからフィードバックを受けます(これはソフトウェアが利用できるかどうかという意味ではなく、プログラミング技術習得の話です)。
しかし、$10を寄付することが難しい途上国の人間は、脇から指をくわえて見ているか、身を切られるような$10を寄付してGNUコミュニティに参加するしか選択肢はありません(GPLのコードを眺めることさえ、訴訟リスクを考えると危険です)。
私はこの構造を指して「搾取」と呼びます。GNUプロジェクトを完全に無視すれば搾取構造に取り込まれることはありませんが、オープンソース文化にGNUプロジェクトはもうすでに深く食い込んでいて、無視し続けることは難しくなっていますし、BSDLなどのより自由なライセンスで公開されたコードも、GNUプロジェクトの人間の手が加わることでGPLに汚染されてしまいます。
GPLは世界中すべての人間を公平に扱うがゆえに、いわゆる「フェアトレード」にならない、すなわち搾取構造を形成していると私は主張しています。現在の世界は「効果範囲が限定的であっても、すべての人間を公平に扱えば良い方向に進める」などという理想的状況からは程遠い状態にあると私は認識しています。むしろ、効果範囲を限定せざるを得ないのであれば、やらない方がマシでしょう。全ての人間に自分の理想を押し付けたいのならば、まずは世界を理想的状況に近づけることから始めるべきだと私は思います。
途上国プログラマの収入等の具体的ソースを示さなければ納得しない、というのであれば、納得しなくていいです。むしろ、「途上国のプログラマは先進国のプログラマと比較しても遜色ない収入を得ているのだから、この問題提起は無意味だ」という主張をしたいのであれば、その事実を示していただきたい(そんなことはおそらくありえないと私は思います)。

参考その1:GNUプロジェクトを批判している人。リンク先の/.-Jの議論も興味深い。GPLはそもそもの性質(不可逆性)からして搾取的であるという指摘と、GNUは宗教であるという考察。
http://www.flcl.org/~yoh/diary/20051227.html
参考その2:SUNのJ・シュワルツによるGPL批判(あまり額面通りには受け取れないが)
http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000056022,20082423,00.htm

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5 Comments:

  • (1) 開発者にとって同程度の負担のコードは世界中何処でも同じ値段で売れる。
    (2) 途上国のプログラマは先進国のプログラマより低収入である。
    の両方を仮定しておられますが、例えば100時間で開発したコードをコミュニティに寄付する行為を貨幣価値に換算するなら、その人が100時間の労働で得る収入に相当するのでないですか?
    現金を寄付するならともかく、コードを寄付するのですから、通貨レートの安い国に住んでいるから負担が重いということはないでしょう。

    By Anonymous 匿名, at 8/04/2007 11:46 午前  

  • なるほど、時間当たりの収入を尺度とする方が合理的であるという指摘はその通りですね。私の論はその点においては間違っていることを認めます。

    で、一般的な傾向として、途上国の方が先進国に比べて、生活に必要なだけの賃金を得るために必要な労働時間が長い、という事実は受け入れてもらえますか?
    資料は探せば出てくると思うので、必要であれば調べます。

    By Blogger 深井龍一郎, at 8/04/2007 2:17 午後  

  • 一般的には、
    (1) 途上国は先進国よりも所得分布の拡がりが(ものすごく)大きい。
    (2) 高水準の教育と専門的知識を要する職業が社会全体の所得分布の中に占める位置は、途上国の方が先進国よりも高い位置にある。
    という傾向があります。
    例えば、高水準の教育と専門的知識を持った技術者(笑)の所得水準が社会全体の分布の中でどういう位置にあったか、明治末~昭和初期の日本で想像してみれば納得できると思います。
    このことから、生活を維持するための所得水準と比較すれば、途上国の技術者の方が余裕があると推測できます。まあ、自動車を買うとかパソコンを買うとか言う始めると、その国の通貨の国際購買力という大きな不利があるので、あくまでも「食い扶持を稼ぐ」という意味での余裕に限られるかもしれませんが。

    途上国の方が労働時間が長いという点についてですが、例えば中国の法定労働時間は週に40時間、インドは48時間(8時間×6日なのかな?)です。法定労働時間が守られない傾向については、サービス残業が当然のごとく行われている日本の現状と比べてどっちかどうなのか判断できません(そういうデータは表に出てこないでしょうし)。いずれにしても、所得分布の拡がりが日本の数倍達するのに比べて影響は軽微であると思います。

    By Anonymous 匿名, at 8/05/2007 1:15 午前  

  • もし、途上国でも高度な技術を持った人間ならば先進国と同レベルの収入を得ることができるのであれば、途上国からの頭脳流出という問題は全く起こりえないか、逆のことが起きると思いますがいかが?

    By Blogger 深井龍一郎, at 8/05/2007 5:50 午後  

  • いいえ。私が主張しているのは、「高水準の教育と専門的知識を持った者(技術者というのはそういうものですよね?)は、途上国の所得分布の中では高い位置にいる」「その国の通貨の国内購買力が通用する範囲内では、収入に余裕がある」ということです。
    もちろん、通貨の国際購買力(為替レート)で換算してしまうと、先進国で同等の職業についている者の所得と比べて遥かに低い数字になってしまいますが、このことは彼らが貧しいということを意味しているわけではありません。インドや中国のIT産業の国際競争力を支えているのは主としてその通貨の国内購買力と国際購買力の相違だ、ということです。
    以上のことは、「その職業における平均的な能力を持った人」の話です。

    頭脳流出には、二つの全く異なった側面があります。ひとつは、産業の発展段階が低い段階では、高水準の教育を受けた者の需要がそもそも少ない。つまりポストがないということです。これは、その国の産業が充分に発展すればいずれ解消されます(かつての台湾、今の中国で見られるように)。
    もう一つは、合衆国に於いて、合衆国の水準で高い収入を得られるほどに優秀な能力を持った者が、合衆国に向けて流出するという問題です。こちらの方は目下のところ解消の見込みのない深刻な問題ですが、流出元は途上国に限らない(西欧や日本からも流出している)ので、今回の話題とは別の問題とみなすべきでしょう。

    By Anonymous 匿名, at 8/05/2007 11:35 午後  

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