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r-fukai's Diary ausf blogger

土曜日, 8月 30, 2008

夏の出来事

いかんいかん。他のことでいっぱいいっぱいでついついblogを放置してしまった。
えーと、前の記事からなにがあったっけ?

「ガンダムオペレーショントロイ」が発売されて、ある程度はオン対戦で楽しめた(でもまだグフまでしか使えない。ガトリングシールドはなし。なにあのショットガンの性能。馬鹿にしてるの?)。

バイクにガソリンを入れた(いつもリザーブになるまで入れにいかない)。

散髪に行った。

「カンコンキンシアター」を観に行った。来年も絶対観に行く。

夏コミに奇跡的に新刊が出せた。一応完売した(お買い上げくださった方に感謝)。正直言って次のアイデアが全くないので、関連資料をごりごり読み込まないといけない。

「スカイ・クロラ」は観に行きたいと思っているのだが、機会がなくてまだ行けていない。もう終わってしまうかも。

積ん読だった小川一水の「妙なる技の乙女たち」「フリーランチの時代」「天涯の砦」を続けて読了。「時砂の王」もどっかに埋まってるはずだが、発見できず。

「ファウスト」の最新刊を買った。あまりの読みにくさに閉口(とにかく厚過ぎて持つにも開いておくにも不便)。前みたいに分冊してくれれば良かったのに。ちなみに筒井康隆の新作はまだ読んでいない。

「Geometry Wars2」が出て、今はまっている。ほとんどのモードで世界ランキングで25000位くらいをふらふらしているのだが、KINGだけ四桁位にいる。何故だろう?

「とらドラ!」8巻は、現在の精神状態ではちょっと重過ぎる。放置することとする。

とまぁ、2008年の夏はこんな感じで過ぎていったのであった。締めくくりは土砂降りになるのだろうか。

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木曜日, 1月 17, 2008

「文化が経済至上主義の犠牲になっている」お前が言うな

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0801/15/news117.html
要するに「金よこせ」と言っている乞食どもが。それは経済至上主義じゃないのかよ。
音楽業界はさっさと原著作者に不当に不利な契約慣習を改めてからものを言うべきである。でなければつぶれてしまえ。

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火曜日, 1月 15, 2008

話はわからんでもないが

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20080114/p1
だったら後から文句を言うのは筋が通らない話ではないか。
・新風舎は素人をおだてあげてぼったくり気味の価格で自費出版を請け負う
・素人は本が出ていい気分になった後に、全く売れないという現実に直面する
それでいいではないか。
まっとうな出版社に「こんなもんが売れるか」と門前払いされるのが嫌だから新風舎に金を払ったのだとしたら、その結果としての在庫の山も甘んじて受けるべきだろう(実際は在庫の山にも直面せずに済むようだが)。
曲がりなりにも書籍という形で実体が作られるのだから、ペーパー商法などの詐欺に比べればよほど良心的な商売だろう。ほとんど理由になっていない理由をつけて相場より高価い価格で売られるものなどこの世にはごまんとある(たとえば、酸素水だの水素水だの、健康食品関係はそんなのばかりだ)。
細々とでも、自分で本を作って売っている同人屋のはしくれとしては(主にリスクをしょっているのは私ではないのだが)、新風舎に「騙された」と称する素人どもがどうしようもなく醜く見える(もちろん新風舎も醜い)。
http://www.hayamiz.jp/2008/01/post-4eab.html
あぁ、やっぱり文句を言っているのは極々一部だけなんだ。それなら納得。

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火曜日, 12月 04, 2007

ケータイ小説とやらはお涙頂戴ものがケータイという新しいメディアに載ったものに過ぎない

「恋空」とか仕事でちょっと眺めたことがあるのだが、確かに文章としてのレベルは相当に低かった。だが、ハーレクインだと思えば別に目くじら立てるようなものじゃないとも思った。
レベルが高いことが世間に受け入れられることに繋がるわけじゃないのは(逆もまたしかり)、創作の基本といってもいいと思うのだけど、何故にレベルが低いものが世間に受け入れられることを許せない人が多いのだろうか。
大映の「赤い」シリーズが永遠に続かなかったように、やがてケータイ小説も飽きられて捨て去られるだろう。広く世間に受け入れられるということはそういうことだ。何故ならば、世間は飽きっぽく移り気なものだからである。

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水曜日, 11月 21, 2007

レーザープリンタ

何回か書いたが、私は同人誌を作っている。数が出ないのと原稿の上りが遅いのとで、新刊は基本コピー誌である。
一昔前までは、コピー誌といえばインクジェットで出力してからコンビニのコピー機で刷るというのが主流だったのだが、技術の進歩というのは恐ろしいもので、ご家庭でA4モノクロレーザープリンタを無理なく運用できるようになってしまい、しかもランニングコストはA4一枚10円より安いときたもんだ(カタログスペックで3円とな)。
というわけで、Brotherの一番安いレーザープリンタHL-2040を買って、今回のコミティア82の新刊の本文を刷ってみたりした。
まぁいろいろと不具合もあったわけなのだが、致命的なものは特になく、あったとしても「ページ数が多すぎて袋折コピー誌の体裁だとホチキスの針で止まらない」という、プリンタには特に罪はないものではあった。
んが。後でよくよく調べてみると、Brotherの上位機種には「ページ順番を勝手に入れ替えて両面印刷し、折本にしてくれる」という機能があるではないですか!
Amazonで価格を調べてみると、その機能が付いている最低限のスペックの機種(HL-5250DN)は、差額一万円程度であることが判明。下手こいた―!(現在、風邪で熱があるため、普段は機能しているリミッターが機能しなくなっています)。
まぁ、今回の原稿はEGWORDの不具合ですべてを一ファイルにまとめることが何故かできなかったので(ファイルを挿入すると文字が欠けたり改ページの位置が変になったりした)、都合よく各原稿が4の倍数ページになってでもいなければ、その機能が生かされることはなかっただろうが。
それでも、しばらく使ってドラム交換が必要になったらそこでHL-2040はお払い箱にして、次の機種は上位機種にしようと固く心に誓ったのでありました。

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火曜日, 11月 20, 2007

コミティア82

去る11/18に東京ビッグサイトで開催された、コミティア82にサークル参加していた。
最初は軽い気持ちで、昔書いた話をちょっと手を加えて再販しようと思っていたところが、あれよあれよという間に話が大きくなっていき、最終的に56pもあるコピー誌になってしまって、折るのは大変だわホチキスで止まらない(ぎりぎり針が通る程度)わで大後悔しかけたのだが、最終的に互い違いに3本の針で止め、表紙を両面テープで接着する(表紙が外側を包む形になるのは最初から計画していた通り)という非常手段で乗り切ったコミティア合わせの本(前置きが長いよ!)は、そのような隠れた苦労があった割にはサークルカットにもWeb上の広告にも合っていないのでほとんど売れないといういつものパターンに落ち着いた。
サークルカットにもWeb上の広告にも合致している戦車&メイド本の方は普通に売れたので(お買い上げくださった方々に感謝)、単に広報不足ということになるのだろう。広報が不足しているというのは、友人知人にも大概指摘されまくっているのだが、なにぶんイベント直前まで本を作っていることが多いので広報まで手が回らないというのが実際のところである(広報に類することを私が苦手としているというのもあると思うが)。
何故か相方が次のコミティア83にも参加しようとかやる気満々なのだが、こちらとしては新刊の目処が立たない状態でイベント参加を決めるのは何となく気持ち悪い気がするし、実際問題としてそんな短期間で新しい話を考えられる自信がないので(冬コミの新刊もまだプロット段階だし)、否定的な答を返してしまったのだが、良く考えたらオフセットで本を作ってしまったのだから、とにかく即売会には数出ないといかんのだよな。うーん、どうしたもんだろう。

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金曜日, 10月 26, 2007

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない

http://www.itmedia.co.jp/news/article/0710/25/news140.html

日本国民の9割は、自国の憲法についてのまともな知識を持ち合わせてなんかいない、という記事。
いっそのこと、宗教独裁国家になってから民主革命でも起きればいいのに(革命が起きない可能性も否定できないところが恐ろしいところではある)。
実際にそんなことになると、アメリカが軍事介入してきて太平洋戦争直後よりもひどいことが起きるかもしれないのが洒落にもなんにもなってないというか。

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火曜日, 10月 23, 2007

明治以降の日本人がキリスト教徒でもないのにポルノフォビアである理由

話は単純である。
維新当時、日本は幕府と西欧列強との間に結ばれた不平等条約をなんとか返上しようと努力していた。
西欧列強が不平等条約の言い訳として「(キリスト教的価値観から見て)野蛮な風習の残る国だから」というものを使ったため、江戸期までは比較的オープンだった日本の性風俗は、キリスト教的なポルノフォビアがより強化されたものによって押さえつけられ、不平等条約が解消された後になってもそれがそのまま残ってしまったのである。
ある種、日本人の生真面目さを浮き彫りにしている事象のひとつではあるが、経緯を知ってみると馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
不平等条約が返上さえされてしまえば、そんなものを後生大事に守り続ける理由など何もない。それとも何か、日本はキリスト教国にでもなったのか。
そんな阿呆らしい経緯で残っている習慣によって、憲法で保障された表現の自由が制約されうるという現状は、いかにもおかしな状況であると言わざるを得ないだろう。
結局、不平等条約は日清日露戦争の勝利によって返上を実現したのだから、ポルノフォビアは実質何の役にも立たないまま、前例主義によって21世紀の今日まで、ゾンビのごとき腐臭を放ちつつ生き永らえているのである。
喩えて言うならば、未だに鹿鳴館で舞踏会が毎晩のように開催されているようなものだ。これを馬鹿馬鹿しいと言わずして何と言えばいいのだろうか。

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日曜日, 10月 21, 2007

著作権法違反が非親告罪化されれば、こういうことがもっと深刻なレベルで起きる

http://d.hatena.ne.jp/wang-zhi/20071020/1192865828

>自分が所属するバンドのオリジナル曲をすべて削除された。

ニコニコ動画への権利侵害の申し出は特に権利者であることを確認されないようなので、面白半分にこういう嫌がらせをすることは誰でもいつでもできるのである。
民事で済んでいるうちはただの嫌がらせで終わるが、刑事が絡むとなれば洒落にならない事態だ。
こんな重大な法律の管理を、文化庁のような半端お役所に任せておくのは危険極まりない。Apple名義でなされたパブリックコメントの言うように、さっさと文化庁を著作権管理の管轄から外すべきである。

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木曜日, 10月 18, 2007

印刷物になった時点で本物とはまるで違うものになるのは意外と知られてない

http://fragments.g.hatena.ne.jp/kusamisusa/20071017/p1

> 問題は写真だよ。オリジナルプリントのありがたみなんて全然わからないよ。

あー。RGBからCMYKへの色空間の変換とかで苦労したことない人はそうかもね。
たとえ白黒でも網の作り方とか色々あるからな。印刷物の世界は奥深いよ。フィルムの粒状感とか言い出すと写真の世界も奥深いけど。
そういやCGの世界でも、カラーマネジメントという概念が無かった頃は、絵の端にグレーの模様を置いて、「これがこう見えるようにモニタを調整してから見てね」とかやってる人もいたな。もしかすると今でもやってるんだろうか。

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木曜日, 10月 04, 2007

頭の中身はなるべく速く可視化したい

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/09/post_1419.php
私にも同様の傾向がある。私の仕事は「拙速」と呼ぶに相応しい。
絵に関しては未だにそういう傾向がある。最後の段落で書かれているような境地に至ったのは、文章くらいなものだ。文章はちょっと間を開けて推敲しないと、ちゃんとしたものにならない。

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木曜日, 9月 27, 2007

同人誌やニコニコ動画のメインストリームはなぜ二次創作なのか

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20070926/1190783435

kanose [Webサービス] ニコニコ動画のところを同人誌に変えても成立する話だと思うが、なぜ二次創作なのか?という謎が。二次創作じゃないと感想もらえないからだと思うけど/らばQはもうメソッドになっていたのか!

カラオケでもそうだけれども、完全なオリジナル曲やマイナーな歌手の曲よりは、みんなが知ってる曲を歌った方が受ける。それは受け手の方も、元の歌手の歌というお手本を知っているから、目の前で行われたパフォーマンスのレベルの判断がしやすいからだと思う。
同人誌も同様で、純粋な絵の上手い下手はともかくとして、完全創作よりも二次創作の方が話に入り込みやすいし、良し悪しを判断しやすいだろう。私はかなり特殊な二次創作しかしたことがないので(コンピュータゲームを元にして作ったボードゲームのルールを売ったことがある)、受け手としての判断しかできないが(それでも受け手として二次創作の方が好きというわけでもない)。
まぁ、二次創作の方が完全な創作よりは咀嚼のレベルが低いので(これは創作物のレベルを云々するものではない。為念)、純粋に作り易い、という面もあると思う。これもカラオケと同じ。

ところで、同人誌作って売ってても、感想なんかさっぱり来たことがありませんよ(まぁ、連絡先としては絵描きの人のメールアドレスが書いてあるくらいのそっけないものなのだが)。
「電源不要ゲーム」で参加していた頃は、最後に止める時にWebであらかじめ告知したので、「止めると聞いて、ぜひ買ってきてくれと友人に言われました」という人が一人いたくらいで、後は売り切れた後に「次も出るんですか?」と聞かれるくらいなものだった。
「創作少年」で参加するようになって、相変わらず感想をくれる人は全く現れないけれども、会場で「次も期待してます」とか一言声を掛けてくれる人は多くなったように思う。でもそこ止まり。
確か「稀有馬屋」では感想を送ってくれた人に小冊子を送り返すサービスとかしていたはずだが(他にもそういうサークルはあると思う)、これはプロがエロで二次創作をしていても、感想を貰えるという保証にはならないことを如実に表している。コミケでの読者からの反応は、ほぼすなわち「売れた部数」なのだ(後は売り切れるまでの時間かな)。
ニコニコ動画のコメントなんて、それに比べたらものすごい濃密だ。あんなに感想が来たら、創作同人者は滂沱の涙を流すに違いない。いや、俺なら流すね、絶対。最近涙もろいし。

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土曜日, 7月 28, 2007

アグネス・チャンは思想弾圧を正当だと考えているようだ

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/news/20070628ddm012040147000c.html

わいせつなアニメも子どもへの性的関心をかき立てる。それがいまだに「個人的な趣味」と正当化されている。

まー、日本は言論の自由が憲法で保障されてますから、誰が何を言ってもかまわないんですけどね。
"テレビのサスペンスドラマは犯罪への関心をかき立てる。それがいまだに「個人的な趣味」と正当化されている"と置き換えてみれば、アグネス・チャンがいかにおかしなことを言っているのか解るのではなかろうか。ポルノフォビアの人間は、どうして現実とフィクションの区別がつかない人間ばかりなのか。
あらかじめ言っておきますけど、日本の憲法には「思想および良心の自由」も保障してますからね。アグネス・チャンの言ってることが全部実現したら憲法違反だからね。
確かに、少女売春の被害者になった子供たちは可哀想だろう。しかしそれは、その国の法および警察力の問題ではないか。外国だろうがどこだろうが、現地の法を犯した人間は日本人であろうがなかろうが逮捕されて司法の場で裁かれるのが当然だし、逮捕されない犯罪者がいるからといってフィクションまで規制しようなどという思想は、私には断じて容認できない。
それは「善意で舗装された地獄への道」に他ならない。

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火曜日, 7月 17, 2007

ヘンリー・ダーガー展に行ってきた

原美術館のヘンリー・ダーガー展が今日までだと金曜に知ったので、いつもの休日よりはだいぶ早起きして見に行った。ヘンリー・ダーガーがどういうアーティストなのかは、ググってもらって他の詳しいページを参照されたし。簡単に言うと、孤独な生活の中で15000ページにも渡る少女と大人の戦争を描いた「非現実の王国で(In the Realms of the Unreal)」という小説を執筆し、その挿絵も描いたという人物である。
ヘンリー・ダーガーの名前は多分以下のリンクで知ったと思う。
http://homepage3.nifty.com/kazano/diary9904c.html#26
元からオタク的世界との親和性を含んで語られていたのを読んだお陰で(という言い方もないか)、少しだけ気になる存在ではあったのだった。
しかしながら、日付をよく見てもらえば判るが、なにせ8年以上前のことなので、「精神病絡み」「戦う少女を題材にしている」くらいの記憶しか残っておらず、会場は美術館であるので小説の挿絵である絵は飾られているが、「非現実の王国で」自体の詳しい説明はあまりないのだった。
そのお陰で、最初にある「あまり過激な作品は飾ってません(意訳)」という注意書きもピンと来ず、絵もなんとなく漫然と眺めてしまったのだった。
ミュージアムショップでダーガーを特集した美術手帳という雑誌を買って「非現実の王国で」についての文章を読んで、予習してから行けばよかった、と少し後悔した。
もちろん、展示されている作品群は非常にインパクトの強いものばかりで、漫然と眺めたとはいっても、そこに展開する異様(と言ってしまおう)な世界に引き込まれ、それなりに時間をかけて見たつもりなのだけれども(絵に描かれた少女の台詞が書き込まれていたり、状況を説明するト書きが書き込まれていたりするので、それを読み取ることを試みたり)、やはりこれは小説が元になった挿絵なのであり、そのアウトラインだけでも知っているのと知らないのでは、ぜんぜん違う。
というよりは、私は美術手帳に断片的に抄訳されている「非現実の王国で」に引き込まれた。ダーガーは精神遅滞だったと診断されていたらしいが、モチーフが異様な世界であっても、これだけの文章を書ける人間が精神遅滞であるなどとは、私にはとうてい思えない。
実際に存在している15000ページの原稿は、話がつながっていなかったり、明確なラストシーンがなかったりと、全編を読み通すのが困難なものになってしまっているらしいのだが、もし彼が普通の人間として普通の教育を受け、それでもこの創作に情熱を傾けていたとしたら、一体どんな作品が出来上がっていただろう。
もしかすると、凡庸な作品が残り、誰にも省みられることなく消えていたかもしれない。それでも、きちんと世に受け入れられる形でこの大長編が完成していたかも知れないと思うと、なにか途轍もない損失が起こったような、そんな気がするのである。
それとも、この私を惹きつける何かは、未完成なものだけがまとう、一種独特な魅力なのだろうか。

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