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r-fukai's Diary ausf blogger

火曜日, 5月 29, 2007

騙されているようで実はそうでもない人

http://www.nandeya-card.net/blog/2007/02/post_96.html
ぱっと見の印象は単に騙されている人のように見えるのだが、よくよく読むと、「水からの伝言」の批判をしている。
>ものごとの『いい』『悪い』も、『感謝のキモチ』も、科学で証明しないと通じないなんて、悲しいですね。。。
「水からの伝言」がしていることはまさにこれであって、「水からの伝言」を教育に使おうとする輩が考えているのもまさにこれなのだ(正確には、ものごとの『いい』『悪い』を科学の権威を使って子供に納得させようとしている)。
批判するようなことを言っているのだが、おそらく本人の心象世界では「水からの伝言」になんら含む所はないのではなかろうか。「水からの伝言」が本当は何をしているのか、というところには踏み込むことなく、批判者が踏み込むのを見て不愉快さを言葉にしたのではないだろうか(何故に「水からの伝言」ではその不愉快さを感じないかといえば、「水からの伝言」の著者はそれを巧妙に隠そうとしているのに対して、批判者は大っぴらにひけらかしているからである)。

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いたちごっこになるのは当たり前

http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007052804850.html
児童ポルノに限らず、ポルノの規制というものの本質は「情報統制」なのだから、いたちごっこになるのは至極当然である。
ポルノほど訴求力が強くない情報ならば、速やかに統制が完了する可能性もないわけではないが、大概は統制など不可能だと考えて間違いない。
我々は、全体主義的小規模集団に属して生きているわけではないのだ。
このあたり、日本よりも自由へのこだわりの強い米国の住人達はどのように考えているのだろうか。

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水曜日, 5月 23, 2007

少なくとも810SHのモバイルSuicaはバッテリが切れると途端に動作しなくなるらしい

http://d.hatena.ne.jp/feather_angel/20070519/1179542951
以前にもそのことを勘ぐったエントリを書いたのだけれども、やはりそうか、そうだったか(鬼の首を取ったように)。
端末のメーカによって事情はいくらか変わると思われるけれども、おそらくは微弱な給電が続いていなければ動作しないと思われる(JR東日本の説明を読むに)ので、どこのメーカでも似たり寄ったりの結果になるのではないか。なぜならば、携帯電話端末の電力事情はどこでも逼迫しているはずだからである。
ところで、この実験をした人は、電池の切れたモバイルSuica携帯電話端末を抱えて、いったいどうやって改札外へと脱出したのか、その方法が気になる。駅員に事情を話して正規の料金を支払ったのだろうか? それとも用意周到にポータブルの充電器を持ち歩いていたのだろうか。はたまた構内のコンビニで使い捨て充電器を購入したのだろうか。

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裏庭の核融合炉

http://news.livedoor.com/artivle/detail/317003/
核融合が本当にできているかどうかは眉唾モノだし、持続可能な核融合(ついでに投入エネルギー<発生エネルギー)でなければ、実用核融合炉にはならないわけだが(そもそもこれらの条件を満たさない装置を「炉」と呼ぶべきなのか)、写真を見るに、プラズマを発生させてそれでなにがしかの実験を行う施設には見える。
その程度の装置であれば、大学の研究室の居室―つまりは専用の特殊な設備がない場所―に設置できるレベル(大学時代に所属していた学科にプラズマに対していろいろやってる研究室があったので、装置を見たことがある)なので、ガレージにあってもそれほど不自然ではない。電源の供給がちゃんとできているのかは疑問だけれども、できてるんだろうな、たぶん。
それはそれとして、核融合が成功しているならば必然的に発生する中性子や、プラズマの操作によって発生する可能性のある強力な電磁波に対する防護設備が何もないように見えるのはちょっと気になる。

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メタボリック症候群でも寿命には無関係

http://sasapanda.net/archives/200705/13_0055.cgi
ほーらやっぱり。
あんなのは医薬品業界と健康機器メーカの懐を潤すためのペテンに決まってる。
とある正直な医者が、「高血圧なんてのは病気でもなんでもない!」と思わず言ってしまったら、患者は大喜びでそれ以降通院することはなかった、というエピソードを見たことがあるが、それとまるで同じことだ。
太ることで必然的に起きる運動不足による体力の低下は当然健康や寿命に関係すると思うが、太ることそれ自体と寿命を結びつけるのは拙速に過ぎる。

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月曜日, 5月 21, 2007

バガージマヌパナス

石垣島の記憶が薄れすぎないうちに、石垣島が舞台だという池上永一の「バガージマヌパナス」を読んだ。バブルが来るか来ないかの頃の石垣島が舞台であるので、私が見てきた島とはだいぶ様子が違うように思った。どちらかといえば竹富島の風景に近いような印象である。
路線バスで移動中(宿から市街のターミナルまで700円も掛かる。時間もそれに見合うだけ掛かる。いや、路線バスが運行しているだけでも立派なものだという話もあるが)、途中で見つけた「ヨーン」という日本語とはとても思えないバス停の名前が、「闇」という意味であることがわかった(リュウキュウ松の密林なので昼なお暗い状態だったことからついた地名らしい)。
大分昔に読んだ「風車祭(カジマヤー)」も実は石垣島が舞台だという話なのだが、さっぱりイメージがわかない。島内では黒毛和牛はたくさん見たが、豚は見なかった(風車祭では、豚の妖怪が大変重要なキャラクターとして登場し、その行動は島内での養豚事情に左右されるのである)。

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活字中毒とビブリオマニアは違うもの

http://blog.livedoor.jp/soylent_green/archives/50988157.html
本題とはまるで関係のない突っ込み。
ここで挙げられている症例は「活字中毒者」のそれであって、ビブリオマニアとは微妙に違う。ビブリオマニアは日本語で書けば「書痴」となり、その病態には必ずしも「読むこと」が伴わなかったりする。
つまりはビブリオマニアというのは、「本」という形式や存在そのものに愛を感じている状態であって、活字であればとにかく何でも良いという状態になりがちな活字中毒者とはずいぶんと様相を異にするのである。
例えば、活字中毒者は電車で移動中に何も読むものがなくなると、とにかく活字を求めて吊り広告を端から端まで読み始めたりするし、エレベータの待ち時間などで手持無沙汰になると、手に持った食い物の成分表示を読み始めたりもするのだが、ビブリオマニアはそのような状態にはおそらく陥らない。
私はやたらと本を貯め込みたがる類の人間なのだけれども、ビブリオマニアでははっきりなく、活字中毒の気は多少なりともある。だからビブリオマニアの人間がどのように思考するかについてはよく解らないのだけれども、おそらくは移動中に本を読みたがることはあまりないのではなかろうか。なぜならば、そのようなことをすれば必然的に本が傷むからである。

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木曜日, 5月 17, 2007

石垣島行

個人的には、「そんな事をやってる場合じゃないだろう!」と突っ込みを入れたいところなのだけれども(その週の頭まで風邪ひいて寝込んでたおかげでスケジュールの遅延が洒落にならんレベルになっているし、風邪も抜けきっていない)、何年かぶりかの社員旅行とやらで、石垣島まで連れて行かれてしまった。
ここ10年ほど、海水浴はおろか泳ぐことさえなかったので海パンは現地調達とか、それまでの寝不足から思い切り寝坊して危うく行きの飛行機に乗り遅れそうになったとか(実際には出発1時間前の集合時間から30分遅れ、すなわち出発の30分前に到着した)、那覇空港での乗り換えも含めて四時間近くの飛行機での移動とその後、空港から宿までの1時間近いバス移動、合計5時間の移動の末に、宿に到着してたった1時間の休憩を挟んだだけで、砂浜で全力疾走したり全力で綱を引っ張る羽目に陥ったりとか、寝坊して大慌てで準備したので着替えが足りなくなったりとか、色々と問題はあったのだが、おおむね楽しい旅行であった。
沖縄は1971年までアメリカだっただけあって、バスのターミナルにあるような場末の公衆便所でも和式ではなく洋式の便器だったのが印象的だった(いや、もっと別のところがあるだろう。東シナ海の波の少なさは異常とか)。
旅行の直後に見たデイリーポータルZで、日程二日目に自由行動で行った竹富島の話題が扱われて個人的なシンクロニシティを味わったりもした。

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