.comment-link {margin-left:.6em;}

r-fukai's Diary ausf blogger

月曜日, 1月 31, 2005

背中が痛い

運動不足が主な原因なのだろうが、年に一度くらい、背骨に沿った背筋の筋を違えて、横たわった状態から身体を起こすのに非常な苦痛を伴う状況になったりする。
単純に言えば「背中を寝違えた」というごく一般的な状態のことを言っているだけなのだが。
それはともかく、頸に頭蓋の重みをかけると当該部分が激しく痛むので、身体を起こすどころか寝返りを打つのもできずに、不自然に力むものだから背中全体が痛くなったり、肩や頸まで痛くなったりして、下手をすると腰に影響範囲が及んで一週間ほど動けなくなったりするので侮れない。
一度身体を起こしてしまえば、頸に加重をかけない限り(例えば、濡れた頭をタオルでがしがし拭くなど)、それほど痛みを感じたりしないわけだが、無意識のうちに不自然に身体の動きを制限しているようで、肩や首の筋が凝ってくるのである。
要するに、そこらじゅう痛くてちっとも集中できない。とりあえずサロンパスシリーズのフェイタス(パッケージに本当に「サロンパスシリーズ」と書いてあるのだ)を買ってきて、根源である背骨の脇に貼り付けてみたが、正直、効いてるんだか効いてないんだかよく判らない。
悪くなってはいないようなので、様子を見ることにする。

投機のことは好きになれない

1/30のNHKスペシャル「原油高騰 世界市場で何が起きているのか」を観た。
市場というのは、本来は必要としている人と供給する人の間で価格の最適解を求めるための仕組みであると私は理解しているのだが、先物取引という仕組みが生まれ、それがヘッジファンドという集団に利用されるようになってから、その枠組みから大きく逸脱してしまっているような気がしてならない(もしかして番組を真に受けすぎだろうか)。
結局、市場に大量の資本が流入することが重要で価格の最適解などというものはどうでも良いのだ、という説は単に私が不勉強なせいかもしれないが聞いたことがなく、ヘッジファンドの人間のコメントでも、そのような言葉は聞かれない。だから価格の最適解がどうでもいいということではないのだろう。
それに、そこに資本が大量に流入するということは、単純に考えれば実際の需要以上に価格が上昇することにつながるわけで、それが経済活動にプラスになるとはにわかには信じがたい。
これが原油や小麦など、実際の産業活動に直接関わるものではなく、例えば国債などならそれほど私の嫌悪感のアンテナに触れない気がするのだが、これは単に私が債券市場が経済活動に与える影響について無知だからなのだろう。
この、資本主義という制度自体の欠陥に見える状況は、資本主義である以上、回避できない性格のものなのだろうか?

金曜日, 1月 28, 2005

個人的メモ

次の衆院選でのバッテン候補
滝井繁男、泉徳治(公務員の国籍条項が憲法違反だと判断した)

個人的メモなのでコメントは受け付けません。:-p

死が恐ろしい理由

よく「人が死を恐れるのは、死が経験できない未知のものだからだ」という言説を聞く。
それもあるかも知れないが、私はそんなことよりも「一般的に死ぬ原因につながる体験をすると大変に苦しい」からという要因が大きいのではないかと思う。
死ななかったのにあんなに苦しいのだから、死ぬまで行ってしまったらもっと苦しいに違いない、というのはごく自然な類推だと思うのだがどうだろうか。

「クニミツの政」から今のメディアに足りないものを考える

http://d.hatena.ne.jp/rna/20050127#p2
週刊少年マガジンで連載中の「クニミツの政」というマンガがあって、それで慶応大学病院の近藤誠という医師の、世間の認識とはだいぶずれた説を肯定的に紹介したらしい(伝聞)。
ちなみに、私はこのマンガをほんの少しだけ読んだことがあり「現代社会を舞台にして、主人公のDQNが自分よりもさらにDQNな奴をDQN的方法でなんとかする話」だと認識し、私の好みとは合わないので読むことを止めた。特に「現代社会が舞台」「主人公のDQN」ってところが駄目。片方だけなら許せるが、ANDで来られたらもう駄目。
閑話休題。
日本は思想や良心の自由が保障された国だからして、自分の信ずるものに従って何を言うのも基本的には自由なんだけど、その結果として何を言われるのもやっぱ自由であることが望ましいと私は個人的には思う(なぜか名誉毀損という変な法律があって、実は自由ではないのだけれど、これに関しては脇道なのでここでは掘り下げないことにする)。
とはいえ、インフルエンザという強い感染力とそこそこの死亡率を持つ法定伝染病に関する話題で、まだ広く認められたわけではない説を、影響力の強いメディアで無批判に流すというのはいかがなものかと思う。
近藤医師の基本的なスタンスは「いくつかの病気に関する治療は行なわずに放置することが望ましい」というものであるようで(しばしば同様の主張をオカルト関係の本で見掛けるが、科学的検証を行なった上でそう主張しているのならば誰も問題にすまい)、インフルエンザに関してもその態度で臨んでいるようだ。
私は小学生の頃にインフルエンザで死に掛けたことがある(横になって目をつぶっているのに眩暈がとまらないという経験をしたのは後にも先にもこの時だけだ)ので、自分の親が近藤医師の説に感化されていなくて本当に良かったと思う。もしあの時あのまま放置されていたら、おそらく私は死んでいたか重大な後遺症を患っていただろうと思うからだ。
百万人に一人が原因不明の症状を発症するからといって、インフルエンザ患者に対する医療行為を全て止めてしまうこと(近藤医師の主張を真に受けるとこういうことになる筈だ)が正当な行為であるかどうか、インフルエンザに関する知識を一通り揃えてから考えてみて欲しい。そのときには、年間一万人内外の死者がでているのに、自動車の利用を止めようというコンセンサスが得られないことも考慮に入れてもらいたい。
再び閑話休題。
週刊少年マガジンというメディアの影響力は、日本ではトップレベルであると考えて差し支えないはずである。購読者層が若年層に偏っているという難点があると考える人も居るだろうが、若年層が週刊少年マガジンから得た知識でこの先自分に起きることを判断するという可能性を考えれば、影響力を過小評価することは危険だろう。
常識に照らして明らかに間違った知識であれば、その知識に左右されるのは、常識を磨かなかった本人の責任と言えるかも知れないが、一見もっともらしく見える間違った知識というのは始末に負えない。それが自分や他人(それがたとえ自分の子供であったとしても自分ではないのだから他人だ)の生命に関わる問題ならば尚更である。
広く行なわれている医療行為に関してメディア上で批判を行なうことは悪いことではない。例えば、それが医学関連の学会誌なら積極的に行なうべきである。だが、素人が読むメディア上でそのような情報を発信する場合には、その医療行為を選択しないことによって発生する出来事に一通り心をめぐらせてみてから可否を判断する必要があるのではないか。
現在のメディア関係者に一番足りていないのは、その「一通り心をめぐらせてみる」ための想像力ではないかと私は強く感じる。

水曜日, 1月 26, 2005

Eclipseで困っていること

Eclipseが、Altキーから始まるショートカット(Alt, Fと押すとファイルメニューが開くというWindows特有のアレ)を受け付けない気がする。
最初からこうだったのか、それとも何かの設定によってこうなったのかは不明。
Alt, F, Xでアプリケーションを終了させるのは、半ば習い性になってしまっているので、Eclipseでもこれをやってしまい、アクティブなファイルにxを入力してUndoしたのにファイル変更属性が消えてくれずに上書き保存する羽目に陥っている。
人間が注意してやらないようにするくらいなら、コンピュータを調教すべきなのは言うまでもないが、Eclipseのカスタマイズ関係でいい情報源を持っていないので、ちょっと腰が引けている。
いや、今ちょっと気力がなくて。

火曜日, 1月 25, 2005

仕様って言えばなんでも許されるわけもなく

http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/354840
あーあ。言っちゃったよ。
仕様に問題がある場合は「欠陥品」って言うんだよ。
まさかソフトウェア関係者の間で良く交わされる冗談の「それは仕様です」を冗談だと認識していないのか?
トップの人間に必要だったのは「提示した条件(この場合は本体のサイズと液晶画面のサイズ)は守れ。だがこのデザインは没」と技術者を突っぱねることだったと思う。
当然のことながら、製品の出荷時期は遅れることになるわけだが、欠陥品を出して信用を失うよりはマシであるというのが正常な判断だと思う。

宅配業者の個人的評価

http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline1118595.html
Amazonを利用していると、必然的に日本通運と接する機会が増えるわけなのだが、個人的には日本通運のサービスはまったく使い物にならないレベルだと考えている。おそらく配送料金が安いのだろうが(1500円の買い物でタダにできる程度に安いはず)、時間指定配達は21時までだわ不在時の再配達の電話受付時間は20時で終わりだわで、独身一人暮らしで技術系サラリーマンなどやっていたら、平日には荷物を受け取れないシステム満載だからだ。
佐川急便は24時まで時間指定できるし、再配達受付は24時間だし、カードで代引き料金は払えるしで、カタログスペック的なサービスに関してはほぼ最高レベルと言えるだろう。一度でも荷物を破損された人間は二度と使わないのだろうが。後、時間指定の荷物を指定時間以外に持ってくるドライバーは確かに存在するな。それで再配達扱いになったことがないので実質的には被害0なのだが、少し不安ではある。
郵政公社のサービスは、個人的には再配達システムが硬直化しすぎていてお話にならないという評価である。最近、歩いて5分掛からない局から、電車で隣の隣の駅に行かなければならない局に担当局が変わってしまって、取りに行くのがえらい大変になってしまったのでその恨みも少し入っている。
リンク先には出てこない福山通運は、日本通運に輪をかけて使えない。ここに頼むくらいなら郵政公社に頼んだほうがマシである。以前利用したときにApple Storeがここを使っていて大変不愉快な思いをしたことがある。
ヤマト運輸に関しては「料金が高い」以外の感想はない。その料金の高さも、サービスの質に見合ったものなのであろうと推測している(内情がどうだかは知らないが)。
結局、こういうものはごく個人的な範囲、すなわち主観にしか基づけないわけで、この件について何か言ってみたところで、たいした意見にはならないだろうとは思う。

女性天皇議論のその後

以前取り上げた女性天皇問題だが、現在では、敗戦時にGHQの指導で皇籍離脱という扱いになった人たちを、養子などとしてもう一度皇籍に復帰させるという案が有力らしい。
なるほど、現状では一番角が立たない方法ではある。私が提示したような問題は、本人の同意を取ることで回避できる。まぁ、将来似たような事態に陥ったら、それはその時考えるということで。

朝日vs.NHKの本質とは

http://www.mainichi-msn.co.jp/column/kishanome/archive/news/2005/01/20050125ddm004070050000c.html
毎日とは思えぬ常識的な意見だ。
ただ、この意見で見落とされていると思われるのは、非常に単純な事柄についてNHKと朝日が互いに矛盾したことを主張しているわけだから、どちらかは嘘吐きだということである。関わった事象が複雑であれば、両方が嘘は言っていないが矛盾している、という状況もあり得るだろうが、この場合はそういう複雑な状況ではないと判断される。
嘘吐きが大手を振ってジャーナリストでございとふんぞり返っていることは、ジャーナリズムの危機にはならないのだろうか? 私は検閲の問題と同程度もしくはそれ以上の危機のように思えるのだが。

天動説

夢うつつの状態で聞いていたので真実ではないかもしれないが、朝のワイドショウで取り上げられたゆとり教育の問題で、小学生の40%以上が天動説を信じている、という結果について、「銀河系から見れば太陽も動いているのだから、天動説もあながち間違いではない」などと明らかに間違ったことを言っている馬鹿がいた。
天動説というのは、字面からはその本質を理解できない間抜けな人もいるかもしれないが、「地球は動いていない」ということが本質であり、「宇宙では全てのものが動いているので客観的な原点などは存在しない」という現代の宇宙観(「太陽も動いている」という物言いはこの宇宙観に基づく)とは真っ向から対立するものである。
話の流れとして、子供たちに地動説を教える大人がケブラーの法則などの天文学の基礎知識を理解しているとは言いがたい状況なのは嘆かわしい、という趣旨の発言がその前にあったと記憶しているが、全く以って片腹痛いとはこのことである。
論理的にものを考えられない人間が思いつきで喋っていることがそのまま受け入れられてしまう可能性を含んだ放送というメディアは非常に危険なものであると思わせる事件であった(ちょっとテレビのドキュメント番組の真似をしてみました)。

月曜日, 1月 24, 2005

共有用の全番組録画機ダメ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050121-00000293-jij-soci
あぁ、これは駄目でしょ。
だって、マンションの管理人がビデオを7台と24時間分+αのテープを用意して、過去一日分なら、住人のリクエストに沿った番組のテープを貸し出す、というサービスと実質変わらないからね。
共有でさえなければ違法でもなんでもないと思うが。
最終的な結果は同じでも、共有とそうでない場合に違法かどうかが分かれる、というのは、社会の実態に法が合わなくなってきていることの現われだと思う。
もう既に放送事業者などはこれを実感していてロビー活動に余念がないと思われるが、それに任せていては録画全面禁止ということになりかねない(実際、地上波デジタルでは1回しか録画を許さないという技術的禁止枠が設けられそうになっているし、民放の団体の人間が録画全面禁止という発言をしていたこともある)ので、ユーザとしてはちょっと考えておきたいところではある。
そんなメディアは見放してしまうというのも一つの手ではあるが、相手が法律になってしまうとこの方法はいまいちなのである。なぜなら、そういう縛りをなくしたサービスを開始することもできなくなってしまうからだ。

金曜日, 1月 21, 2005

政治不信

政治不信という言葉を耳にするようになってしばらく経つが、この言葉の意味するところは、日本の民主主義は信用できない、でいいのだろうか?
政治家は信用できないから選挙には行かない、とかいう物言いは、自ら民主主義国家の一員であることを放棄しているだけの話で、そういう輩は無視して構わないことになっている(なっていなかったら、これまでの選挙は無効である、という訴訟を起こす奴が居ないはずがない)し、実際無視して構わないと思う。
選挙に行って自らの選挙権を行使した上で日本の政治は信用できないと言っているのは、自分の意見が通らないのは怪しからんと、単なる我侭を言っているのと同じではないのか。
政治家は選挙権を行使した国民の代表なのだ。政治家を信用しないと言っている人間は、何故信用できないのか、それをきちんと自らに問い直してみる必要があるのではないか。
民主主義体制の国民は、常に自分にとって最悪ではない選択肢を選ばなければならない。自分の選んだ選択肢が最悪でないことだけで満足すべきではないのか。それに満足できない人間は、自分自身と思想を一にする団体による独裁への道を歩む以外に満足する方法を持つのか?
こういうことを言うと、自民党の工作員とか言われるんだよな。そんなことを言ってる暇があるなら選挙権を持ってる人間を広く説得できる言説の一つも垂れたほうがマシだと思うんだが。

最近の読了

森博嗣「奥様はネットワーカ」(講談社ノベルズ)
感想を書くとネタバレになるので敢えて感想は書くまい(こう書くだけでもネタバレと言われそうなな気がする)。

牧野修「アシャワンの乙女たち」(ソノラマ文庫)
○人○ロ○・○かよ! 敵は○ル○魔○かよ!(ネタバレに近いので伏字)
なんかプロットが単純すぎるところがちょっと気になった。人物描写もなんか薄い。挿絵や表紙からして、ソノラマ編集部はキャラ萌え小説を狙っていると思われるのだが、牧野修にはキャラ萌え小説は書けないのだろうか。
敵側の嫌な嫌な描写はねっとりしっかり書き込まれていると思うのだけれど、そちらがねっとりしっかりしている分、主人公側のすっきりさわやかな描写は薄くならざるを得ないのか。

上遠野浩平「禁涙境事件」(講談社ノベルズ)
うーん、てっきりこのシリーズはエキセントリックなキャラを愛でるキャラ萌え小説のシリーズだとばかり思っていたのだが、今回はゲストキャラばかりが活躍する話になっている。
舞台になっている禁涙境も、これまでのエキセントリックな舞台からすると至って普通。
なんか方向転換でもするつもりなのか。それともこれは番外なのか。

ジャーナリズムと社会正義

ジャーナリズムは社会正義に基づく、などという幻想を持っている人は結構な数居そうだけれども、決してそんなことはなく、むしろ社会正義に基づくなどという思想はジャーナリズムを害することにしかならないのではないか。
ジャーナリズムの基本は「事実を明らかにし、社会に広く問う」ということである。この前提に異論をさしはさむ余地はないとは言わないがかなり少ないだろう。
隠されている事実というのは、通常は当事者にとっては隠したくなる事実であるから隠されているのであって、その事実が悪事に関わることであるならば、事実が公表されることによって、結果として社会正義が為されることはあるかも知れない。
しかし、それはジャーナリズムの本質などではなく、ジャーナリズムが正常に機能した結果として現れることであって、状況によっては正反対に社会正義が阻害されることだってありうるのだ。
例えば、進展中である犯罪の捜査情報は通常隠される。これは容疑者に情報を与えることによって捜査のかく乱が可能になるからである。これだって「当事者にとって隠したくなる事実」であることに変わりはない。
もし、ジャーナリズムが全ての価値観の最上位に位置しているならば、当然のことながらこの犯罪の捜査情報というものも広く明らかにされなければならない。
それが許されないのは、ジャーナリズムが社会正義に基づいて機能しているからである、との解釈も成り立つかもしれない。しかしそれは違う。ジャーナリズムが社会正義を原理として持っているならば、ジャーナリズムの行動を社会正義によって規制するということはあり得ない。ジャーナリズム自体が社会正義を内包しているのであれば、ジャーナリズムが何をやったとしても社会正義に反する結果は出てこない筈なのだ。何かを規制するものは、その上位に位置する外部の価値観でなければならない。
よって正しい解釈は、社会正義(今回、話がややこしくなるのでこの概念の定義はとりあえず措く)がジャーナリズムとは無関係にその上位にあってジャーナリズムを規制している、となる。
それを勘違いして、ジャーナリズムと社会正義を同一視して物事を考えると、いろいろとおかしなことが起きる。これはジャーナリズムに限った話ではないが、どうもジャーナリズムと社会正義を同一視している人がたくさん居て、その結果としてジャーナリズムが暴走しているように私には思えてならないのである。

水曜日, 1月 19, 2005

放送法第3条

最近何かと話題の放送法第3条はこんな文章だ。

(引用)
第3条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(引用終わり)

素直に読めば、「放送局は番組内容への法律に基づかない干渉は無視していいですよ」と書いてあると思うのだが。
「何人たりとも干渉してはならない」とは書いてないよな。法律が何ごとかの行為を禁止する場合には、きちんと明文化しなきゃいかんだろうし、干渉を禁止するということは、それこそ言論弾圧以外のなにものでもない。
「無視しなければならない」と取れないこともないのだが、これも敢えてそう取った場合に限られるのではないか。しかも、その場合、法律に違反しているのは干渉した側ではなく放送局になってしまう。
まぁ、法律の文章なんてのは日本語に見えるように書いてあるが実は日本語ではなかったりするので、法律に詳しいわけでもない素人が「自分が読んでどう解釈したか」などということを書いてみたところでなんの参考にもならないのだろう。

火曜日, 1月 18, 2005

伝聞と推測

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050115#p1
なんつーか、家族が路頭に迷うことを覚悟で内部告発に踏み切った人物の論拠が「伝聞」と「推測」というのはある意味すごいことだと思う。
最初に告発しただけでもすごいのに、さらに臆面もなく記者会見を開いて後から「伝聞」や「推測」であることを補強するということは、自分の言っている「推測」によほどの自信があるのだろう。私なら世の中に示せる証拠を握るまで黙ってるけど。
それとも、対企業の場合は、企業側が無罪を証明しなければならないから(これってPL法がらみだけじゃないのか?)こんなことを臆面もなく言ってのけられるのだろうか。

一地方が占領されている状態は、主権の復帰に当たらずや否や

センター試験の世界史の設問に関して、以下のような問題が出ているようである。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200501161300.html#no_5
まぁ言いたいことは判らんでもない。正当な主張であるとも思う(ちょっと口うるさすぎない?とも思うが)。
だが、主に大学受験のために授業をやっている高等学校普通科において、大学受験でこのような問題が発生する可能性があるということが認識されると、こういう面倒な問題に巻き込まれたくないために、この分野からの出題が減り、ただでさえおざなりになりがちな近現代の歴史の授業が、ますますおざなりになってしまうのではないだろうか。
そりゃ、理想を言えば高等学校の授業が大学受験のためだけに行なわれること自体がまずいのだけれども、それはこの問題とは別に考えるべき事柄だろう。

金曜日, 1月 14, 2005

NHKに対して自民党の安倍幹事長代理が圧力を掛けたとする報道について

番組自体は見ていないが、最初に問題として取り上げた人物が「自分の名前を売るために捏造した」と告白している従軍慰安婦問題を糾弾する集会(法廷という名前がついていたらしいが、弁護人も立てないようなものは、現代社会において法廷とは呼ばない)を、その集会を企画した団体の関係者である人物が取材した番組、という時点でどのような内容であったか容易に予想できる。
番組の質として最低であったことは論を待たず、おそらく当番組の製作者である人物は、NHK内部でも厄介者扱いされていたのではないだろうか(というか、集会の関係者自身が番組制作を行なっていたのだから、それこそ放送法違反スレスレである)。
そして、集会の関係者によれば、NHKの人間が安倍氏に面会する10日前から、番組の改編は始まっていたとのこと。
http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/nhk/etv2001.html
だとすれば、NHKの方から放送前に政府与党である自民党の人間に話を持ちかけた理由も出来る。そして、上に書いたような内容であれば、よほど警戒している人間でなければ苦言を呈するに違いない。要するに安倍氏はNHK幹部の番組つぶしの言い訳のダシに使われたわけだ。
(このパラグラフは追記参照のこと)そして、北朝鮮への経済制裁論が急浮上している今のタイミングで告発される(しかも親北朝鮮的態度を明らかにしている朝日に)。つまり、今度はその番組制作担当者に使われたことになる。
これは単なる私の推測に過ぎないわけだが、私が知っている情報には矛盾せずに状況を上手く説明できていると思う。
もし、これが事実ならば、安倍氏、人気はあるようだけれども、ちょっと政治家として脇が甘すぎるんじゃなかろうか。

2005/1/15追記
番組製作担当者がなぜこの時期に告発したのか,に関しては、集会の主催団体が放映された番組の内容に関してNHKを相手取って始めた裁判の結審が迫っていることが関係しているようだ。よって、番組制作担当者に使われたという部分はおそらく誤りであろう。
NHK幹部のダシに使われてしまっただけでも脇が甘いことに変わりはないので、結論は変えない。
http://www.asahi.com/national/update/0114/035.html

B-Flets不通

どういうわけだか知らないが、年が明けてからB-Fletsの調子がいきなり悪くなり、現在不通になってしまっている。NTTから決して安くはない金額で強制的にレンタルさせられている終端装置から外への回線状態を示すLEDが消えているので、明らかにこの終端装置からNTT側のどこかがおかしいのである。
しょうがないのでAirH"をPowerBookにつないで急場を凌いでいるが、GNO2はできないわ、番組表と連動してビデオの録画予約はできないわで大変不便。32Kbpsという速度も急場凌ぎでなければちょっと我慢しがたい。
はっきり言って、我々の周囲に空気があるかのごとく安定していなければNTTのサービスなどはまったくもって無価値なので、これを機にTEPCOひかりに乗り換えてしまおうかと考えている。
しかしながら、NTTに修理を依頼するにせよ、TEPCOひかりを含めた別のサービスに移行するにせよ、他人が入れるレベルまで部屋を片付けなければならないわけで、それが非常に憂鬱である(そういうことがなくなることを期待してNTTのサービスにしているのである)。
ひどい風邪をひいていて体調がどん底でなければ、部屋を片付ける良い機会だとでも思えるのだろうが。

日曜日, 1月 09, 2005

マスコミがミーガン法導入論の根拠に上げている数字は出鱈目

http://umetarou.sakura.ne.jp/diary/?date=20050107
http://d.hatena.ne.jp/rna/20050107#p2

いやはや。マスコミが「いいかげん」どころの騒ぎじゃない存在であるのは、日頃から十二分に感じていると思っていたが、ここまで酷いのはそうそうないんじゃなかろうか。こんなのが出てくるようじゃ、マスコミの言ってることはほぼ信用できないと思っておいた方が安全だ。
しかしながら、性犯罪の検挙者のうち、全てのカテゴリから割り出した「再犯者率」が40%を越えているのならば、一度でもなにがしかの犯罪を犯した人間にとって、性犯罪は敷居の低い犯罪である、ということは読み取れるのではないだろうか。
性犯罪の件数を減らすためには、全ての前科者の追跡を可能にしておかなければ、有効とは言えないということか。
……日本の犯罪者更正プログラムは機能不全を起こしてるんじゃなかろうか。そもそもそれは建前だけで、充分苦痛を与えれば反省するはずである、程度のことしかやってない印象だけれども。

金曜日, 1月 07, 2005

感情のみで対話を拒む「ジャーナリズム」のむなしさ―大谷某、特定性嗜好の人間を犯罪者扱い―

奈良の女児誘拐殺人事件に関してオタクを執拗に攻撃する大谷某は要するに、メーガン法を日本国内で成立させたくないので、メーガン法成立には繋がりにくい上に判りやすいスケープゴートを立てようとしているんだな。いかにもサヨクの考えそうなことだ。
また、手垢のついた話を誤魔化すための手法が未だ通用すると思っているらしく(そしてそれはテレビという場においては正しい)、自分の意見に賛成しない人間の人格攻撃を開始している。要するにこいつにはこの事件の背景に存在する問題を浮き彫りにしたり、ましてや解決しようという気はさらさらない。
こんなのが大きな顔をしてのさばっている場から、きちんと実際に効果のある対策など出よう筈がない。私は私に被害が及ばないのであれば、何かしらの社会問題に関してきちんとした対策がなされないこと自体は一向に構わない利己的な人間なので、今回の件に関して直接ものを言うなどという面倒なことはやらないが、例えば、これから子供を作ろうと考えている、もしくは、現在今回被害にあった女児と同じくらいの娘さんを持つ人は、少しばかり真面目にこの件に関わっておいたほうが、後悔せずに済む可能性が高くなると考える。
その場合、これまでの歴史を振り返って、感情論が問題を深刻化したことこそあれ、解決に導いたことなどないということを念頭に置くべし。問題を解決したいのではなく自分の感情に決着をつけたいだけならば、いろいろな意味で迷惑なので引っ込んでいるのがよかろう。

木曜日, 1月 06, 2005

当たり前のことほど形にするのは難しい

2chの大谷某の放言に関するスレですげーいいことを言ってる奴がいたので勝手に引用。
冷静になって考えてみれば判りそうなことなんだが、当たり前すぎてこういうのはなかなか出てこない。
感服。


457 :番組の途中ですが名無しです :05/01/06 17:06:01 ID:vwKFjfOe
>>447
俺から言わせるとそんなレベルの話しじゃない。
みんなお金は大好きだが、泥棒やスリ、つまり犯罪をしてまで手に入
れたい、増やしたいと思う奴は圧倒的少数派
 危険なのはロリコンという性癖ではなく、手段を選ばない性格、と
いう人間性の問題
 ここを無視したら、資本主義国民はみな泥棒予備軍だ
少なくとも犯罪というハードルを越えたい奴ってのは、どんな世界で
も圧倒的少数派だ(ネット犯罪に関しては少々違うが)
ちなみに3次ロリ規制は大賛成だ

著作権法を持ち出してパロディ同人誌活動を非難する奴は著作権法をほとんど知らない。

一例:
「パロディ同人誌を作るなんて、著作権を無視する行為ではないか」
著作権を無視するためには、まず原著作者が現状に対して異議を唱えなければならない。
その異議を無視することによって、初めて著作権を無視することになるからだ。
自分が馬鹿であることをアピールしたいのでなければ、勉強をしてから発言することだ。

水曜日, 1月 05, 2005

奈良の女児誘拐殺人事件容疑者逮捕について

年は押し迫ってるわ、他にやることがあるわで大変だった12/30などという日に逮捕された奈良の女児誘拐殺人事件の容疑者だが、前記の理由で何かしら思うことはあってもこのように文章にまとめてみる余裕がなかった。
ざっとワイドショーを眺めた(というほどたくさん観たわけでもないが)限りでは、なんかマスコミはオタク叩きよりは、性犯罪者の再犯率の高さ(他の犯罪の再犯率がどうなっているのかの説明をワイドショーなどではしないので、果たして本当に性犯罪だけが再犯率が高いのかどうかが判らないのだけれど)を論点にしたいような印象を受けるので、自称ジャーナリストの大谷某がでっち上げた「フィギュア萌え族」なるわけのわからん犯人像については、別段語ることはないような気もしている。既にいろいろなところでいろいろな人がいろいろ言っているわけだし。
が、一度はここでも少しばかり話題にしたことだし、実際に捕まってみたらやっぱり異常性欲者(詳しい供述内容「本当は大人の女がいいが、金が掛かる」などなどを知ると、それらが本当ならばこれも少々怪しい)の男だったということなので、少しばかり考えてみたいと思う。
この手の事件の報を聞くとまず最初に思うのは、「頭が悪すぎる」ということである。場当たり的に、その時点での自身の欲求に、まったく大脳新皮質を使うことなく従った結果に見える。
私は、自分とあまりに知的能力が違う人間のことを忖度して物事を考えることを苦手としている(すなわち共感能力に乏しい、犯罪者になりやすい人格である)ので、もうこの辺りで論考を放り投げて「あーもう死刑でいいよ、死刑死刑。反省もしてないし、きっとまたやるから死刑」と言ってしまいたくなる衝動を押さえきれないのだが、自分で始めてみてすぐにそういう態度に走るのも大人気ないので、ぐっと我慢して考えを進めてみる。
で、改めて問いたいのは、「こいつ、本当にオタクなのかよ?」ということである。
以前のエントリでも書いたが、現代オタクライフを送るには、かなりの資金力を要する。言っては悪いが、新聞配達員の給料でオタクを続けていられるとは、私には到底思えないのである。ましてやフィギュアに手を出した日には、いくら金があっても足りなくなることは必定。ぜひとも大谷某は、秋葉の海洋堂ホビーロビー(大阪のでもいいけど)なりに足を運び、フィギュアがいったいいくらする商品なのかを自分の目で確かめていただきたいものである。ジャーナリズムは足が基本。曇った目では何も見えない可能性の方が高いが。
容疑者の自宅から体操服を着せた頭部のないダッチワイフやスクール水着を着せた人形が出てきたという報道もあるようだが「水着の中に下着や服を詰め込んで女性の体型をかたどったもの」などという代物は、どう考えても人形というよりはダッチワイフだろう。これをフィギュアと同一視できる奴はオタクでは断じてない。フィギュアオタクなのに、頭部のないダッチワイフで満足できるというのも、かなりおかしい。とか書くと、頭部のない人形にのみ反応するという人が見つかったりするのだけれど、とりあえずはこれは横道として措くことにする。
閑話休題。フィギュアもダッチワイフも人形だなどと一くくりに出来るのであれば、雛人形でも五月人形でも埴輪でもいいことになってしまう(造形的には顔のないダッチワイフよりはこれらの方がよほど高度だ)。まさか大谷某は埴輪が自宅にずらっと並んでいる人間をフィギュアオタクと呼ぶのだろうか?
だいたい、他のオタクの部屋を見たことがないかあったとしてもそれを意図的に無視しているとしか思えない。本当にフィギュアオタクなら、部屋がフィギュアであふれかえっていなければならないだろう。これまで、各放送局が流してきたオタクの部屋の映像を思い浮かべてみればいい。ビデオ100本? エロ本50冊?(100という報道もある) おととい来なさい、である。
オタクとコレクター性は切っても切り離せないものであるということも判らずに、オタクを語ろうなどと何故考えられるのか、私には理解しがたい。
理解できないものを、ある程度調べた上で、やはり理解しがたいと結論付けることは、別に悪いこととは言わない。だが、理解できないものを調べることもせずに最初から理解できないと放り出すことは、明らかに怠慢であるし、その怠慢を認識しているのかしていないのかは定かではないが、その状態で対象についてなにかを語るというのは、これは明らかに罪であると考える。どんな罪なのか、偏見という罪だ。
個人が馬鹿であり続けることは個人の自由だが、その言説に力があることは社会にとっては害悪であり、それは周囲からのツッコミによって馬鹿な言説であることが明らかにされなければならない。でなければ社会全体のレベルが下がってしまう。
聞くところによると、大谷某は自身へのツッコミを封殺するような言動もしている(内容証明の質問状を送ってきたことを非難していた。抗議や脅迫ではない。質問状だと自ら言っていた。どうやら質問することも許さないらしい。自身の論が論ともいえないような代物であるということに暗に気付いているのだろうか)ようで、こうなるともう手の施しようがないとしか言えない。
別に大谷某の発言を封じてしまおうなどとは思わない。ただ、世間の人間が大谷某の発言はいい加減で胡散臭いものであるという認識を持ってくれればそれでいい。それで充分だし、それ以外に望ましい解決は存在しないと考える。
ちなみに私が大谷某と書くのは、ちゃんとした名前を調べるのはめんどくさいしこんな不愉快な奴に手間をかけるのが惜しいからであって、それ以外の理由は特にない。テレビ朝日系のワイドショー番組などにコメンテーターとしてよく登場する大谷という人物が、二人以上いる場合にはどなたかご教授いただきたい。その場合には私が言及している大谷某以外の大谷さんに迷惑をかけないために、きちんと調べてフルネームで書くことにする。