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r-fukai's Diary ausf blogger

火曜日, 5月 31, 2005

CMが見られてないよという危機感

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0505/31/news016.html
えーと、ネットサーフィンしつつテレビのバラエティ番組をながら見って状況はあり得ないのですか?
集中したい番組(真面目に観てるアニメとかF1中継とか)以外は大概そんな感じなんだけど。集中する番組でもCM時間は大概ネット見てるし。
まぁ、TVを見ていたとしても、CM中に他の事をしているのなら見ていないのと同じだと言いたいのかもしれないが、それならば普通にTVを見ていたとしてもCM中にトイレに行ったりするのだから、同じことではないだろうか。

MERCENARIES

発売直後に売り切れで買えなかったElectric ArtsのPS2ソフトMERCENARIESをようやく手に入れてちょこちょことプレイしている。
こりゃ面白い。GTAの戦場版と言われているけれども、GTAとゲームの展開が同じならば、そらGTAも売れるわけだ。
プレイヤーはある民間軍事会社に所属する傭兵となって、クーデターが起きて周辺各国が軍事介入して戦場となった朝鮮半島北部でクーデター勢力(ゲーム中では反乱軍と表記されている)以外の各勢力から依頼を受け、それをこなしていくわけなのだが、別に依頼を受けていなくても反乱軍の基地に一人で潜入(正面ゲートをC4爆薬で破壊して内部に強引に入り込むことを潜入と呼ぶかどうかは微妙だが)してまるでランボーかコマンドーのごとき破壊活動を繰り広げることも可能だったりするのだ(武器は現地調達で結構なんとかなるが、HPの回復には金が掛かるので、依頼外の戦闘活動は基本的にはお勧めできない)。
というわけで自由度も高く、戦場にいるので結構頻繁に死んだりもするがデスペナルティもPS2の長いロード時間に耐えるくらいのものだし、アクションゲームが好きで戦争が嫌いでない人にはお勧めできるゲームだと思う。
舞台が舞台だけに出てくる装甲戦闘車両がBMPだったりT-55だったりするので、ソ連兵器フェチにはたまらないものがあるかもしれない(モデリングがへぼくて腹が立つ可能性もあるが)。

実はコミケにサークル参加している

Web上での広報活動を全く行なっていないため、ごく少数の人間しか知らないだろうが、実は私はQuintessenceという名前でコミケにサークル参加していたりする(同名の音楽グループがあるようだが、当然のごとく無関係である)。
現在のサークル(および活動ジャンル)になってからの年季が足りていないため、未だ冬コミには当選できないが、夏コミには受かる(Studioよゆーぴーぽーで活動している頃も最初のうちは夏コミにしか当選できなかった)。
というわけで今回も受かったので、何かしら話を書かなければならないのである。
シリーズの三作目ということは事前に決まっているので一般的な作家ならば楽勝なんではないかと思われるのだが、どういうわけか苦しいことこの上ない。このジャンル向いてないのかな……。

Administrator権限を持つ人間を解雇するからには会社への損害は覚悟してもらおう

http://www.itmedia.co.jp/enterprise/article/0505/30/news054.html
なんだかなぁ。
グローバルスタンダードを標榜する今の日本政府は、こういう心構えが必要な社会を目指しているわけだ。
本当にそれで良いのか、などということを考えるまでもなく、どうにもこうにも賢さが足りない気がしてならないのはどういうわけだろうか(誰が、ということをぼかしているわけではない。このストーリーに登場する連中は全員賢さが足りない)。
グローバルスタンダードへ移行した結果、こういう世界を招くこともありうるということを周知徹底して、なおかつ多数の人間が納得しているのならば何も言う気はないが、そんな気配は微塵も感じられないわけで。

月曜日, 5月 30, 2005

Rendezvous→Bonjour

ずいぶんと長いことRendezvousと呼ばれていたAppleの設定レスネットワーク技術が、どっかの商標に引っかかるとかでBonjourと改名されてしまったのだが(AirPort→AirMacという問題もあったな。これは日本だけだけど)、ずいぶんと長いことRendezvousと呼ばれていたような気がする(Appleのサイトでは2002年に登場したとあるので、2年以上)し、Bonjourというと何故か「おはようボンジュール音頭」(だったっけ?)を思い出してしまって、どうにもすわりが悪い。
サクラ大戦は、2年ほど前に投売りだったDC版を揃えたはいいが全くプレイしていないのだけれども、何故にこんなに影響を受けているのか。謎である。

発光ダイオードのエネルギー効率が5倍に!

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20050527ik01.htm
へー。発光ダイオードって比較的エネルギー効率の高い光源だと思っていたのだけれども、それでも8割も無駄になっていたのか。発熱も抑えられるわけだから、一石二鳥だな。
簡単に思いつく応用先は液晶のバックライトや水耕栽培の光源だけれども、記事中にある蛍光灯に代わる光源というのがやはり分野としては飛び抜けて大きいのだろう。
白熱電球よりは保つにしても、蛍光灯も年に一回くらいの交換は必要だから、これがLEDになれば本当に半永久的な光源として使えそうだ。

一万円の価値は人によって違う?

http://blog.tatsuru.com/archives/000600.php

>「一万円にどうして価値があるか分からない?ははは、バカだなあ。一万円くれたら教えてやるよ」
少なくとも、この話者にとっては一万円は「一万円の価値を説明する」という労働の対価分だけの価値があることが、この文章から読み取ることができる。つまり、充分な知性を持つ存在がこの会話を聞いたとすれば、一万円を払うことなく、少なくとも相手が持っている一万円に対する価値の物差しを手に入れることができる訳だ。
この会話文が笑い話になっているのは、その矛盾の故だろう。疑問を抱いたものがさらに教えを請えば、その行動は間抜けな行動なのでやはり笑いにつながるだろう(蛇足のそしりは免れないだろうが)。
トートロジーという文脈でこの会話文が出てくるのは、それが故の話だと私は解釈するのだが、以下のリンク先ではそういうことは全く無視して、価値判断基準の相対化に話を持っていってしまっている。
http://d.hatena.ne.jp/einzbren/20041220

経済社会に身を置く以上、金銭的価値は、金銭を対価にして行なわれているサービスを列挙することで容易に掴むことができる。リンク先で為されている「松坂牛」の議論は、個人的価値の揺らぎの問題であって、それはこの社会で普遍的に見える一万円の価値とは別個の問題である。
そこでわざわざかなり普遍的に価値が認められる「松坂牛」などを例として取り上げているのか、理解に苦しむ。「パンクロックバンドのコンサートチケット」辺りにしておけば、人によって評価が千差万別になることが容易に予測できるから判り易かろうに(ちなみにあんまり名前を聞いたことがないような歌手のコンサートでも、自由席で5000円を超えることは普通にある。海外のバンドなら、S席が一万円を超えないことのほうが珍しい)。
閑話休題。
つまり、日本にいる限り一万円を払うことで一定のサービスが受けられる保障を社会が行なっていることが一万円の価値である。問題は「分かる」「分からない」ではなく、「知っている」「知らない」だろう。「松坂牛」に一万円を払いたくない人は、既に一万円の価値を知っているから払いたくないのである。
一万円の価値を全く知らなければ、必要ないものを入手するための交換品として一万円を払うことはないかもしれないが、「これからお前に無理矢理松坂牛を食わせるが、一万円払えば勘弁してやる」と言われれば払うかもしれない。そうでなくても、みすぼらしい格好の男が「一万円をくれ」と言いながら付きまとってくれば払うかもしれない。価値を知らないということはそういうことだろう。
社会が保障しているから価値があることは、外国為替市場においては一万円以上の価値があることが多い100ドルが、日本の社会においては大抵の場合一万円の価値をも持ち得ないことでも判る。意味が分からない人は、外国為替取り扱いの銀行に行って日本円を100ドルに交換し、それを使って買い物なり各種サービスなりを受けようとしてみればいい。この実験を行なう場合、100ドルの他に一万円を持って歩く方が無難なのは言うまでもない。大概の場合は断られ、下手をすれば警察を呼ばれる。
リンク先で言っていることは、実は一万円に普遍的な価値があることは暗に認めていて、人によってその人の内部での一万円分の価値と外部の一万円分の価値のミスマッチが往々にしてある、というただそれだけのことだろう。そういう話をするときは、社会的制度から離れた価値観を持ち出さなければ有効な議論にはならない。

F1ヨーロッパGP

棚ぼたとはいえ、バリチェロ、三位入賞おめでとう!
しっかし、タイヤやら空力やらへの制限は、安全性のためだと言い訳をしてるが、今期のタイヤ制限は明らかに危険だということがはっきりしたのではないか。
死人が出る前に元に戻すべきだと思う。

金曜日, 5月 27, 2005

コントラストの高いプロジェクタを作るアイデア

光も波なのだから、逆位相の音波によって環境音を低減するヘッドフォンがあるように、逆位相の光によって環境光を低減するプロジェクタがあっても良いんじゃなかろうか。
あ、光の位相をコントロールする技術がないのか…。

アニメのDVDが売れてないらしい

http://animesama.cocolog-nifty.com/animestyle/2005/05/dvd_bf4c.html
当たり前だ。
現状の発売ペースで、少しでも気になるタイトルを集め続けていたら、霞でも食って生きなければならないのはもちろんのこと、自由時間のほとんどをアニメを観ることで消尽されてしまうだろう(わざわざDVDを買うような人間が、現在放送中のアニメを観ないわけがないのだから、それにプラスDVDの分の時間が掛かるのだ)。
発売している側の人間は、もし自分が現在市場に出回るソフトを買っていったら、自分の生活スタイルが一体どうなるのかを想像してみたりはしないのだろうか。もしかしてそんな余裕もないのか?

P901iのアップデート機能に不具合

http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0505/27/news035.html
携帯電話の開発現場が破綻しかかっていることはそこかしこで仄聞されていたわけだが、それがだんだんと表面化してきつつあるのではないだろうか。

リンクタグをつけるのはURL文字列そのものという習慣

最近、リンクタグをつける文には当該リンク先のURLをそのまま書くようにしているところが多くて、その印象に従ってここでもそうしているわけだけれども、何故そうしているのかにようやく気付いた。
はてなダイアリーは誰かが登録したキーワードには勝手にリンクタグをつけてしまうので、その文章を書いた人間がリンクを張ろうと思ってつけたものなのか、はてなダイアリーが勝手につけたものなのかが区別できないからだ。
どうでもいい話だが、私はこの勝手にリンクを張られてしまうという機能が大嫌い(単語の切り出しが上手くいってないことも多いし―カタカナ語で顕著―、同表記異義語に対するフォローは皆無である。あまりに一般的な単語が数多く登録されているために、自分と同じ興味を持っている人間を探すという本来の目的には、googleの方がよほど的確に答えてくれたりする)なので、はてなダイアリーを使おうという気にはなれないのだ。
あ、はてなのシステムの気に入らないところを書くエントリじゃなかったっけ。
話を戻すと、リンクにはURL文字列がそのまま現れるという習慣は、おそらくはてなから始まったと思われるわけなのである。で、実際にやってみると、「これ」とか「ここ」とかにアンカータグをつけるよりは、書くほうも見るほうも楽だということが判明したのである。よって、はてな以外にもその習慣が広まって定着した、と私は分析してみたわけなのである。間違ってる可能性も高いが。

水曜日, 5月 25, 2005

景品交換所の被害届けをパチンコ店が出している、これすなわち賭博禁止法違反

http://blog.livedoor.jp/murmur/archives/22750495.html
なんじゃこのぐだぐだな警察行政の実態は。
卑しくも役所の一部を担うものなら、せめて建前を維持する努力ぐらいせんか馬鹿者。
こんなぐだぐだな役所に警察権のような強大な権限など与えておける筈もない。即刻問題にすべし。これは適当な野党(当然のことながら、社民党以外)やら週刊誌やらに垂れ込みまくるべきか。

火曜日, 5月 24, 2005

健康搾取番組

http://biotech.nikkeibp.co.jp/fs/kiji.jsp?kiji=394
テレビの健康番組は特定保健用食品のCMになっているという、ある意味で当たり前の調査結果が出ている。
面白いのは、番組の視聴量と特定保健用食品のマークの意味の認知率が逆の相関を示したという点で、意地の悪い見方をすれば「そういう知識のない馬鹿が健康番組に乗せられやすい」と取ることも可能になる。
最後のパラグラフに現れる「フード・ファディズム」というのはまさにそういうことを言っていると思われるのだが、さすがに記事中ではそういう表現は使っていない。
人間の行動についての科学的な分析は、往々にして「角が立つ」ものなのだが、科学専門誌でもなければそういう角が立つ表現をストレートに書くわけにはいかないか。
それにしても、私が子供だった頃にはテレビなどという媒体は信用できないものの代名詞だった筈なのだが、いつの間に強迫観念を植え付けうるまで信用されるようになってしまったのだろうか。放送を行なっている側が何かしら変わったという印象は私には特にないのだけれども。
まぁそんなことを言ってみても、現在私の机の上にはグリコの新製品である「GABA」があったりするので、ちっとも説得力はないわけなのだが(ちなみに「GABA」は特定保健用食品ではない)。

blogと小説は違う

http://lsty.seesaa.net/article/3742498.html
小説は、議論をするために書いているわけではないが、ブログはそうとは限らないというか、用意されている道具を見るに、どちらかといえば議論をするために書いているという側面が強いのではないか。もちろん、そうではない人がブログを文章発表のツールとして使っている場合もあるわけで、リンク先の人はそういう人なのだろう。
賞賛は新たな議論にはつながりにくいけれども、批判は議論につながるわけで、いっしょくたに全て無視しろというのはえらく乱暴な話だ。
自分の書いた文章に対する他者の反応に反応するかしないかは自分で決めればいいことで、一概に「これだ」と決め付けることはできない。まぁ当たり前の話だ。
もっとも、反応を返さないことを「失礼だ」と受け取る人が一定数いるので、「とにかく反応しないことが正しい」という決め付けもそういう人に対する抑止にはなるかもしれない。

嘘吐き

http://blog.goo.ne.jp/kawauchi-sori/e/7c89556c144ec3db4b69bff19dfa0917
米国産牛肉の禁輸解除に関して、食品安全委員会の言っていることは非常に胡散臭いと感じていたのだけれども、こういう裏があったとはね。そりゃ胡散臭く聞こえるわけだわ。
別に米国産牛肉が輸入されても、消費者がそれを充分な確率でもって(注意深く観察して95%以上の率程度か)見分けることが可能ならば、私は一向に構わない訳なのだけれども、日本国内の食品表示事情を鑑みるに、そんなことはあり得ないことも充分に承知しているので、反対の立場を崩すわけにはいかない。
リンク先で指摘されている行為に関わった官僚は、政府がやるべきことは馬鹿な国民を上手く騙すことだと認識しているのだろうか。だとすれば、そのような輩は公職追放に処してしかるべきだろう。

そもそも兵器に詳しくないのが問題

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050519#p1
あぁもう。
こういう阿呆な主張をするから、運動全体が胡散臭く(より正確に書くならば、宗教的情熱によって動かされているように=話し合いは無駄になる可能性が高く)見えてしまうのだ。
目的が崇高なら手段は問わないなどと考えているのなら、それはテロリストと同じ思考回路である。というか、知への破壊活動(間違った知識の流布)を行なっているのだからその意味ではテロリストのようなものだ(世の中には知への破壊をいとわないテロリストは五万といるが)。
目的が崇高だと信じるなら、使う手段も崇高な手段しか使うべきではない。普遍的に崇高な目的など存在しないのだ。他者に自らの目的が崇高であることをアピールできないようでは、いつまで経っても声が大きいだけのマイノリティに留まるだろう。

緊急事態大臣

http://www.asahi.com/international/update/0520/001.html?2005
ニュースそのものではなくて、ロシアには緊急事態大臣なんてのがいるという事実に驚いた。

水曜日, 5月 18, 2005

アルコール燃料

http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20050517106.html
この記事からは判らないけれども、エチルアルコールの原料であるトウモロコシが、実ではなく茎や実の軸ならば、非常に有用なシステムであると言えるだろう。
確かIRLやCARTで使用されている燃料もエチルアルコールである(だから給油時に火災が発生しても炎が見えない)ので、現行のガソリンエンジンシステムから非常に簡単に移行できることは明らかであるし、埋蔵されている化石燃料を燃やすよりは、バイオマス由来の燃料を燃やす方が大気中に留まる二酸化炭素量は減らせる。
日本ではエチルアルコールには酒税法というしょうもない縛りが加わってしまうのだけれども、ガソリンにも揮発油税というかなりしょうもない税金が掛かっているので、実際にはあまり変わらないかもしれない(製造や流通業者の事務手続きが面倒になるだけ)。

無意味なものを落札することで得られる宣伝効果

http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20050517102.html
なるほどー。確かに企業の存在と名前を周知徹底するには有効な手段だと思う。
とはいえ、こういう突飛な手段(であって、しかも突飛であることが効果に多大な影響を及ぼしている)というのは他にやる奴がいないから有効なのであって、みんながみんなやり始めると途端にその有効性を著しく減じることになるだろう。効果が持続するかも知れないのはせいぜいが2社程度ではなかろうか。
それぞれのキャラを立たせるような戦略を取ることができれば、2社に増えても効果はさほど変わらず、しかも1社で続けるよりも効果の持続期間は伸びるかもしれない。

火曜日, 5月 17, 2005

hpの「原宿Lovers」デジカメ

http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20083584,00.htm?ref=rss
これまでの西欧圏における日本文化の引用と比較して、日本文化に対する理解は(たとえそれが表面的なものであったとしても)間違っているということはないように見える。「カワイイ」の対応する街として「原宿」を持ってくるのは、それなりの知識を持っていなければ無理だろう。
んが、「原宿」の書体に味も素っ気もないゴシック体を使っているところは、まだまだ日本を引用して日本人を唸らせるデザインには達していないと言えるだろう。ここで極太明朝とか金文体なんか使われると却って引いてしまうかもしれないが、レンズ周囲の「Love. Angel. Music. Baby」は凝ったデザインの書体を使っているのに、「原宿」の方は味も素っ気もないゴシック体というのではいかにもバランスが悪い。
コンセプトだけ説明して日本人デザイナーにデザインさせたら、どういうものが出来上がっただろうか。

「頭が痛い」

http://scientific-browser.hp.infoseek.co.jp/zatugaku/15_headache.html
一見尤もらしく思えるが、実は間違っている。
人間が五体を意識するときに、その場所を占める臓器と血管を分けて意識する人などいない。
肝細胞からなる肝臓と、肝臓に走る血管のネットワークを分離して考える人間など、血管そのものを研究している研究者でもなければいる筈もない。腕の血管が痛むとして、腕を構成する血管以外の要素と血管を分けて考えて「腕が痛いというのは間違い」などと言う人間はいない。
よって、頭に存在して脳に栄養分その他を供給している血管はやはり頭なのであり、その血管が痛いのならば頭が痛いと表現して全く間違いではないのである。
惜しいね。『「脳が痛い」は間違い』なら合ってたのに。

萌えを研究するコンサル志望女子

http://www.otsune.com/diary/2005/05/15/1.html#200505151
まるで今月のYoung KING OURSの「妄想戦士ヤマモト」のネタのようだ(目標とするものは全く違うが、表面上の行動はかなり似ている)。
こういうのをシンクロニシティと呼ぶのだろう。

NS-1のバッテリを交換した

通販で4000円ばかし使ってフルカワのバッテリを購入。それが今日の22:30に届いたので、いてもたってもいられず(ここが笑うところだというのは特殊な人間にしか通じないだろう。ちゃんと噛んでおかないとそれすらも判らないか)、NS-1を自転車置き場から引っ張り出して薄暗いアパートの照明の下(街灯としては普通の明るさである)、いそいそと交換する。
んで、キーをONまで回すと煌々とニュートラルランプが点灯するので嬉しくなってしまって、そのままその辺を一周してきたらガソリンがなくなってリザーブで帰ってくる羽目になった。車体を揺らすと水音がしていたのでまだ平気かと思っていたのだが。

リベラル?

市民運動なんかに関わっている人間を「リベラル」と呼ぶのは相当に違和感があるのだけれども、世間的にはそれでいいことになっているのだろうか? 彼らが奉じているのは、自由主義というよりは、政府敵対主義なんじゃねーのか?

月曜日, 5月 16, 2005

アニメ絵=超正常刺激

http://www.geocities.co.jp/Playtown/2080/
ここの5/15分(いずれ、過去ログに移動するだろう)。
要するに超正常刺激という奴ですな。実物よりも特徴を強く抽出したものにより惹きつけられるという。
一見して生物として間違っているように見えるけれども、実は内部に組み込まれている仕組みが原因になっているので、間違っているとは言えないのである。
つまり、萌え物件にオタクが群がるのは、生物学的に見て決して異常なことではなく、生物界一般に見られる現象である、ということになる。

Windows Thin Client

http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20083497,00.htm?tag=nl
なんのことやらよく判らないのだが、要するにX端末(X-WindowのXサーバだけが動く端末。まだWindowsがNT3.1しか出ていなくて使い物にならなかった頃には結構使われていた)のWindows版なのか。
大昔に似たようなことを考えたことがあったが、spyで観測できるWindowsのイベントだけではどうにもこうにもならなかったことを覚えている。そもそもイベントの意味がよく判らんかったような気もする。
今なら、ブレードサーバの有り余るCPUパワーでアプリケーションとサーバ側の通信プログラムを動かすのは屁でもないだろうが、当時はまだでっかいPeutiumがようやく出たくらいで、主に使われていたのは80486だったので、そんなのは不可能もいいところだったのだ。通信路もローカルなら10MのEtherが、リモートならISDNが通ってれば御の字だったし。

金曜日, 5月 13, 2005

Firefox 1.0.4日本語版リリース

http://www.mozilla.org/products/firefox/
1.0.3の致命的なセキュリティホールが塞がれているので、使用している人は可及的速やかに入れ替えるべし。

鳥山明デザインと言われても…

http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20083496-2,00.htm
このモデリング、レンダリングではパチモノにしか見えぬ。

タイツくん

http://www.tights.jp/archives2/2005/05/google_2.html
定期的にこういう馬鹿が現れるね。
馬鹿のページはこちら。
http://www.suisui.co.jp/
あまりに馬鹿すぎるので「馬鹿だ」以外のコメントがなにも思い浮かばないよ。
これでSEOに類する行為は商標を脅かす行為だなんて裁判所が認めてしまったりすると、非常にややこしいことになる気がしないでもないが、まさか裁判所がそんな間抜けであるわけがない、などとは言い切れないのだよな、地裁レベルだと。
アメリカだとこんな裁判が(仮にあったとしたら)陪審員に対する弁護士の舌先三寸で決まってしまうのだから恐ろしい(偏見)。

いよいよ日本でもPepsiX発売

http://www.suntory.co.jp/news/2005/9113.html
いよっ! 待ってました大統領!
とか言って、最初に飲んで味を気に入らなければ続けて飲んだりはしないわけなのだが。Pepsi BLUEはちょっと甘すぎるところもあったけれども、基本的には気に入って、近所のスーパーに入荷した分の1/3位は飲んだんじゃないかってくらい飲んだ。
清涼飲料水といえば、コカコーラの新製品「パワーエイド」を飲んでみたのだが、クエン酸がえらくきつくて、とてもすっぱい&変な味の飲み物だった。実際に体力低下に利き目がなかったらこんなもん飲まんな。同じ新製品のアクエリアスのアクティブダイエットは飲みやすくて好感触だったのに。

Cherry-OSの開発者、ケツをまくって逃走

http://www.itmedia.co.jp/pcupdate/articles/0505/12/news045.html
だから嘘を吐いても許されるのは4/1だけだっつっただろ。

木曜日, 5月 12, 2005

メールにはすぐ返事をするのがマナー?

http://tsurime.maid.ne.jp/diary/d200505b.html#11
私は携帯電話でメールをやり取りするという文化圏に身を置いたことがないので、ここで表明されている違和感はとてもよく判る。
既に道具に使われている状態になっているのではないかという感じがする。
http://www.otsune.com/diary/2005/05/11/3.html#200505113
ここで言われているように、Messengerの文化に近いものを感じる。いや、Messengerもほとんど使ったことがないのだけど。
しかし、「コミュニケーション=相手を束縛すること」では決してないと思うのだけど、自由度の高いコミュニケーションツールができるとそういう方向へ進みがちなような気がするのは何故なのだろう? 人間は誰しも他者を支配したいという欲求を持っているということなのだろうか。

大量の仏典はディスアセンブルの結果ではなくて

http://d.hatena.ne.jp/hachi/20050511#p5
むしろ、バイナリ(=仏陀のオリジナル発言)から推測によってリバースエンジニアリングを試みた者たちが残したテストソースコードや仕様書だろう。おそらくそのどれもが完全ではないと思われる(完全なリバースエンジニアリングに成功していたら、そちらが原典として取り扱われてもおかしくないので)。
私は仏教の歴史は、「なんだかよく判らないがすごそうなことを言っている仏陀の言葉」に対する弟子達の「俺解釈」の積み重ねによると解釈している。年代が下るに従って、前の世代の弟子によって為された俺解釈に対する孫弟子による俺解釈が積み重なっていった、と。
良く考えてみれば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係も似たようなものだ。

パケットビークルというアイデア

http://www.ce-lob.net/ringo/archives/2005/05/09/index.html#a000021
どこかで読んだことがあるような気がしたと思うのだが、牧野修「傀儡后」だったか。暮らしているワンルームの部屋自体が移動して通勤列車に接続されるとかそんなの。まぁ昔からSFには小道具として良く現れるテーマだと思う。
それらのアイデアと比較してこのアイデアの目新しいところは、「移動はゆっくりでいい」という1点に尽きるだろう。ほとんど全ての項目は、その1点から導き出されている。
どうしてそこまでして移動しなければならないのか、基本的に人間と顔を合わせることに重点を置かない私には理解しがたいのだけれども(個々人の目的に合わせたすりあわせまで可能なエージェントが作成可能ならば、移動などせずに通信のみで会合を行なうこともまた可能であろう。そうやって移動を不要にしていった方が資源の節約になる。まぁこれは森博嗣の受け売りに過ぎないわけだが)、いきなり人が移動することを贅沢と看做す社会に到達できるとはとても思えないので、盛大に資源を無駄遣いして軟着陸を試みているのだろう、などと意地の悪い見方もできる。
通信では代替不可能な移動にだけ資源の利用を許可しそれ以外の移動は全て自転車で行なうこと、などという法律を作ったら、石油資源の大幅な節約は可能だろうけれども、旅客運輸関連の企業や自動車関連の企業がまるごと倒産してしまって社会が破綻してしまうので、そのような硬着陸は不可能であろう(なんで軟着陸は変換できて硬着陸が変換できないのだろう?)。自由経済社会においては、そのようなベクトルの改革というのは不可能に近くて、改革にはそれまでの習慣を捨て去っても新しいやり方に移行した方が良い、という明確なメリットが必要になる。消費者の選択の結果として既存企業が滅ぶのは一向に構わないわけだ(おそらくこれも単なる建前に過ぎないと思われるが、根拠はない)。
画期的なアイデアがあったとしても、そのような形に持っていく事ができなければ単なる絵に描いた餅になってしまうわけだ。そういう意味では、既存の社会資本を大幅にリプレースしてしまうような画期的アイデアというものは、社会が発展していればしているほど、形となって世に出にくくなるということになる。経済が発展した末に停滞するという事象の原因の一つかもしれない。

脱線事故と臨界事故の違い

http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20050506#p2
リンク先でJR西日本の脱線事故とJCOの臨界事故を同じ性質のものとして扱っているけれども、なにか違和感を感じる。
JCOの臨界事故は、原子力発電に関する基本的な知識があればやらない類の不手際が問題であり、例えばマンハッタン計画に関わった科学者のエピソードとして、科学知識に乏しい作業員が臨界量に無頓着に高濃度の放射性物質を扱っているのを目撃して慌てて止める、というものを読んだことがある。
国民性とかそういうものには無関係に、知識があるかないか、もしくはその知識を実感しているかいないかの問題に帰着する話であろう。化学の実験において危険な薬品を扱っているのにふざけている学生のようなものだ。
それはカーブでの速度超過も同じではないかという人もいるかもしれない。が、カーブに速度超過状態で進入するのは危険なのではないかという推測は、高速移動する乗り物に乗ってカーブに進入すれば体感できるけれども、放射性物質の臨界はそのように体感できる話ではないという点で大きく異なる。
つまり、速度超過は「余程の馬鹿でもなければその結果が予測できて当然」という前提が社会的に共有されているという認識があるのである。それなのに、敢えてその速度超過を行なった理由として、JR西日本の体制や日本人の時間厳守の性質が問題になっているのである(念のために書いておくが、私は現状のJR西日本バッシングについては非常に強い否定的意見を持っている)。
翻って臨界事故に関しては、何をすると危険なのかという知識が実感として共有されているなどということは前提にできない。逆に、放射能とは一体どのような概念なのかさえ判らないという共通認識は、広く共有されていると言ってもそれほど反対する人はいないだろう。
よって、臨界事故に関して「自分ならあんなことはしない」と胸を張って言える人間は少数派であり、そこからさらに先に進んだ「そうであるのに何故そのようなことをしたのか」という議論にはたどり着けないのである。
やはり念のために書いておくが、私は脱線事故が速度超過のみによって起きたとは考えていない。もちろん一要因ではあっただろうが。それだけならばもっと頻繁に起きてしかるべき事故だろう。

水曜日, 5月 11, 2005

眼がおかしい

日がな一日ディスプレイを眺め続ける生活をもう10年以上過ごしているわけだが、今日は今までにないくらい眼がおかしくなった。
ちょうど注目点辺りになにかまぶしい感じの領域ができて、まともに字が読めないのである。
しばらくその状態が続き、現在では視界の右端がそういう感じで点滅している。
なんだこれ。網膜剥離か?

国際化中華思想

http://kotonoha.main.jp/2005/05/09charactercode.html#m_p3
「多言語対応でないコードを書くのは島国根性」という発言がなんか引っかかる。
それは島国根性じゃないだろう。英語圏のプログラマが1byte文字しか扱えないコードを書くのは島国根性では決してない。それと何が違うのか。そのプログラマがイギリス人なら島国根性なのか。アメリカ人ならなんだ?
ここからは別の話。
金を払ってプログラムを利用しているのでもなければ、プログラムの仕様に関して直接文句を言うのはともかく、プログラマの思想に踏み込んで文句を言うのは何様のつもりなのかと反発されても仕方がないだろう。
そもそも、こういう発言をしてUTF-8対応のコードを書く人間が増えるとでも思っているのだろうか?
自分に対して善意の行為をしてくれない人間を批判して、自分に善意が向くようになるなどと考えているのだとしたら、単なる愚か者である。同調している連中も、ちったぁコードを書く側の立場に立って考えてみるといい。自分の善意の行為に何かが足りないとして、それに難癖をつけてくる連中に何かをしてやりたいと思うのかどうか。
そりゃあ、国際化されていないコードよりは国際化されているほうが良いだろう。しかし、人間が自分が必要だと感じていない余計な作業に手間を割くに至る心理過程を考えてみれば(時には必要であっても作業になかなか取り掛かれないというのに)、何故国際化されたコードが書かれないのか、そして国際化されたコードを書いてもらうにはどうすれば良いのかが見えてくる筈だ。プログラマの心性の批判はその道程には決して乗っていないか、もしくは大きな遠回りの道程に乗っているだけだろう。このようなことを言い出す人間は、国際化中華思想に冒されているとしか思えない。
だいたい、プログラマには面倒くさがりの人間が多いのだ。面倒くさがりの人間をいくら叱咤しようとも、実質的な利害が発生しない限りは動かないことは世の常識ではないのか。
反発を感じてそれを表明するのは自由だけれども、それが自分の居心地のいい世界が訪れることにはつながらない。判っててやってるなら別にいいんだけど。

blogには編集者は居ないと思うが

http://blog.goo.ne.jp/setsuto/e/46c5f89868101420dbdd7446f7ca1f0f
編集者という立場を拠りどころにしてblogを語ることに相当な違和感を感じる。
ニュースサイトの管理人ならまぁ判らないでもないけれども、この人はそういうわけでもないようだし。
私は記事の管理が面倒くさくないWeb日記としてしかbloggerを使っていない(それ以上の使い方ができるわけでもなさそうだし)ので、余計にそう感じるのか。
それとも、goo blogの新サービスとしてgoo blogに溢れる有象無象のエントリから面白いものだけを集めるサービスでも始めるのだろうか? それって、goo blog限定のニュースサイトと何が違うのか? 別段情報源を限定されていないニュースサイトと渡り合っていけるのか?
つーかさ。ブームで爆発的に裾野が広がって、そのまま固定客が居着いてくれるかどうかが分かれ目なんでないのか。それに成功すれば、短期で終わることが最初から判っているブームが終わってもなんてことはないわけで。
失われた10年もしくはバブルのおかげで、そういう地道な思想というのは滅んでしまったのだろうか。

PismoのHDDを交換した

去年の夏辺りから動作が怪しくなってきたPismoのHDDがとうとう壊れる寸前の挙動を示したため、新しい2.5"HDDとFirewireで接続可能な外付けキットを買ってくる。4200rpmとはいえ流体軸受け80Gで15000円弱、キットは5000円弱と、昔に比べればずいぶん安くなったものである。
ちなみに怪しい動作というのがどういうものかといえば、長時間(一日程度)動作させておくと回転が止まってしまい、電源を入れなおすまで無反応になるというものだ。どうも原因は熱らしい。Pismoの熱センサはHDDを考慮に入れていないらしく、CPUをぶん回していると5分ほどで回りだすファンも、HDDが加熱しても全く回ってくれない。
Pismoの内蔵HDDを流体軸受けにしてほぼ無音で運用できるようになってからというもの、無停止で運用するのが普通になってしまったので、寿命なのだろう。
で、Tigerを入れた翌日あたりの気温が高かったせいか、外出から帰ってきたらHDDが停止していた。とは言え、そこまではこれまでに何度も経験したことなので、あわてず騒がす電源を落とし、しばらく冷ましてから再起動を掛けるも起動しない。あわててインストールDVDで起動してDisk First Aidを掛けると、OSの入ったパーティションが壊れている。あわてず騒がず修復を掛けるも、何度やっても修復に失敗する。だめ元で起動ディスクを壊れたパーティションに指定すると、何故か起動するので、とりあえずネットワーク越しにデスクトップにHDDの内容をバックアップするが、コピーに死ぬほど時間が掛かるわFinderは管理者権限のパスワードを要求するくせに途中で「権限が足りない」と言ってコピーを中断するわでさっぱり進まないので、外付けキットも買わざるを得ないと決断した。
Pismoの内部アクセスはごく簡単で、キーボードを外してシールドのねじを外してやれば、後は取付金具ごとHDDを引きずり出せる。取付金具にHDDを固定しているのがTorxネジだが、Torxネジ用のねじ回しを持っているのは中身をいじるMacユーザとしては当然なのであわてる必要はない。
というわけで、取り外した壊れかけのHDDをキットの基盤に挿し込み、新しく買ってきたHDDを取付金具に固定してPismoに押し込み、放熱板のネジを締めてキーボードを取り付け、交換作業は完了。所要時間は30分も掛かっていないだろう。
とりあえずインストールDVDから起動して新しいHDDのパーティションを切る。で、最近のディスクユーティリティにはHDDパーティションの丸ごとコピーという便利な機能がついているので、いつもはiPodを接続しているFirewireケーブルに外付けHDDを接続してコピーを試みる。
んが、やはり壊れているOSのパーティションは途中でコピーに失敗、ためしにそこから起動してみてもやはり起動しない。しょうがないので、インストールDVDから再び起動して、上書きインストールを試みる。何故にここまで以前のOSに拘るかと言えば、各種ドライバの類をもう一度インストールするのが面倒なのはともかくとしても、ユーザディレクトリが同じパーティションに作られてしまってMailなどのデータ(受信したメールも含まれる)がそこに格納されてしまうからである。アプリケーションとOSが不可分になりつつあるのはOS9時代から見て明らかに後退だと思うのだが、誰も不満に思っていないのだろうか?
んで、上書きインストールには成功して、無事に起動するが、どうも設定の類は綺麗さっぱり忘れているようだ。しょうがないので、ユーザの下のディレクトリ(Libraryとか)をまずはコピーしてみることにする。流石にFirewireでつながっているとコピーも速い。「ファイルが使用中だ」と言われて終了してしまうことはあったが、小分けにしてコピーすることで回避した。
ユーザディレクトリ下のファイルコピーが上手くいったので調子に乗って、今度はOS本体のLibraryなどもコピーしてみる。こちらも何事もなく終了したので再起動。何の問題もなく起動する。
やっと安心して時計を見ると午前2時を回っている。このまま起きていると明日に差し支える(もう充分差し支えるのだが)ので、一番大きいデータ用パーティションをディスクユーティリティでコピー開始して寝ることにする。どちらも流体軸受けなのでアクセス音以外は静かなもので、寝るのに何の問題もない。
朝起きてみると、瀕死のディスクが熱で死んでいてコピーが途中で止まっている。アクセス中に触るとかなり熱かったので、止まるのも致し方なし。深夜のうちに停止したらしく現在は冷えていたので、Firewireケーブルを引っこ抜き、すぐさま挿す(デスクトップ上には他のパーティションのアイコンが表示されていたが、アンマウントしてもFinderがフリーズするだけなので)。
何事もなくマウントされたので、再びディスクユーティリティにコピーを命じ、朝の支度。支度が終わってPismoの画面を見ると完了していた。なんじゃそら。
とまあこんな顛末で、ようやっともとの環境に戻すことができたわけである(Mailとシイラくらいしか使っていないので本当に元に戻っているかどうかは判らないが)。
長い割には内容がないね。

火曜日, 5月 10, 2005

火星生命の根拠は不自然に多いホルムアルデヒド

http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20050510304.html
生化学は門外漢もいいところなので知らなかったのだけれども、ホルムアルデヒドというのは生化学においてはメジャーな物質のようだ。
ホルムアルデヒドの水溶液がホルマリンだということは(実際は同じものかと思っていた)知っていたし、ホルマリンは生物標本の固定液としてメジャーであることも知っていたので(これは知らない人のほうが少ないだろう)、生命活動を阻害することはあっても積極的に利用されるものであるとは思っていなかった。最近ではシックハウス症候群の原因物質として槍玉に上がっている。
良く考えてみれば、固定の原理がよく判っていないことに思い当たった。単にホルマリンが毒物だから腐らないのだろうなどといい加減な理解でいたのだ。それなら固定液の種類がもうすこしバリエーション豊かでもよさそうなものだ。
というわけで原理を調べてみたら、何のことはない。生体の基本的な構成要素である蛋白質を変性させることによって、それ以上の変化を防いでいるということのようだ。詳しくは次のリンクにある(文章の趣旨は違うが、化学反応式まで書いてあるし、科学周辺の読み物として読んでも面白い)。
http://www.nrifs.affrc.go.jp/news/news25/2502-1.html
蛋白質を変性させる作用があるのだから、毒というか身体に害を与えることは間違いない(生体の蛋白質が熱で変性した状態を火傷という)。なるほど、昔持っていた生物の本にホルマリンの瓶を覗き込むなと書いてあるわけである。
えーと、何の話だったっけ。あ、火星の生命の話か。閑話休題。
ちょっと調べた程度では、ホルムアルデヒドが生命活動で直接的に排出される物質であるかどうかは判らなかった。工業合成でもエチルアルコールとは違って、生合成に頼るわけではなくて、一酸化炭素+水素によってメチルアルコールを合成し、それを銀を触媒として酸化させることで合成するようである。
もっと複雑な物質が分解された結果として生成されているのだろうか? もっとも、メタンが生命活動で合成されることは普通にどこでも起きているのだから、メタンからホルムアルデヒドを合成する生命体があってもおかしな話はないように思う(化学的ポテンシャルがメタンよりもホルムアルデヒドが低いことが前提だが)。要調査かな、これは(といって継続して調べたことはあまりないわけだが)。

LaCie LightScribe

http://www.lacie.co.jp/product/archival.html#00
なるほど。どれくらい出力の差があるのかは知らないが、レーザーによってデータを書き込むのだから、同じ機構でラベル面のレーザー加工もできるということか。面白い面白い。
2層DVD-Rドライブはまだまだ高級品(=買う奴は物好き)なので、こういうちょっとした付加価値のある製品は充分受け入れられる余地があると思う。

月曜日, 5月 09, 2005

JR西日本叩きに違和感を感じる理由

既に私は総体としての日本人のモラルに完全に失望しているので、モラルを以ってして正常な運営を図ることを意図した一連の流れには強い危機感を抱かざるを得ない。
何故に世間一般の人はモラルなどという曖昧模糊きわまりない代物に自分の命を(今回の事故では107人も死んだ)預けられるのだろうか? どうしてそんなあやふやな状況で安心していられるのだろう?
モラルが感じられない組織に干渉することで、その組織が更生してしっかりとしたモラルを持つなどという幻想を何故信じられるのだろう。
それとも、単にそういう口実をつけて抵抗できない弱いものを叩いて鬱憤晴らしをしているだけなのだろうか。

金曜日, 5月 06, 2005

動物は食べなくては生きていけない

もう、予定のない休日といえば、洗濯だけやってあとはひたすら寝ているかうだうだつまんねーなどと思いつつTVを眺めているうちにいつの間にやら一日が終わっているというパターンが確立してしまっているので、ゴールデンウィークなどという休日が連続している週などは、何をしていたのかなんていうことも思い出せないうちにあっという間に過ぎてしまうのである(本当に何もしていないので、何も思い出せないのが当然)。
平日に極々生産的、活動的に過ごしているわけでもないのに、このように休日を過ごしてしまうのは、なんか人間としてあまりよろしくないような気がするのだけれども、水は低きに流れるとはよく言ったもので、こういうひたすらポテンシャルの低い過ごし方というのは、なんと言うか、ものすごい楽なのである。そうやって過ごしてもいいことになってしまうと、もう日経サイエンスなどのほんの少しポテンシャルの高い文章も読む気をなくすし、甚だしきはマンガでさえ読む気をなくしてしまうのだ。
閑話休題。
そんな状態で眺めたものなので、内容が正確であることなどあろう筈もないが、フジテレビの番組「アンビリーバボー」で「食事をせずに生きていく」という話題を取り扱っていた。いくらだらけきっていたとしても、こういう突っ込み甲斐のある情報には触手が伸びる辺り、つくづく業というものを感じさせる。
その内容といえば、全く飲み食いをせずに生きている高齢のロシア人女性を取り上げ、彼女のことを調べたと称する研究者のコメントと、腸内細菌叢にその理由を求める非常に苦しい説明だった(あれが本当なら、腸内細菌叢まで含めた生態系としての彼女は永久機関になってしまう)。その前に紹介していた、米国のジャムサンド以外の食物を受け付けない少年の話によって、腸内細菌叢という言葉に尤もらしさを与える手法が小憎らしい。
全く飲み食いをしないのであれば、使われていない消化器系は萎縮している筈(使われない人体組織は必ず萎縮する)で、そのことに全く触れていないのは不自然極まりない(そんな情報は、例えば戦時中の手記などを参照すればいくらでも得ることができる)し、排泄に関する情報が全くないのもおかしい。とまあ、素人科学レベルで突っ込みどころ満載なのはいつもの話である。
んで、おそらくこの企画を立てた作家の知識背景になったと思われる本のレビューを見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20050501#p1
リンク先の人は「直感的に正しい」とか言っているけれども、そもそもリンク先の人の置かれている状況が非常に特殊であることが考慮に入っていない。そりゃあ、食うことが一番のストレスに感じるくらい何もない生活ならば、食えば疲労を感じるだろう。重い生活行為を削っていった結果、一番重い生活行為が「たらふく食う」という行為になっているだけで、要するに相対的にそうなっているだけの話である。
食事の後に眠気を感じるのは血流が消化器官に集まることで脳に割り当てられる血流量が減るからである、という説明は、小学生向けの科学雑誌などによくあるもので、そういう知識もないんだろうか、この人は(ちょっと調べてみると、「食後は副交感神経が優位になるから眠くなるのだ」という説明と、「昼食後に眠くなるのは体内時計の影響によるもの。午後には眠くなるのが当然で、食事とは無関係である。それを証拠に朝食後と夕食後に眠くなることはあまりない」という説明があった)。
異物を体内に取り込んで、自分で利用できる形に変換するという行為が何のストレスもなく行なうことができるなどという都合のいい話があるわけはないので、食事がある程度のストレスを伴う行為であることは明白である。が、動物である人間が活動のためのエネルギーや身体を構成するための物質を得るためには、食事をしなければならないこともまた明白である。
H.G.ウエルズが「宇宙戦争」中で描いた火星人は、消化器官などという原始的器官は持たず、血管に直接栄養分を注入する(確か他の生物の血液もしくはそれを加工したものだったように思う)ことで栄養を補給していた。要するに、食事という習慣は人類の活動において邪魔なものであるという認識そのものは別段目新しいものではなく、それでも外部からの物質の導入は必要であるという見解もまた目新しいものではないのだ。それくらいのことは100年前の人間だって思いつくことなのである。
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20050502/1115055672
ここでさらに詳しい内容の紹介があるが、結局は単なる精神論の話で、そこには科学的知見の欠片もないことが判ってしまう。経験談レベル以上のものではない。「少なくとも経験者がいるのだから嘘でない限り、有効であることは証明されているではないか」という人がいるかもしれないが、それでは問おう。オリンピック選手の経験談を読んで、オリンピックに出場できるレベルまで達することができる人間がどれだけいるだろう? 書かれていることが常識的レベルに留まっていたとしても、それが万人に適用できると考えるのは間違いである。ましてやここに書かれていることなど、ガッツ石松が書いた(十中八九、口述筆記であろうが)と言われる無茶なダイエット本とどっこいどっこいだ。何かしら言葉で飾られていたとしても、客観性はまるでないのだから同じことだ。この評価を変える気は私には全くない。
そうか。こういう本はBookoffで買えば良いのか。なるほど、なるほど。このエントリにまつわる議論でも起きたらBookoffで買って読むとしよう。

俺屍2が出るかもしれない

http://www.linda3.co.jp/cgi-bin/bbs/plning/cgi-bin/article.cgi?Id=1551
ぬ。俺屍2が出たらやりたいかやりたくないかと問われれば、やりたいに決まっている。
んが、もし本当に出てしまって、俺屍と同等かそれ以上に面白かったりしたら、現在の生活を社会人としての適正レベルに保っておく自信がない。
つーか絶対崩壊するよ! 頼むから俺の目の届く範囲にむちゃくちゃ面白そうなゲームなんか置かないでくれ!

木曜日, 5月 05, 2005

Mr.ドリラーA 隠しキャラ

2000mをクリアしたら、宇宙ウサギとかいうのが使えるようになった。
んが、このキャラの性能が半端でない。
・一度に横に並んだ3つのブロックが崩せる
・2段までの段差を登れる
・崩すスピードはタイゾウと同程度
という無茶苦茶な性能。宇宙であっさり2000mを越えることができる。
こんなのを使ってたら堕落する。罠だ。罠に違いない。

水曜日, 5月 04, 2005

Mr.ドリラーA 2000mクリア

あまりに何もやる気が起きないので、ついついMr.ドリラーA(GBA版)の2000mをクリアしてしまった。
今は反省している。

日曜日, 5月 01, 2005

久しぶりにNS-1を動かしてみる

ものすごく久しぶり(おそらく半年以上ぶり)に、NS-1を動かしてみる。
バッテリは完全に上がってしまっていたが、NS-1は原付なので、バッテリは電装系の補助にしか使わない。エンジン始動の方法はキックのみである。
というわけで、5分ほどキックを繰り返してあっさりエンジンが掛かる。冬場より全然楽だった。
チョークを引き、回転数が3000rpmを下回るくらいで一度チョークを切ってアイドリングで様子を見るが、排気音が不安定になってやがて止まる。
これも、これまで乗ってきて普通に起きることなので気にしないことにする。
再びキック。5回で掛かる。またしばらくチョークを引いて回転が安定するのを待ち、とりあえず市街へ出発。
北を回って17号バイパスを抜け、多少遠回りして市街を目指す。エンジンの回転数を落とすとウインカが点滅しない(ずっと点きっ放しになる)以外は快調。
とりあえずビックカメラに赴き、EAのマーセナリーズを探すがない。Sofmapにも行ってみるがやはりない。やっぱ最近の数が出なさそうなゲームは予約しないと買えないのか。
雨が降りそうなので、諦めて戻ることにする。
これでとりあえず動くことは判ったので、GW中にちょいと遠出をしてみるとしよう。

PismoをTigerへ

もうAppleの動作環境リストから落ちそうになっているPismoが私が日常的に使うMacintoshなので、Tigerはこちらにインストールすることにする。これまでも、PismoにPantherを、QuickSilver2002にはJaguarを入れていた。QuickSilver2002は、動作音がうるさ過ぎて日常的に使う気になれないのである。Windowsマシンよりうるさいってのはちょっと酷すぎる。
閑話休題。
PismoへのTiger自体のインストールは何事もなく完了し、Mail2やSafari RSSの機能を楽しんでいたのだが、余程のことがない限り回ることのないPismoのファンがやけに回る。おかしいと思ってアクティビティモニタを起動すると、CPU使用率が常時100%になってしまっている。
最初のうちは、Spotlightが索引を作成するのに必要なのかと思っていたのだが、Spotlightの索引作成が終わってもやはりCPU使用率は100%なので、これはおかしいと思って色々調べてみると、VirexがTigerに未対応で、システムプロセスとして動作しているVirexのプロセスが原因であるということが判った。
早速アンインストールコマンドを.Macからダウンロードし、Virexのプロセスをkillしてようやく落ち着いた。
なかなかに前途多難な感じである。大丈夫なのだろうか。

G4をPantherへ

どういうわけかTigerへのアップデートに失敗する、これまでJaguarが入っていたQuickSilver2002に、発掘してきたPantherをインストールする。これまでPantherが入っていたPismoにTigerを入れたので、ライセンス的には問題ないはず。
Pantherへのアップデートは何の問題もなく終了し、いまいち使い勝手の悪かったJaguarとようやくこれでオサラバ。TigerはiWork05とiLife05のバンドル品を買ったので、これらはPismoではなくてQuickSilverにインストールすることにする。
んが、OS9時代のくせでアプリケーション、データ、OSのインストールパーティションを切ったのが災いして、iLife05のGaragebandはインストールできない。よもやほとんど全てのアプリケーションが、OSと同一パーティションへのインストールを要求するようになるとは思わなんだ。データの整理整頓をしないとパーティションの切り直しは難しそうだ。頭の痛いことである。