某所での議論が長くなったので、エントリとして立てることにした。興味がない人は無視してください。
例えば、あるコードを書いて売ったら$10になるとします。実際には国や地域によってかなり変動があると思われますが、話を簡単にするために世界中どこでも$10だとしましょう。
アメリカ人でプログラマをやっているレベルの人間にとって、$10を寄付することは別にどうということはありません。日本人でもそうでしょう。しかし、富裕層に属さないインド人にとってはどうでしょうか? その他の途上国の人間にとっては?
GPLは、GPLに関わる限り、その$10のコードをGNUコミュニティに寄付することを
強要します。$10を寄付することなどどうということのない先進国の人間は、GNUコミュニティに参加することでコミュニティにフィードバックし、自身もコミュニティからフィードバックを受けます(これはソフトウェアが利用できるかどうかという意味ではなく、プログラミング技術習得の話です)。
しかし、$10を寄付することが難しい途上国の人間は、脇から指をくわえて見ているか、身を切られるような$10を寄付してGNUコミュニティに参加するしか選択肢はありません(GPLのコードを眺めることさえ、訴訟リスクを考えると危険です)。
私はこの構造を指して「搾取」と呼びます。GNUプロジェクトを完全に無視すれば搾取構造に取り込まれることはありませんが、オープンソース文化にGNUプロジェクトはもうすでに深く食い込んでいて、無視し続けることは難しくなっていますし、BSDLなどのより自由なライセンスで公開されたコードも、GNUプロジェクトの人間の手が加わることでGPLに汚染されてしまいます。
GPLは世界中すべての人間を公平に扱うがゆえに、いわゆる「フェアトレード」にならない、すなわち搾取構造を形成していると私は主張しています。現在の世界は「効果範囲が限定的であっても、すべての人間を公平に扱えば良い方向に進める」などという理想的状況からは程遠い状態にあると私は認識しています。むしろ、効果範囲を限定せざるを得ないのであれば、やらない方がマシでしょう。全ての人間に自分の理想を押し付けたいのならば、まずは世界を理想的状況に近づけることから始めるべきだと私は思います。
途上国プログラマの収入等の具体的ソースを示さなければ納得しない、というのであれば、納得しなくていいです。むしろ、「途上国のプログラマは先進国のプログラマと比較しても遜色ない収入を得ているのだから、この問題提起は無意味だ」という主張をしたいのであれば、その事実を示していただきたい(そんなことはおそらくありえないと私は思います)。
参考その1:GNUプロジェクトを批判している人。リンク先の/.-Jの議論も興味深い。GPLはそもそもの性質(不可逆性)からして搾取的であるという指摘と、GNUは宗教であるという考察。
http://www.flcl.org/~yoh/diary/20051227.html参考その2:SUNのJ・シュワルツによるGPL批判(あまり額面通りには受け取れないが)
http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000056022,20082423,00.htmラベル: コンピュータ, プログラミング, 社会問題