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r-fukai's Diary ausf blogger

火曜日, 10月 23, 2007

明治以降の日本人がキリスト教徒でもないのにポルノフォビアである理由

話は単純である。
維新当時、日本は幕府と西欧列強との間に結ばれた不平等条約をなんとか返上しようと努力していた。
西欧列強が不平等条約の言い訳として「(キリスト教的価値観から見て)野蛮な風習の残る国だから」というものを使ったため、江戸期までは比較的オープンだった日本の性風俗は、キリスト教的なポルノフォビアがより強化されたものによって押さえつけられ、不平等条約が解消された後になってもそれがそのまま残ってしまったのである。
ある種、日本人の生真面目さを浮き彫りにしている事象のひとつではあるが、経緯を知ってみると馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
不平等条約が返上さえされてしまえば、そんなものを後生大事に守り続ける理由など何もない。それとも何か、日本はキリスト教国にでもなったのか。
そんな阿呆らしい経緯で残っている習慣によって、憲法で保障された表現の自由が制約されうるという現状は、いかにもおかしな状況であると言わざるを得ないだろう。
結局、不平等条約は日清日露戦争の勝利によって返上を実現したのだから、ポルノフォビアは実質何の役にも立たないまま、前例主義によって21世紀の今日まで、ゾンビのごとき腐臭を放ちつつ生き永らえているのである。
喩えて言うならば、未だに鹿鳴館で舞踏会が毎晩のように開催されているようなものだ。これを馬鹿馬鹿しいと言わずして何と言えばいいのだろうか。

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