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r-fukai's Diary ausf blogger

金曜日, 2月 25, 2005

MSがネットワーク経由の製品アクティベーションを中止

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0502/25/news075.html
うわ最低だ……。

木曜日, 2月 24, 2005

Mac miniとiMacの機能比較

Mac miniはiBookからキーボードと液晶モニタを取っ払ったようなものである、と認識してそれで満足していたのだが(買う予定がないので)、誰かに購入候補としてどうなのか、という相談を受けたときにそれでは困ることに気付いた。
Mac miniはiMacと競合する製品なのだ。
iMacのハードウェア的な素性は一体どういうものなのだろうか(マザーのバス速度とかメモリスロットとかそんな話)。ちょっと調べてみようかと思うが、はて、手がかりがないなぁ。Macの雑誌を買わなくなって久しいので、かなりその手の話題に疎くなってしまっている。
とりあえず、「iMac G5 アーキテクチャ」でググって見つけてきたこのサイトが一通りの説明になっているようだ。
http://www.medicalmac.com/mac111.html
やはりCPUが変わると周辺チップから新規に設計しなおすということをやっているようだ。
というか、このサイトの論調は、iMac G5の設計は来るべきPowerBook G5の露払いとして行なわれているということのようだ。
残念ながら、上のサイトではMac miniのアーキテクチャに関する情報はないが、
http://macintosh.cocolog-nifty.com/welcome/2005/01/mac_mini_1.html
などで「iBook G4に準ずる」とされているので、iBook G4のアーキテクチャ……も最初のサイトには載ってない。うーむ。
まぁ、液晶モニタとキーボードをMac miniと一緒に買おうと思っているような人には、iMac G5の方が明らかにお勧めというところに落ち着くしかないのか(腰砕けオチ)。

自閉症(先天的疾患)が増えたのはゲームが原因と森(ゲーム脳提唱者)が発言

http://allabout.co.jp/game/gamenews/closeup/CU20050201A/
はいはい皆さ~ん、阿呆がまたなんか言ってますよ~。
しっかし、日の当たる場所で完膚なきまで叩いてやらんと、「こいつが阿呆である」という共通認識ができないのだろうか。
阿呆のミームを撒き散らして日本社会の知性の平均値の低減を図るこのような輩は、大変不本意ではあるけれども、「阿呆は喋るな」と言ってやらないといかんのだろうか。
理想を言うならば、「阿呆の意見は華麗にスルー」という基本技能を身につけるための教育を、公教育の場で行なうべきなんだろうけれども、それが効果を表すとも思えず。
ちなみに、自閉症が先天的疾患にしか使われない言葉であることは、ちょっと自閉症について調べれば30分もせずに判ることである。

ゴリラにセクハラされたと訴えている人がいるそうな

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_02/t2005022123.html
セクシャルハラスメントに限らず、ハラスメントという行為はそれに関わる二者に尊厳が認められる場合にのみ成り立つ概念ではないか。
動物相手にハラスメントとは片腹痛いにも程がある。
この件では、動物の要求に従わない場合には解雇されるという労働条件のみが問題なのではないか。

水曜日, 2月 23, 2005

日本テレワークがオタクのドキュメンタリーを作るという情報に関するあれこれ

日本テレワークがSF作家でもある野田昌宏が所属する会社で、野田昌宏がスタジオぬえを引っ張り込んで結構好き勝手に作った初期の「ひらけポンキッキ」はSFマインドが感じられる番組だったということは知っているけれども、日本テレワークの仕事の全てからSFマインドやオタクに近しいものを感じるわけではないし、日本テレワーク社員が全員SF者である筈もなく、それなりに偉い立場にいる人間が個々の細かい仕事に口を出してくる可能性は0ではないにしてもとても低いものであるという常識からして、「日本テレワークの仕事なのだからオタクにとって安心」などという判断はできないと思う。「ひらけポンキッキ」という番組が存在しえたのは一種の奇跡だと思うからだ。
「トリビアの泉」が、雑学に関して一家言ある人間から見たら果てしなくウスい番組である(それでも、一ヶ月に一つくらいは「おっ」と思わせるものが出てくるわけだが)ことを踏まえればなおのことである。
あ、もしかすると、もはや「濃い」ことはオタク的美点の一つではなくなっていたりするのだろうか。

ちゃんと交換する任天堂

ついカッとなって「プレイやん」などを買ってしまったわけだが、佐川の不在票が入っていた日に任天堂からメールが来た。
「イヤホンジャックの左右出力が入れ替わってたので交換します。3/5頃に荷物が行くので引き換えてください」
てな内容。
これ、SCEなら修理対応なんじゃなかろうか。

万引き?

あびる優の集団窃盗事件だが、これを万引きと呼称する人間が多いのが気になる。
gooの国語辞典で万引きをひくと、
---引用開始---
まんびき 0 【万引(き)】

(名)スル
〔「まびき(間引)」の転〕客のふりをして、店から商品を盗むこと。また、その人。
「高級品を―される」

三省堂提供「大辞林 第二版」より
---引用終了---
となる。
この説明文と、倉庫に侵入して段ボール箱ごと商品を盗み出す手口とは明らかに異なる(もちろん強盗とも異なる)。
いくら信憑性に乏しい(かどうかは私は知らないが)告白のみが情報源だからといって、情報源と明らかに異なる言説を以って言及するのはいかがなものだろうか。
あ、事務所が万引きだって言ってるから万引きなのか。そうか。それじゃ私はあの声明は全く信用してないってことで一つ。
もし信用するならば、小学生の万引きごときにわざわざ他人の大人が口を出すものではないと考える。

火曜日, 2月 22, 2005

こんなSPAMが来た

「僕の住んでるロシアの街は公害が酷い。僕のお母さんは僕が5才のときに公害が原因で死んだ。だから逃げ出したいんだ。逃げ出す資金頂戴」というSPAMが来た。
英語の文面に感情移入できるほど私は英語が達者ではないので、「ふん」とばかりに鼻息を漏らして削除した(春先に、鼻から息を漏らすことができるのはなんて幸せなことか)。
つーかこんなのに引っかかるほどのお人好しというのは本当に存在するのだろうか。
ちょっと実験してみたくもなったが、下手をすると犯罪だしなかなか手間も掛かりそうなので止めておく。

月曜日, 2月 21, 2005

戦争反対とかいろいろ

まず言いたい。「お前ら、戦争に賛成反対の議論ができるくらい戦争について知ってんのかよ」と。
第二次世界大戦に実際に参加して(させられて)、その実感の上での言葉なら、たとえ一個人のごく狭い範囲の見聞のうちにされたものであったとしても、その言葉は重い。たまに中国共産党にオルグされちゃってから語り始める人がいたとしても、やはり重い。
私が小学生の頃は、夏休みの宿題として「おじいさんに戦争体験について聞いて感想を書きましょう」なんていう鬱陶しい課題が出たものだ。まだ戦争中に現役だった人が沢山生きていた。
もう亡くなってしまった私の祖父は、旧中島飛行機に勤務していて戦地には赴かなかったので、あんまり悲惨な体験は聞けなかったし、それなりに裕福だったために戦後の混乱期にもそれほどひどい目に遭ったわけでもなかったらしいので、私の個人的見聞の範囲では、戦争はそれほど悲惨なものではない、という、教師から見たらとても罰当たりな見解を持っていたりした。流石に小学生ともなればそれなりに空気が読めるわけで、心の底ではその命題を疑っていたとしても、表面的には「戦争は良くない」みたいなまとめをしたわけだが(今よりよほど世長けている)。
他にも、私は直接体験していないのだけれども、1960年代くらいの少年誌の巻頭カラー特集で、旧軍の兵器に関する記事が矢鱈と取り上げられた時期があったと見聞きしている。ゼロ戦(私はこの呼び方は嫌いだが)の神格化なんてのはこの辺りの話なのではないか。この時期に雑誌の記事を作っている人間が、戦後生まれということはあるまい。彼らも戦争の体験者であるはずだ。なのにこのような能天気な記事を作ることができるということは、彼らにとっても戦争は別段悪いものではなかったに違いない。少なくとも喉元を過ぎてしまえば能天気に格好良い・悪いで語れるレベルの。
確かに歩兵として戦闘に参加し悲惨な目に遭った人や、実際に住んでいた場所が戦場になった人、爆撃等で身内を亡くした人は沢山いる。その人達にとっては戦争は二度と経験したくない酷い体験であったであろうことは想像に難くない。
とはいえそれは所詮は他人事なのだ。他人への共感よりも優先されることなど、いくらでもある(少なくとも私にはある)。それは改められるべきものかもしれない。しかし、それは厳然として今存在するのだから、無視しても話は始まらない。
何が言いたいのかといえば、奇麗事だけ並べていても実質的な効果など期待できないというごく当たり前のことだ。
実際に自分が酷い目に遭ったと、その体験を語ることは悪くはない。しかしながら、それは聞く側の共感と善性に頼った行動であることを心に留めておくべきだ。
正しいことを言っていさえいれば、それが現実になるなんて幻想は捨ててしまおう。
世の中の人間が全て善性を持たぬとは言わない。ただ、目が眩んでそれが見えなくなってしまっている人間は確実にいる。本当に戦争を防ぎたいのなら、むしろそういう人を動かす方策を考えるべきなのではないか。
私が戦争反対を唱える人たちに対して感じるのは、こういうじれったさだ。大多数の善性に頼らなければ維持できない平和など、危なっかしくて見ていられない。

被災した新潟の造り酒屋

オタク的には何かと話題のEZ-TVの2/20放送分で、新潟の地震で被害を被った造り酒屋のドキュメンタリーをやっていた。
被災後に作った酒が現在出回っているそうで(しかも具体的な販売店名まで挙げていた)、おそらく即日完売の勢いで売れるに違いない。
題材として取り上げられたその造り酒屋は、他の被災した全ての新潟人よりも明らかに恵まれた立場に置かれたわけだから、積極的に他の新潟に居を構える蔵の日本酒を買った方がいいのかもしれない。

ジブリの独立話にはこんな事情まで絡んでいたようだ

http://it.nikkei.co.jp/it/news/newsCh.cfm?i=2005021804467j0&h=1
要するに、ジブリの独立事情は全く以って他のスタジオの独立可能性には関係なさそう。
能天気に書き立てておけば、誰かが早まって独立し、上手く行くものと上手く行かないものが出るけど、上手く行ったものだけが人口に膾炙するから後世から見ればアニメ製作スタジオの独立のきっかけになったように見えるというからくりだろうか。
上手く行かなくて失われてしまうものに対する心遣いというものは欠けていても全く構わないのだろう。それが経済というものだから。
つーかよく考えてみたら、徳間は日本SFの牙城の一つじゃないですか。
現在のSFはいかにも不採算部門な雰囲気が濃厚だから、この機に切捨てということは大いにあり得ると思えてしまうのが憂鬱である。
実は徳間のラインナップっていまいち琴線に触れるものがなくて、ほとんど貢献してないんだけど。

金曜日, 2月 18, 2005

寝屋川の教師殺傷事件から見るマスメディアのレベル

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_02/t2005021701.html
記事中で、あたかも「ゲーム脳」が既に科学的に認められた概念のごとく登場するが、そんなことがあろう筈がない。あれは根本からして間違っている理論(と呼ぶのもおこがましいが)であることは、精神科医である斉藤環氏の反論に詳しい。
http://www.tv-game.com/column/clbr05/
マスコミに従事する人間というのは、世の中のほとんど全ての人間よりも愚かでなければ勤まらないのではないかと疑いたくなる。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20050211.html#p01
ここに書かれているような「限界」は、実は視聴者ではなくテレビ関係者に依存するものなのではないか、とまで思えてしまう。

メイド苺狩り農園現る

http://www.4115.co.jp/
この前にやった「メイド喫茶は明治から昭和初期に流行したカフェーのようなもの」という論とは微妙に異なったものが出てきた。
はてさて、どう評価してよいものやら。

楽天はメディア進出に[意欲的|消極的]

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20050217/20050217-00000065-nnn-bus_all.html
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20050218/20050218-00000019-jnn-bus_all.html
こちらは全く同じニュースソースから全く正反対の記事が生成できるという好例。
どちらの記事も断定的に書かれているが、三木谷氏がどう考えているかに関しては記者もしくはデスクの予測に過ぎないということなのだ。

まさに国賊

http://www.doblog.com/weblog/myblog/15765/1028517#1028517
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15765/1030256#1030256
沖ノ鳥島に関する否定的意見が米Wall Street Jarnal紙に掲載されたと一部マスコミが報道した件について、元記事には何が書いてあったかに関して調べた人がいる。
元記事には「軽蔑する」と書いてあるが、私は「日本のマスコミは日本の国益を邪魔する存在だと言われて久しいけれども、ここまで露骨なことをやるものなのか」という感想を持った。
はっきり言わせてもらえば、この行為は工作活動と呼ばれるべきものだ。「国賊」という言葉は60年ほど前に濫用されすぎて意味が歪んでしまったけれども、この記事を配信した人間こそ「国賊」と呼ばれるべき輩であろう。
自覚してやっているならまだいい。もし、これを無自覚に行なっているのならば、根っからの反社会的人格であると言ってしまっても構わないのではないだろうか。

木曜日, 2月 17, 2005

コントラストが紙と同じ液晶

http://www.itmedia.co.jp/pcupdate/articles/0502/16/news091.html
実物を見てみないことにはなんとも言えないが、もしこの技術に万人が充分だと認めるだけの効果があるならば、電子書籍が本格的に定着するためのブレイクスルーになるかもしれない。
通勤電車や駅などを見渡せば、今や本を読んでいる人間よりも携帯の画面を見つめている人間のほうが遥かに多いので、状況が全く変わらない可能性も結構あるとは思うが。

リンクの扱いについて

主にめんどっちいという理由により、記事中にリンクを含める場合、URLをそのままアンカー文字列として使ってきたわけなのだが、表示が乱れることが多いようだ。
また、これは低レベルなフィッシング詐欺の手法として使われているものでもあるので、いまいちかもしれないと思い始めた。
特にこうしようというポリシーが固まっているわけではないが、ちょっと考えてみることにしよう。

意外とモラリストな私

美容法として、胎盤の抽出物とか胎盤そのものを塗ったり摂取したりする方法があるらしい。
プラセンタでググると、結構な数のページが引っかかる。
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF
ググって出てくるページの全てがそうだとは思わないが、先日、人間の胎盤を流通させていた業者が摘発されたというニュースがあった以上、このうちの何割かは人間のものを使っているわけだ。
まぁ、自身の見た目を維持するために何をやったっていいといえばいいんだけれども、これって御伽噺に出てくる鬼婆もしくは魔女が、自身の若さを保つために乳幼児を捕まえて食べてしまうというストーリーそのままではなかろうか。
私は自分を倫理面ではかなり放縦な性質だと認識してたのだが、カンニバリズムにつながる事象がおおっぴらに行なわれているというこの事実を知って気分が悪くなったりしているようでは、意外とそうでもないようだ。

火曜日, 2月 15, 2005

マッドサイエンティスト・カフェ

http://madscientist-cafe.org.uk/
第44回日本SF大会向けの冗談企画らしいのだが、昨今のメイド喫茶の隆盛を見るに、需要の量によっちゃあ実現性もそれなりにありそうな気が……。
しかし、科学に造詣が深くてなおかつ社交的で人当たりがよく、平均以上の容姿を持つ人間が、いくら高待遇であろうとも水商売などをやりたがるとは到底思えぬ。非常勤ならやる人間もいそうだが、それでは店舗の営業が成り立つまい。
科学に造詣が深いが、社交的でもなく人当たりが悪く、十人並み以下の容姿の人間ならその辺にごろごろ転がっているだろうが、また彼らにしても水商売をやってみようと思うかどうか(社交的でなければ客商売などできぬことくらいは、本当に科学に造詣が深いのならば論理の帰結として理解できるはずだ)。
よって実際にやってみようとしても企画倒れに終わるであろう。めでたしめでたし。

アニメ製作スタジオの独立は

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibri/cnt_eventnews_20050215b.htm
こんなもん、ジブリだからできたに決まっとろうが。なに能天気なことを言ってやがる。
むしろ、ジブリほどのスタジオでも、独立するにはこれだけの期間が必要だったという絶望的な例だと見るのが正しいと思う。

TEPCOひかりの開通まであと50日

http://psychodoc.eek.jp/diary/?date=20050210#p01
なんとまぁ、TEPCOひかりは、申し込んでから開通まで平均50日掛かるそうな。
NTT東日本との交渉でぶち切れて衝動的に廃止にしなくて良かった。本当に良かった。
しかし、これはlast one mileの工事を行なう人間が本当に足りないのだな。
NTT MEからやってきたおっちゃんの工事風景を見るに(なにせ、契約者がいないと工事をしてくれないもんだから、必然的に見ることになるわけだ)、子供の頃にねじ回しで分解できる機械を分解して組み立て直せた人間なら誰でもできそうな作業しかしてなかったように見えたのだが(ファイバーの被覆を剥いてなにかの部品に挟み込み、機械にセットしてボタンを二三回押す。上手くいかなかったらもう一回なにかの部品に挟み込むところを慎重にやり直す、という工程だった)、あれはやっぱ何かの国家資格が必要で、その資格はそう簡単には取得できないものなのだろう。
私のように既に自動的に金をむしりとれる人間に対するフォローならともかく、これから自動的に金をむしりとることができる予備軍の人間を、50日間も待たせておけるというのは、これはもう大変な機会損失であるわけで、正常な企業なら多少の無理をしてでも工事のための人間を雇い入れて対応するであろうからだ。
普段からこんなことばかり言っていると、何が本気で何が冗談なのかさっぱり判らなくなってしまう。書いている本人がわからないのだから、読者はもっと判らないであろう。

世界標準であることをプラスに捉える消費者はいないのでは

だって、世界標準だと何が嬉しいのよ?
英語が喋れるわけでもなけりゃ、海外旅行なんか一生のうちに100回もしたなら多いほうなのに。
たとえそれが日本独自仕様で世界標準からかけ離れていたとしても、使い慣れた方式のほうが良いに決まっている。
この意見に異を唱える人は、何故に英語を日常語とせずに日本語を使い続けるのか教えていただきたい。

熱湯浴じゃなくてネット右翼という概念について

なんか知らんが、私が子供だった頃の日本では「思想的に左寄りであることは道徳的である」という風潮があったように思える。
現在においても、左寄りであることを隠さないメディアや言論人は、そう考えているのではないかと勘繰れるだけの言動を繰り返しているように見える。
それは要するに、建前や奇麗事の範疇に入ってしまうことなのではないか。そして、擬似的にでも匿名で発言できるインターネット世界において、わざわざ建前や奇麗事を語りたがる人間などいなくて、場合によっては露悪的過ぎるほど本音を語ることが普通である(奇麗事はまぁ他者からの評価にも因るのでないとは言わないが、わざわざ建前で語っている人間はそうはいないだろう)。
というわけで、インターネット上の言論は右に振れたもので溢れ返ることになる、という説はどうだろう。

水曜日, 2月 09, 2005

市民に通報義務を明示的に課す条例案

http://news.tbs.co.jp/20050208/headline/tbs_headline1128028.html
なんか以前に「違法行為を目撃したら通報するのは社会構成員の義務である(が、最近はそうでもない)」みたいなことを書いた気がするのだが、東京都議会は「最近はそうでもない」という点をかなり憂えているようだ。
「本当はこんなことはやりたかないんだけど、そもそも、みんながちゃんと義務を果たしてくれればこんなのは無意味になるからいいでしょ」くらいのつもりで条例を作っているのだろうか。
「悪事を目撃した際に、それをしかるべきところに報告する」という行為は、短期的にみれば確かに余計な手間を要する無意味な行為に見えるかもしれない。そう判断する人間が大多数を占めてしまえば、社会秩序を維持するためのコストが極度に増大してしまうであろうことは火を見るよりも明らかだ。
そう考えると、まぁ悪い話ではないのかな、という感想も出てきそうなものだが、条例とはいえ法の条文に一度なってしまうと、それを撤回させることはなかなか難しく、官僚による恣意的な運用はやり放題という日本の現状を考えるに、この条例案は果てしなく危険なものであると判断せざるを得ない。
というわけで私はこの条例案には反対である。東京都民じゃないから関係ないといえば関係ないんだけど、生活の基盤の半分(もしくはそれ以上)を東京都内に置いているのだから、まったく無関係とはいえないし、住民ではなくともその地方自治体の中にいるかぎりは条例の拘束を受けるのだから、意見を言うくらいのことは許されるはずだ。
話はずれるが、別の自治体に住民票を持つ人間が「その地方自治体にいる限り条例の拘束を受けるのだから、条例の制定に関わる地方議員の選挙に参加する権利を寄越せ」などという発言をしたら、どう思うだろうか? これは、外国人参政権の問題と全く同じ構造なのだが、私は「寝言は寝て言え」という感想しか持てない。

ものすごいTV CM

今の会社はフレックスなので、ぎりぎりまで粘ると暴れん坊将軍IIIが始まる時間までは家にいられたりする。
で、2/8の暴れん坊将軍のオープニングを、出かける支度をしながら眺めていると、まるで選挙速報か台風情報のごとく、画面を縮小してあまったL字型のスペースを使って、2/9に行なわれるワールドカップ予選の番宣が入った。
確かにこうすればたとえHDDレコーダに録画されたとしても、飛ばされることもなく宣伝を視聴者に見せることは可能だろう。
でもこれでいいのか? はっきり言って、ものすごい反感を買うと思うのだが。
これは番組中に番組の宣伝を入れるという形式だし、世間的にはとても注目されている試合の中継だから、反感を持とうがなんだろうが興味のある奴は見るし、興味のない奴は見ないだろう。だからテストケースとしては無難なのかもしれない(けれど、効果の測定は絶望的なんじゃなかろうか。TV局としてはCMの効果の測定など端から求めていないのだろうが)。
しかし、これが製品の広告だったらどうだろうか。番組を楽しみにしてみている視聴者であればあるほど、その製品など買ってやるものかという気分になるのではないだろうか。逆に、ただなんとなくTVを眺めていたらたまたまその広告が目に入ったという人物には正しく宣伝として働くだろう。
それがTV局の考える大多数の視聴者の姿であり、広告主が意図したメインターゲットになっているというのならば、いっそのことCMのみを24時間流し続けるチャンネルを作ればよろしい。特に興味を引く番組があるわけでもないのに漫然とTVのチャンネルを逍遥している人間にならば、きっと見てもらえる。
放送は規制業種なので法律に関連していろいろややこしいことも起きるかもしれないが、規制緩和が叫ばれる昨今、尤もらしい理由をつければ世論が後押ししてくれるだろう。
案外、実際に作ってみたら常時5%位視聴率が取れたなんて結果になったりするかもしれない。

地球がフォトンベルトに入りっぱなし


http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200501/2005013100027.htm

国立天文台のWeb Pageにわざわざ項目が設けてあるのは、天文台の(というよりは科学の)守備範囲じゃないのに質問の電話をかけてくる人が後を絶たないからだと思う。詳しくは以下の本を参照のこと。ものすごく大変そうで同情を禁じえない。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/480520673X

燃料志望者?

http://www.geocities.jp/ookaminami/zakki-new.html
ここの2/6分。
おいおい、次の生贄は3月じゃないと儀式が成立しなくなっちゃうぞ。身内にも秘密にしてる儀式だったら仕方ないが、不確定要素は排除しておくに限る。さっさと誰か諌めてやれ。

火曜日, 2月 08, 2005

メイド喫茶の行く末を思う

http://blog.livedoor.jp/geek/archives/13613973.html
はぁ。やっぱメイド喫茶って性交渉を匂わせないヌルい風俗なのね。
そもそも私は、喫茶店でコーヒーもしくは紅茶に払う金があるのならば、インスタントかティーバッグで済ませて、浮いた金で本を買いたい人間なので、喫茶店というものに積極的に足を踏み入れたことがない。
その上、人嫌いな面も多々あるので、各所で紹介されているメイド喫茶の各種サービスを受けたいとも思わない。そんなのは私にとっては鬱陶しいだけである。
というわけで、メイド喫茶というのは私にとってはかなり遠い存在だったりする。オタクなのに。
閑話休題。
実情はどうだったのか定かではないが、大正時代にもカフェーに女給目当てで通いつめる、という図式はあったわけだし、ウエイトレスのお姉さんが美人なので喫茶店に行く、という状況は現在でも別に不自然なものではないので、そういう需要は確実に存在していて、それを満たしているだけなのだろう。
大正から昭和初期のカフェーの実態に関しては、
http://www.1101.com/edo/2003-9-29.html
http://www.1101.com/edo/2003-10-01.html
に少し取り上げられている。なるほど、最初は現代のアンナミラーズのような店として始まり、だんだんとサービスが過激になっていき、末期には現代のいわゆる普通の喫茶店からピンサロのごとき店までがいっしょくたにカフェーと呼ばれていたわけか。
これから先、メイド喫茶がどんどん普及していくにつれ、メイド喫茶も分化していき、カフェーがたどった道をたどることになるのだろう。
余禄。
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/2005/01/post_49.html
> 当時のサービスに、女給がカツレツを切り分けてくれるというのがあった。
> 今からすれば何が嬉しいのかさっぱりだけれど、明治、大正の男たちは喜んで
> カツレツを切り分けてもらう為に余分のチップを弾んだそうだ。
いやいや、現代のオタクたちも「オムライスをふーふーして食べさせてくれる」というのに喜んで余分のチップを払ってますよ。

NTT東日本のDM

既に一ヶ月近くB-Fletsが不通だというのに、NTT東日本から能天気な広告メールが来ると、まるで神経を逆撫でされたように腹が立つ。
「一ヶ月近くB-Fletsが不通」なのも、「神経を逆撫でされたように」感じるのも私の側に主な原因があるわけで、NTT東日本としては別に悪いことをしているわけではないのだが、客商売ということを考えるとそんなことは言っていられないと感じるのは別に無体な話ではなかろう。
それ以前に、広告のみが含まれるメールというのは、本当に広告効果があるのだろうか? そんなもの、よほど心に余裕があってなおかつ時間に余裕のある人間しか読まないと思うのだが(実際、私も能天気なサブジェクトを見ただけで腹が立ち、中身など見ずに削除してしまうことの方が多い)。
別にそれで良いのだ、という立場もあるだろうが、だとすればそれはSPAMと本質的に変わらないのではないか。
世にあふれる広告の大半は、広告しか含まないメールのような垂れ流し広告だが、限られている消費者の時間を食い合うという観点から見れば、垂れ流し広告は既に限界を迎えているように私には思えてならない。

月曜日, 2月 07, 2005

ラピタ3月号

ラピタ3月号に、自走する世界最小の鉄道模型というおまけがついていたので、衝動的に買いそうになるが、100系新幹線だったので踏みとどまった。EFとか在来線の車両だったら危なかったかも知れぬ。

もうこういう方向でしか面白いことは書けぬ

http://blackshadow.seesaa.net/article/1839535.html
私が回線の不調でネットに積極的にコミットできないというのに、また馬鹿な新聞記者が壮絶な討ち死に(と本人は思っているであろう自爆)をしたようだ。
正月早々、高校生に論破された経歴を持つ馬鹿な新聞記者がやはり自爆して果てていたが、今年はひとつきにいっぺん記者が自爆するノルマを課すよう、新聞業界の集まりで決まったのだろうか。
後からまとめられたものであるとはいえ、経緯を読むに、正月のケース
http://blog.livedoor.jp/f_117/archives/13703943.html
とあまりに似通っている。
まるで彼らの頭が悪いために、似たようなパターンの行動しか取れないようにも見えるのだが、新聞記者といえば花形職業だ。彼らは年収も高けりゃ最終学歴も高い。そのエリートたる彼らが、まさかそのような頭の悪い奴らの集まりであるはずもない。きっとこれには何か深い陰謀が隠されているに違いない。
えーとえーと、エリートの中からさらに選別され聖別を受けた記者が順番に自爆して果てていくことで魔法陣が形成され、完成するとインターネットが滅びて既存マスコミの千年王国が約束されるとか、そんなのが。

金曜日, 2月 04, 2005

最近の読了

「トンデモ本の世界S」「トンデモ本の世界T」と学会(太田出版)
と学会誌からの再録が多くてちょっと悲しい。

「Alice」川崎康宏(電撃文庫)
毎度おなじみ流浪のライトノベル作家、川崎康宏の電撃移籍後初の作品。去年の8月に出ていたのか。ぜんぜん気付かなかった。
いろいろあって今のアメリカよりもずっと物騒になった近未来の日本を舞台にしたアクション。
主人公は「狂犬」とあだ名される女子高生探偵。普段着が胸丈のジャケットとローライズのショートパンツ、へそ丸出しで全身エナメル。1100ccのBMWを駆る。でも猫に話しかけるときは幼児語。そして身元引受人はカナダ国籍を持ち日本文化マニアのグリズリー。
というのは表面的な特徴に過ぎず、ストーリーはいつもの川崎節。舞台が現代であるためか、近年作よりは「銃と魔法」シリーズに近いような気がする。
なんか電撃の読者層の好みと微妙に食い違っている気がしてならないのだが、これが私の杞憂であって、電撃の編集者もきちんと尻を叩いてくれて新作がコンスタントに出るようになると嬉しい(もうこれが出てから半年経過しているという不吉な事実にはとりあえず目をつぶろう)。
つーか川崎康宏はちゃんと仕事するようにして、講談社ノベルズあたりに拾われるのが幸せなんじゃないかと個人的には思ったりもする。

アキバ系文化を知っているギャルはカッコイイ?!

http://www.shibukei.com/teenslab/2005/01/21/
などと言って、2ch語の話しか出ない。
アキバ系と一緒にされたら、大半の2ch住人は怒ると思うのだが。
それに、ここで例示されている言葉のうち「逝ってよし」以外は2ch語じゃない。
「電波系」なんてのは2ch以前からサブカル方面で使われ始めた言葉で、2chにおいて電波=キチガイの意味で使う人間はいても、「電波系」と「系」までつけた使い方はあまり見かけないと思う。
「w」はネットゲーム方面から出てきた表現で、2chでは主にネットゲームの寒いチャットを揶揄するために使われる(「うはwwwwwwwwおkwwwwwww」など)。
こんなのがギャル用語の解説をしていても、本当に分析できているのか怪しいものだ。

日本でvCJD感染患者がみつかる

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050204-00000040-mai-soci
数ヶ月の渡英暦があるとか言ってますが、もしそれで感染したのだとすれば、数ヶ月程度のごく短期間でBSE感染牛を通常の食事として摂取していても、vCJDに感染するということになるので、牛肉関連食品業界としては余計にまずいんでない? それともそれを理由に「既に日本人全員危ないんだから対策は無意味」という論を張るのだろうか? まさかとは思うが、日本の消費者は馬鹿だから渡英歴があると言っておけば深く考えずに日本の食用肉は安全と勘違いしてくれる、とでも思っているのか?

水曜日, 2月 02, 2005

知りたくない権利だぁ?

http://net-society.org/modules/news/article.php?storyid=7
なんかまた胡散臭いことをやっている連中がいるようだ。
私は基本的に子供を「子ども」と表記する奴のことは信用しないことにしている。
あぁ、まだ最後まで読んでいない推理小説の結末とか、まだエンディングを見ていないゲームのラスボスとかのことかな? それは確かに知りたくないねぇ。:-p
つーかあれだよ。自分が対象なら「知りたくない」だけど、自分以外が対象ならそれは「知らせたくない」だろうが。てめーのガキくらいてめーで管理しろっつんだよ。ケツを他人に拭かせようとすんな。
ゆとり教育の是非を問うとか以前に、こういう甘ったれが社会的に叩かれるようにしないと駄目なんじゃないか。

ゲーム伝説

とりあえず二つ買って、マッピーとモトスを引く。
当時のインストカードがいい感じ。二つ折りになっているのが惜しい。
半端に面が入っているドルアーガとかは正直要らんのだけど、インストカードだけ欲しい。
すがやみつるのコメントはかなり無理やり。
ミサイルコマンド以降は、ゲーム会社の承諾が取れなくて、マンガ中でゲームを扱えなくなっていたので、無理やりゲームウォッチを巨大化したもので勝負してたりするのだ。モトスなんかnamcoミュージアムで初めてやったとか書いてあるし。
グロブダーも欲しいので、もうちょっと買い集めてみるとしようか。
しかし、これ、かぶったら本当にどうしようもないな。複数のPCにインストールする権利が得られたと考えることもできるが。

火曜日, 2月 01, 2005

ドキュメンタリーと名前がついていればなんでもいいのか

1/23に日本テレビ系列で放送された「急増!ネット依存の恐怖」だが、ちょっとググってみると結構な数の人があの番組の内容を真に受けていることがわかった。googleのページで上位にあるということは、おそらく真に受けている人達の書いたものには、それなりの数のLinkが張られているのだろうから、その背後にはもっと沢山、真に受けている人々がいるのだろう。
中にはゲーム脳に言及しているのに肯定的に捉えている人までいる。つーことは、その人はゲーム脳を信じているということになる。ゲーム脳を恐ろしがるあなたの知性の荒廃が心配ですよ。ちゃんと前頭葉働かせてますか? 余計なお世話ですが。
私にはネット依存よりも、あんな適当な作りの番組を真に受ける人が沢山いるという、この事実の方がよほど恐ろしい。
もし、現代日本にヒトラーやゲッベルスが現れれば、たちまちのうちにナチスによる政権が出来上がってしまうのではないか。……なんてドキュメントを作ったらどれくらいの人が真に受けるだろうか。

ついでにゲーム脳に関してちょっと面白い記事があったのでリンクしておく。
http://www.journalistcourse.net/blog/archives/2004/12/post_5.html

吉野家が牛丼を限定で復活

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20050131AT2F2804031012005.html
吉野家が流通在庫(当然、米国産の牛肉だ)を使って牛丼を期間限定で復活させるそうだが、何故米国産の牛肉が輸入禁止になっているのかを少しでも考える頭があれば、そんな恐ろしい代物は食べる気が起きないというのが正気の人間の振る舞いだろう。米国産牛肉の危険性は禁輸前と後で大きく変わっているわけではない。意外と、こんな当たり前のことが理解できない人は多いことは、吉野家の牛丼の需要が米国産牛肉の輸入禁止措置が発動した後も全く変わらないか、むしろ上昇したことで判る。
吉野家の思惑としては「(現在と危険性が変わるわけではない)米国産の牛肉を使った牛丼にもこれだけの需要があるのだから、米国産牛肉の禁輸措置は消費者にも受け入れられていない」という論を張ることだと思われるが、私自身はこんなのに乗っかって禁輸解除に持っていかれるのを真っ平ごめんだと思っていても(元々、吉野家の牛丼に思い入れがあるわけでもなし)、乗っかってしまう考慮が足りない人間は、吉野家の思惑通りの人数以上にいるのだろうと容易に予想できて、暗澹たる思いをより強くしてしまう。おそらく政府内部でも、その動きを歓迎する勢力は少なからずあるだろう。
脳がスポンジ化するリスクを背負わないと安めの牛肉を食べることができなくなるのは正直ぞっとしない。こうやって、間をすっ飛ばして結論だけ書くと理解できない人もいるかもしれないが、敢えて途中経過は書かないでおく。

そんな公正競争は馬に蹴られて死んでしまえ

B-Fletsの不調の件で、NTTに連絡したところ、平日でなければ調査を行なえないという回答を寄越したため、なんじゃそらと思って突っ込みを入れてみたら、「公正競争の観点から、ADSLなどのいわゆるブロードバンド事業を行なっている業者間で土日祝日にはサービスを行なわないという取り決めを行なっている」という回答を得た。
ふざけとんのか。
利用者に不利益を強いる業者間の取り決めのどこがどうやったら公正競争につながるのか。お前ら自分がサービス業をやっているという自覚がないのと違うか。
こういうのは消費生活センターとかに相談するとなんか進展があったりするのだろうか?