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r-fukai's Diary ausf blogger

火曜日, 7月 31, 2007

科学を宗教として扱うのは間違いだっつーのに

http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20070731/p1
もはや他人の意見に耳を貸すということを全くしていないので、「こいつは馬鹿です」という指摘以外の意味はあまりないのだけど、間違ったミームが広がるのを防ぐのも必要な仕事であろう。
もし、科学がユダヤ教からイスラム教にまで連なる排他的な性格を持つ一神教であるならば、「敬虔なキリスト教徒である優秀な科学者」という人間は存在しないことになる。
しかしながら、欧米世界にはそのような科学者は大量に存在するし、厳格なイスラム世界にも優秀な科学者はいる。おそらくユダヤ世界にもいるだろう(アインシュタインは敬虔かどうかはともかくとしてユダヤ人ではなかったか)。
彼らの精神構造がどうなっているのか、私は科学的手法を信用していると同時に緩やかな神道の信奉者ではあり、また形式的な仏教徒でもあるが、神道の考え方や仏教の考え方と科学が衝突しているとはあまり思わない(衝突する部分が全くないとは言わない)。おそらく彼らの心理世界においても、キリスト教の教えと科学が衝突する部分においてはどちらかが優先されているのだろうし、そもそも科学で検証しようのない部分については衝突しているという意識さえないに違いない。
なぜそのように、排他的な宗教(神道や仏教は違うが)と科学の共存が可能になるかといえば、科学は宗教の扱う分野を侵犯したりしないし(SF作家ソウヤーの作品に、科学的に人間が信仰心を抱く理由を解明するシーンが出てきたりするが、これはフィクション)、宗教もまた然りだからだ(原理主義にまで進んだ場合はダメだが)。
要するに、「他者に対して排除的な科学」という心理モデルは、排他的な一神教を信仰していない日本人が持ちやすい科学に対する誤った心理モデルであり(同時に外部からは排他的に見える宗教に対する誤解でもある)、その原因は主に科学的手法に対する不勉強から生じる。だからこそ私は最初に「日経サイエンスを一年間購読してから同じエントリを書けるならお相手しよう」と書いたのだ。

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日曜日, 7月 29, 2007

NHK BS-hiの廃止が検討されている

http://www.asahi.com/culture/update/0727/TKY200707270526.html
えぇーっ。
どう考えてもBS民放局の方が不要だろうに。昼間と24:00以降のBS民放局はほぼCMしか流してないぞ。

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セルロースから高純度の水素を精製する技術を東北大学が開発

http://scienceportal.jp/news/daily/0707/0707241.html
これはすごい! 本当にすごい!
「メカノケミカル処理」なる聞き慣れない言葉が出てくるが、それは東北大学のプレスリリース中に説明が出ている。要約すると、物質の結晶構造等の改変を主目的とした粉砕処理だそうな。
投入したエネルギーと発生した水素によって得られるエネルギーのエネルギー収支が書かれていないのは、おそらくはマイナスだからなのだろうけれども、メカノケミカル処理の効率化と、規模の大型化でなんとかなる問題ではなかろうか。
この技術の実用化が早期になされれば、バイオメタノールを飛び越して、燃料電池の時代になってしまうかもしれない。

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領域侵犯したものが攻撃されるのは当然

http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20070729/p1
大前提からして勘違いなので、全体が間違っている。
最初の段落で挙げられている、科学界から攻撃(という言葉はあまり適切ではないが)されているものは、すべて「向こうから科学界に踏み込んできたもの」なのだ。もっと判り易く書けば、「科学のふりをしている非科学的なもの」だ。
どこの科学者が仏教を、イスラム教を科学的側面から攻撃するのか。そんなやつは(頭のねじが緩んでいるやつくらいしか)いない。
何故か。それは、仏教もイスラム教も科学の世界には踏み込んでこないからだ。一部のキリスト教が攻撃される(IDとかな)のは、向こうから科学界に踏み込んできたからだ。
正確に言えば、科学界が行っているのは、科学の枠組みから考えて明らかにおかしいものを科学の枠組みに組み入れようとする動き(つまりは非科学的なものなのに科学のふりをすることで信用を得ようとする動き)を排除することであって、科学の枠組みに組み込もうとしない限りは放置する。自分たちに関わりのないなにかを攻撃するなどという不毛な活動にエネルギーを注ぎ込むくらいならば、自分の研究に打ち込んだ方が百万倍マシだからだ。
こういう動きは別に科学界特有のものではまったくなくて、キリスト教でもモルモン教をキリスト教だとは認めないしキリスト教徒たちはモルモン教徒に偏見さえ抱いている。統一教会もキリスト教からは別の宗教であるとされている。もし、統一教会が自分たちを正当なキリスト教の一派であることを認めさせようとする運動を展開したならば、キリスト教会は激しく攻撃するだろう。

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土曜日, 7月 28, 2007

アグネス・チャンは思想弾圧を正当だと考えているようだ

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/news/20070628ddm012040147000c.html

わいせつなアニメも子どもへの性的関心をかき立てる。それがいまだに「個人的な趣味」と正当化されている。

まー、日本は言論の自由が憲法で保障されてますから、誰が何を言ってもかまわないんですけどね。
"テレビのサスペンスドラマは犯罪への関心をかき立てる。それがいまだに「個人的な趣味」と正当化されている"と置き換えてみれば、アグネス・チャンがいかにおかしなことを言っているのか解るのではなかろうか。ポルノフォビアの人間は、どうして現実とフィクションの区別がつかない人間ばかりなのか。
あらかじめ言っておきますけど、日本の憲法には「思想および良心の自由」も保障してますからね。アグネス・チャンの言ってることが全部実現したら憲法違反だからね。
確かに、少女売春の被害者になった子供たちは可哀想だろう。しかしそれは、その国の法および警察力の問題ではないか。外国だろうがどこだろうが、現地の法を犯した人間は日本人であろうがなかろうが逮捕されて司法の場で裁かれるのが当然だし、逮捕されない犯罪者がいるからといってフィクションまで規制しようなどという思想は、私には断じて容認できない。
それは「善意で舗装された地獄への道」に他ならない。

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一夫一妻に関する進化生物学的アプローチ

http://blogpal.seesaa.net/article/49296795.html

個人的には非常に懐疑的。
中世日本における「通い婚」、中世中国における「一夫多妻」(金瓶梅を読んだことはないのだろうか)、現代イスラム諸国における「一夫多妻」、アフリカの社会における「一夫多妻」はイスラムとはなんとなく無関係な気がするし、少し前までのモルモン教における「一夫多妻」これらをどう説明するのか、エントリからはまったく読み取れないし、一時的なものとして積極的に切り捨てているように思える。
岸田秀の「性的唯幻論序説」によれば、一夫一妻制というのは産業革命以降の資本側の都合によって押し付けられたもの以上の意味を持たないことになっている。つまりはそういう風にしておけば、妻による性的サービスを鼻先にぶら下げられた男は自分の食い扶持以上を稼ぐようになるので資本の集積が可能になるということだ(本来、人間は自分の食い扶持以上に労働することは無意味であるのは当たり前の話だ)。
また、イスラム社会がある程度の長期間にわたって世界各国で成立しているということは、一夫多妻が遺伝子レベルで受け入れられないわけはないということを示している。
つまりは、岸田秀の言葉を借りれば一夫一妻というのは近代資本主義社会から押し付けられたものであって人間の本能的な要求から来ているわけでない、ということだ。
最近の先進国の少子高齢化問題を考えるに、社会から要請された一夫一妻制というのはそろそろ制度疲労を起こしているのではなかろうか。だからといって解決策など私は持ち合わせていないのだけれども、一つだけ言えるのは、宗教的タブーでもなければ、性行為は個人の自由だし、結婚というのは単なる社会制度の利用にしか過ぎないということだ。過剰な意味をそこに見出すのは、問題の本質を見誤ることにつながると思う。

(2007/7/29追記)
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/vole.html

ヒトの社会は、その多くが一夫多妻制であるといわれている。

学術的研究の世界では、こういう説が主流のようである。

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科学的態度についてのどうしようもない誤解

http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20070727/p3
http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20070727/p4
あのね。科学の範疇に含まれないものは否定するんじゃなくて扱わないだけなの。
言ってること判る? 政治家の人気を一般相対性理論で分析して上手くいくと思う? 
科学者はその辺はちゃんとわかってるから、その問題が科学で扱うべきものなのかそうでなのはちゃんと区別してるし、まっとうな教育を受けていればその方法論も知っている。
むしろ問題は、科学で全てを扱えると考えている素人衆。科学者の立場からすればこんなに扱いにくい連中はいない(エセ科学の連中からすればこんなに扱い易いカモはいない)。
コンピュータの分野に限定して話をすれば、「コンピュータがやってるんだから、間違いが生じるはずないだろ」とか言っちゃう人々。んなわけねーだろ、この馬鹿どもが。そのコンピュータのプログラミングやデータ入力やハード設計は誰がやってるんだよ。
とにかく、学問というものは極めれば極めるほど、その限界が見えてくるものなのだ(だから自然科学系の学問をやるのは面白いのだ。上手くいけば、自分がその限界を広げることができるのだから)。
とにかく、ここで糾弾されるべきは、素人衆の「科学万能主義」であって、科学界ではない。
まぁ、科学万能主義を蔓延させてしまったという責任くらいはあるかもしれないが、それってたぶんに政治的なものだと思うし(原発政策とかな)。
そもそも、きちんと科学界のトピックを追っていれば、水伝などというしょーもないエセ科学よりもよほど刺激的な観点からの発見や研究がなされていることはすぐにわかる。
エントリ主はまずは日経サイエンスを1年でいいから定期購読し、すみからすみまで読み込むべきである。それでも同じ論が張れるなら、まじめに拝聴しよう。

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金曜日, 7月 27, 2007

「らき☆すた」聖地巡礼の件がフジテレビのニュースでも取り上げられる

http://guideline.livedoor.biz/archives/50937966.html
産経新聞の記事とは違い、なんかえらく好意的な取り上げ方のニュースになっている。
おそらくは新聞記者とニュースのディレクターのオタクに対するスタンスの違いから来るものだと思われるが、神職からも地元住民からも批判的なコメントが取れなかったということもあるだろう。
それでもリンク先のコメントで批判を続ける人間たちがいるということは、彼らは「為にする批判」がしたいだけなのだと思う。
でも、コスプレで街中歩き回るのはさすがにどうかと思った。境内ならもっての外である。ああいう輩がまだ許される程度の規模だし大半の人間のマナーも良いのだと好意的に解釈したい。

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電磁波過敏症はプラセボ効果だったという研究結果がでたらしい

http://wordpress.rauru-block.org/index.php/1450
やっぱり。
以前観たドキュメンタリー番組で、電磁波過敏症の人間が症状を訴えるシーンを見たのだけれども、相当な高感度の電磁波測定器がまったくの無反応なのに、視界に電線が入っていると症状を訴えるというシーンがあって、「こんなの電波が原因とかありえない」と思ったものだった。
人間(に限らず生物一般)は意外と電磁波には鈍感で、すぐさま身体に悪影響が出るレベルの電磁波を浴びていたとしても、その悪影響を感じることでしか電磁波を感じることはできない(たとえば、強い電波を継続的に浴びると、電子レンジの中に居るのと同じことが起きる)。
X線というのは年間被爆量上限が法律で決まっている程度に身体に悪いわけだが、X線撮影をされている時に、X線を浴びている瞬間が判る人など居ないのだ。
実際に電磁波に影響を受けていようが、精神病(身体的症状が先に立つ精神病は多い。仮面うつ病とか)だろうが、患者の方が気の毒なことに変わりはないわけで、リンク先には「かえって厄介になった」と書かれているけれども、原因がはっきりしたのならばそこから治療法を探ることが可能になったわけだから、患者にとっての福音と見ることもできるのではないだろうか。
というか、精神病(この場合は妄想なのか?)に対して「言い聞かせる」などというまったく役に立たないどころか却って悪化させてしまうかもしれないアプローチしか出てこないのは、ちょっとどうかと思う。

(07/07/28追記)
http://health.yahoo.co.jp/news/detail?idx0=w30070704
プラセボ効果が起きるメカニズムが、fMRIレベルで確認されたようだ。
これがプラスの効果特有のメカニズムなのか、マイナスの効果でも似たようなことが起きているのかは判らないが、プラセボ効果による疾患の治療に一歩近づいたのは確かだ。
私は自分自身が鬱病を患ったことがあるので、人間の意識(と身体)が脳の生化学的な状況に大きく左右されることを本当に実感している(昨日まで死にたいと思いつめていたのに、薬が効いてくるとまったくそんなことは考えなくなるのだ)。そして脳というのは意外と簡単に不調に陥るものだし、投与された薬物による影響もある意味劇的に効果を表すものなのだ(個人差はそうとう激しいと思う)。
個人レベルでも、実際に起きる症状は千差万別なので(一度鬱病を経験してまた再発した私でさえ、短期記憶能力の低下やかなり強い背中全体の痛みが、鬱病由来であることは後で自分で調べてわかったことだ)、なかなか診断は難しいと思われるが、一度正しい診断が下されてしまえば薬物治療(とは限らないが)で治療できる病気になることを望む。医療関係者の努力に期待したい。

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木曜日, 7月 26, 2007

オタクを叩くためなら電波さんも利用する産経新聞と2ちゃんねら

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000925-san-soci
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1007093.html
「らき☆すた」のファンが、アニメ版で京アニスタッフがロケハンしたと思われる鷲宮神社に「巡礼」をしているという話。
で、実は産経新聞の記事中で言及されているところの気味悪がっている地元住民というのは
http://zerodama.seesaa.net/article/48957184.html
地元ではよく知られた(?)単なる電波さんだったのです。
いやぁ、情報ロンダリングって本当に恐ろしいですね。
産経新聞や2ちゃんねらはどうやら日本を自由主義国家ではなくしたいらしい。警察国家にでもしたいのかしらん。

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水曜日, 7月 25, 2007

歯痛

昔、歯の治療をしたのは大学時代と実家にいる頃で、最後に歯医者に行ったのはもう10年以上前のことになる(なんと前世紀の出来事だ!)。
私は歯磨きをこまめにする方ではないので(外出する際は必ずやるが)、10年も経つと虫歯が進んで詰め物が取れてしまったりもしている。
んが、歯医者の良し悪しは口コミでしか判らないという実体験(大学時代にふらりと入った歯医者がそれはひどい所で、延々と同じところの仮の詰め物を外しては削るでもなく何かしてまた詰めというのを3~4回繰り返された)があるので、実家から引っ越してしまった現在ではどこに行っていいのかまったく判らないという理由をつけて放置している(本当は良くないということは重々承知だ)。
で、放置期間が長引くにつれて、体調が悪くなってくると特に何もしなくても歯が痛いというところまで進んでしまっていて、非常によろしくない。
最近は(主に自業自得で)非常に仕事が忙しいので、体調もあまり思わしくない。微熱がずっと続いたり、ちょっとした軽作業で体の表面は冷たいのに文字通り滝のような汗が出てきたりする。というわけで、歯もずっと鈍い痛みを訴え続けている。
ついさっき、試しに痛くなってきている側の歯に負圧を掛けてみたら(口の中のある部分に負圧を掛けるのは、大概の人ができるのではなかろうか)、とたんに文字では書き表せないほどの痛みが私を襲った。
あまりの痛さに涙が出てくるほどの痛みで、しばらくもだえ苦しむことになったのだが、それで痛みに慣れたのか、負圧を掛ける前よりも痛くなくなったような気がする(自分でも駄目な人だという認識はある)。
本当かどうかは知らないが、第二次大戦中にナチスドイツの捕虜尋問官は、歯に穴を開けて神経を直接いたぶるという拷問をやったと聞いたことがあるが、なるほどこれは耐えられない。いや、別の拷問でも耐えられないのだろうが、これはもうやめてくれるなら今すぐあることないこと喋りたくなるだろう。

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S端子接続

今のアパートに引っ越した時に買った、SONYの21インチブラウン管TVが壊れて随分経つ。電源を入れても音声は出るが画面は真っ暗という、SONYのTVは「わざと」そうなるようにしてあるという噂の故障だ。
現状、部屋にものが多すぎて人が入ることもできなければTVを外に持ち出すこともできないので、壊れたまま放置されている。
ではTV番組は何で観ているのかといえば、最初のうちはDVDレコーダの出力をMacにつないでFireWireからの入力を表示するソフトを起動して観ていた(観るのは主にアニメとF1とお笑い)。
しかし、これは無暗にMacのCPUパワーを必要とするので、地球に優しくない(とか言っちゃったりなんかしちゃったりして、チョンチョン)。
そこで、アップスキャンコンバータなる機械を購入し、17インチSXGA液晶モニタにつなげてそれで観ることにした。たまにアニメの変化部分に走査線が見えたりする以外はおおむね快適である(部屋を片付ければ今は使っていない17インチのSONYのブラウン管モニタが使える筈なのだが、いかにして片付けるべきかも読めない状態なので……)。
ここまでは前振り。
で、DVDレコーダの度重なる故障により、いつの間にやら3台体制になっているのだが(RD-X3、RD-XS43、RD-XD92)、そのうち、RD-XD92の出力は、アップスキャンコンバータについていたS端子接続にしていた。なるほど、通常のコンポジットに比べるとだいぶクリアな感じで観ることができる(というかコンポジットの映像を「眠たく」感じるようになった)。元々は、RD-XD92の出力をAVセレクタ経由で観るとえらく信号レベルが落ちてしまって見るに堪えないのでS端子接続にしたのだけれども。
先日ふらりと立ち寄ったヨドバシカメラにWiiの在庫があったのでついカッとなってドラクエソードと一緒に買ってしまい、本体付属のコンポジットケーブルでつないで遊んでみたのだが、文字を細かくした「ニュースチャンネル」以外の画面で文字が読みにくいということはないのだけれども、どうにも画面全体が「眠たく」感じるのだ。
というわけで、S端子が切り替えられるAVセレクタなるものと、Wii用のS端子付き出力ケーブルを買ってきて、RD-XD92やらその他もろもろの出力と、アップスキャンコンバータの間に繋げてみた(ついでにPS2のケーブルも買ってきてつないだ。DCのケーブルはもうさすがに売ってないだろうな)。
なにせ部屋がぐちゃぐちゃなもので、ケーブルの配置もぐちゃぐちゃなのだが、おおむねいい感じ。なるほど、人間はいい方に慣れてしまうと、それほど良くなったと感じていなくても、(あらが見えてしまって)悪い方には戻れなくなるとはこういうことか。
興味を持っても導入する資金がないのでフルハイビジョンとかには興味がないことにしている(最終出力がNTSCでも入力信号がハイビジョンだとそれなりに奇麗だし)のだが、いったん慣れてしまったらもう戻れないのだろうな。恐ろしいことである。

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「らき☆すた」はゴールデンタイムのバラエティ番組と同じ説

http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/4ba634c4dd914af12f15b4cb92655983
あーなるほど。
でも「エンタの神様」と同じだというのは、「面白いと思わない人間にはさっぱり面白くないが、人気はある」という点が共通しているだけじゃないのか。
「エンタの神様」は演芸のフォーマット(客が観ている舞台でやっていることを強調した演出、演者が一人(ひと組)だけで舞台に出て来る、etc.etc.)を結構かたくなに守っているけれども、「らき☆すた」はそうではなくて場面はあくまでも日常を切り取ったものとして描写されている。構造的にコントをまとめた番組の域は出ていないように思う。物語性の排除が足りない。
そういう番組ってなにかあったかしらんと考えてみると、「ドリフ大爆笑」とか「志村けんのバカ殿シリーズ」とかしか出てこない。「SMAP×SMAP」ってごく希にしか観ないんだけど、料理とゲームのコーナーを除くとそんな感じなのかしらん?(平日のゴールデンタイムには基本的にまだ家に帰りついていないので、その時間帯にやっている番組に疎いのである)
個人的には「らっきー☆ちゃんねる」はない方がいいと思っているし(何が面白いの、あれ?)、後期のエンディングは一発ネタにとどめておくべきだったと思っている(演歌とかコスプレ喫茶で出したCDとかネタが週替わりならば可)。ニコニコ動画のヘイトビデオなんか客に見せるな。
他人がその作品をどういう風に観ているか、という問題には興味がないので、なんかズレたことを言っているような気がしてならないが、まぁいいや。

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月曜日, 7月 23, 2007

最近のトヨタ車のCMを見ていて気になること

タモリが出演している、燃費重視の運転を行っていると「eco」とかいうインジケータが点くというシステムのCMを見ていると、運転している女優がしきりにダッシュボードの表示を気にしながら運転している様子が映像化されている。
これって危険じゃないの?
実際にそれが導入された車を運転することがあったとしても、2~3日もすれば飽きてしまうと思われるが、それでも飽きるまでは運転には直接関係ない情報に注意が向くことになるわけで、危険であることに変わりはない。
トヨタは自分たちが人命を簡単に奪える危険物を製造しているという自覚が全くないのではないか。
こんな小手先の下らない機能を付ける前に、ホイール内蔵モータ駆動のハイブリッド車でも開発したらどうか。

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柏崎刈羽原発は早くても秋まで運転できなさそう

http://www.asahi.com/national/update/0723/TKY200707230603.html
>柏崎刈羽原発について、原子炉内の点検作業が、8月中旬以降になる見通しを明らかにした。
おいおい。
今年の夏は冷夏になると予想されてはいるが、夏の東京の電力需要を賄えるだけの電源容量は確保できるのだろうか。
プログラマーは電気が来ないところではただの役に立たない人に成り下がってしまうので心配だ。

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水曜日, 7月 18, 2007

それは正直すぎるだろ

http://www.asahi.com/politics/update/0717/TKY200707170660.html
>与党内では夏休みとなる29日の投票日の前の投票を働きかけた成果と評価する見方がある一方、「投票率が上がるとまずい」(公明党幹部)との声も漏れる。
>「うちの組織票が劇的に増えるわけではない。激戦区では民主党候補の票が増え、のみ込まれてしまう」
……えーと。
公明党の幹部はいつからおおっぴらに公明党が創価学会の組織票で成り立っていることを表明できるようになったんだ?
創価学会の固有名詞さえ出なきゃいいのか?

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「コピー10回だからこそ、保証金制度が不可欠」だぁ?

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0707/17/news065.html
だったら今すぐ放送などという流すか流さないか以外のコントロールが不可能なアナログメディアにコンテンツ供給するのをやめちまえ。コピーし放題のCDにもだ。

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NHKが過去一週間分の番組をネット配信する予定らしい

http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070718-228869.html
基本有料で、受信料を払っていれば無料ならば、受信料徴収の切り札になるかも知れんね。どうやって認証するのかしらんけど。
しかし、ストリーミングでやるのかと思ったら、
>計画では、過去7日間に放送した番組を視聴者がダウンロードしてパソコンな
>どで視聴できるようにする。番組はコピーできず、視聴後一定期間を過ぎると
>消滅する仕組み。
なぬ? ということは、視聴用の専用アプリケーションが必要ということか? それとも動画そのものがアプリケーション?
ストリーミングは負荷の問題なんかがあるから難しいのは判らんでもないけれども、再生時にDRMサーバにアクセスに行って、一週間経ったらDRMサーバが認証をはじいて再生できなくする、では拙かったのだろうか。自動的に消滅っていったいどうやってやってるんだ?
なんかこれはOSにいろいろと影響を与えそうなシステムになっていそうな予感。そもそも、OSに何かしら組み込まないことにはファイル自体のコピーを禁止することはできないんじゃなかろうか。

あと、現状でもNHKは割と小まめに再放送をやってくれる局だし(気づいた時には再放送も終わった後だということも往々にしてある)、視聴者からの反響に答えての再放送とかもしてくれる非常にありがたい放送局なのだけれども、その再放送がこのサービスの開始でなくなってしまうのはご勘弁願いたい。

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火曜日, 7月 17, 2007

人は誰しも自分の人生の主役ではありますが

http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20070715#audiense
前回のエントリでは重大な書き洩らしがありました。人間の関わるなにがしかを物語に譬える時、(おそらく)誰もが主役を望むのは「面白い」物語だけだ、という主張です。
面白さの普遍的物差しを定義するのは非常に難しい(というよりはほぼ不可能)ですが、そういう普遍的な面白さではなくて、「主役になりたがっている人が感じる面白さ」でこの場合は問題ないと考えます。
ですから、前回のエントリで私が「モブ」と称した人々は、「自分の人生を退屈な物語だと感じている人々」と呼ぶべきかもしれません。
寸゛さんの今回のエントリの主張は、大筋ではこの書き洩らしによって大きな影響を受けるわけではないと思いますが、いずれにせよ無用の混乱を招きかねないミスでした。申し訳ない。

>本当にさうなのでせうか。さうかもしれないけど、言葉としてさう表現してしまふと、何とも息苦しいものですなあ。
私は前回のエントリで、そういう息苦しさや自らの物語のままならなさから逃れるために、たとえ根拠がないとしても面白い物語への当事者意識を持ちたいがための発言なのではないか、という分析をしたつもりです。
前回のエントリのタイトルに「妄想」とつけたのは、逃げを打つことが主目的ではなくて(副次的な目的であったことは否定しませんが)、この分析には特に根拠がないからです。そういう無根拠な当事者意識を持つような発言者にインタビューをするなどのフィールドワークが背景にあるわけではありませんから。
話題が逸れました。元に戻しましょう。
ですから、「日本人スゲェ」発言に込められた当事者意識には根拠など全く存在しないし、する必要もそれほどないのです。しかしながら、それは自身が感じている閉塞感(息苦しい、ままならない)から逃れるためであり、確かに良いこととはいえませんが、眦を吊り上げて糾弾すべきものでもない、と私は思うわけです。
何故に私がこのように彼らに対して寛大な態度を取るのかといえば、当事者ではないということもあるのかもしれませんが、それよりも、人間がフィクションを必要とする理由とこの発言の根っ子が同じところにあると思うからです。
寸゛さんの仰るように、自らの位置づけを「観客」としてそれで満足すれば充分であるという人もいるでしょうが、すべての「面白そうな物語」に対して自分を「観客」と位置づけるには、相当の客観性が必要だと私は思います。それくらい、「息苦しさ」から逃れるための誘惑は強いと考えます。

>といふ事の一端を見てきた一人として、それが「日本人だから」とか「YouTubeの御蔭」みたいなピント外れの大雑把な物語に回収されるのが苛立たしかつた
なるほど、理解しました。実に寸゛さんらしい理由だと思います。

「日本固有」に関しては了解しました。同人活動とコミケの理念に関しては、いくばくか思うところがあるのですが、ちょっと言葉としてまとまらないので、またの機会にさせてください。

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THE PREMIUM CALPIS

なんかいつも書き出しが同じような気がするが、コンビニで見かけたので買って飲んでみた。
パッケージはちょっと細めの(500mlと同じ高さの)350mlペットボトルで、白地に薄いグレイの水玉、銅色の文字と紺色の文字でなかなかプレミアム感は出ているのではないかと思う。
んで、なにがプレミアムなのかというと、パッケージには「当社独自の3種の乳酸菌を特別にブレンド」ということらしい。
まぁ美味いは美味いけれども、ちょっと前まで見かけた「味わいカルピス」との区別がいまいちつかない(並べて飲んでみたい)。
http://pr-calpis.jp
に詳しい説明があるということなのだが、企業ページの常として、flashだわ別ウインドウを開くわで鬱陶しいことこの上ない割にはあんまり大したことは書いてない。発酵食品で「作るのに数日間かかる」とか言われてもなぁ。
パッケージの一番下に「乳製品乳酸菌飲料(殺菌)」と書いてあって、ヤクルトとカルピス(ついでに「もやしもん」に出てきた農大製パチモン)とは違うものであるということが解った。
そりゃあ、乳酸発酵し続ける液体をペットボトルに封入したらえらいことになるよな。

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ヘンリー・ダーガー展に行ってきた

原美術館のヘンリー・ダーガー展が今日までだと金曜に知ったので、いつもの休日よりはだいぶ早起きして見に行った。ヘンリー・ダーガーがどういうアーティストなのかは、ググってもらって他の詳しいページを参照されたし。簡単に言うと、孤独な生活の中で15000ページにも渡る少女と大人の戦争を描いた「非現実の王国で(In the Realms of the Unreal)」という小説を執筆し、その挿絵も描いたという人物である。
ヘンリー・ダーガーの名前は多分以下のリンクで知ったと思う。
http://homepage3.nifty.com/kazano/diary9904c.html#26
元からオタク的世界との親和性を含んで語られていたのを読んだお陰で(という言い方もないか)、少しだけ気になる存在ではあったのだった。
しかしながら、日付をよく見てもらえば判るが、なにせ8年以上前のことなので、「精神病絡み」「戦う少女を題材にしている」くらいの記憶しか残っておらず、会場は美術館であるので小説の挿絵である絵は飾られているが、「非現実の王国で」自体の詳しい説明はあまりないのだった。
そのお陰で、最初にある「あまり過激な作品は飾ってません(意訳)」という注意書きもピンと来ず、絵もなんとなく漫然と眺めてしまったのだった。
ミュージアムショップでダーガーを特集した美術手帳という雑誌を買って「非現実の王国で」についての文章を読んで、予習してから行けばよかった、と少し後悔した。
もちろん、展示されている作品群は非常にインパクトの強いものばかりで、漫然と眺めたとはいっても、そこに展開する異様(と言ってしまおう)な世界に引き込まれ、それなりに時間をかけて見たつもりなのだけれども(絵に描かれた少女の台詞が書き込まれていたり、状況を説明するト書きが書き込まれていたりするので、それを読み取ることを試みたり)、やはりこれは小説が元になった挿絵なのであり、そのアウトラインだけでも知っているのと知らないのでは、ぜんぜん違う。
というよりは、私は美術手帳に断片的に抄訳されている「非現実の王国で」に引き込まれた。ダーガーは精神遅滞だったと診断されていたらしいが、モチーフが異様な世界であっても、これだけの文章を書ける人間が精神遅滞であるなどとは、私にはとうてい思えない。
実際に存在している15000ページの原稿は、話がつながっていなかったり、明確なラストシーンがなかったりと、全編を読み通すのが困難なものになってしまっているらしいのだが、もし彼が普通の人間として普通の教育を受け、それでもこの創作に情熱を傾けていたとしたら、一体どんな作品が出来上がっていただろう。
もしかすると、凡庸な作品が残り、誰にも省みられることなく消えていたかもしれない。それでも、きちんと世に受け入れられる形でこの大長編が完成していたかも知れないと思うと、なにか途轍もない損失が起こったような、そんな気がするのである。
それとも、この私を惹きつける何かは、未完成なものだけがまとう、一種独特な魅力なのだろうか。

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日曜日, 7月 15, 2007

18禁同人誌に18禁マークおよび連絡先がある奥付を要求されるようになった理由

http://yyy3.blog93.fc2.com/blog-entry-186.html
>松文館裁判に有罪判決の影響?で
それがまるっきり無関係とは言えないけれども、むしろ
http://d.hatena.ne.jp/SiroKuro/20070519/1179582805
「同人誌と表現を考えるシンポジウム」で示された
>・成人マークが表紙に入っていたり、奥付に連絡先が記載されていれば多少甘めに
> + サークル自身が作品に責任を取れることを前提に
> + 近年の個人情報保護ブームで、奥付に連絡先を書かないサークルが増えている
というコミケット準備会の見解の方が大きな影響を及ぼしていると思われるのだがどうだろうか。

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酸とアルカリの性質は中学理科で習います

http://news.ameba.jp/2007/07/5776.php
>見る見るうちに肉が溶けて液状化してしまった。どうやら苛性ソーダで炒めるのはまずかったようである。
当たり前だ!
私は理系だけれども、化学の成績はさっぱりだった(暗記科目は苦手なのだ)。
それでも水酸化ナトリウムがたんぱく質を溶かすことくらいは知っている。この筆者は高校を出ていないのだろうか?(というより中学の理科の知識だ)
あと、水酸化ナトリウムで処理した後に塩酸で中和すれば、単なる塩水漬けのダンボールになるし、そもそも水酸化ナトリウムが有害なほど残っていたら苦くて食えたものではなかろう。これも中学理科の知識だ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301c/990301d.htm
別に覚えておけとは言わないが、義務教育範囲内の知識くらい調べてから記事を書け。
だからといってダンボール入りの肉まんを食べたいわけではないが。

(2007/07/19追記)
なんかこの事件自体が中国のTV局のやらせだったらしい。
なるほど、鵜呑みにして報道された事実だけを元にして実験すると、明らかに失敗するわけだ。

(2007/7/23追記)
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070720/nikuman
あぁそうか。報道(というか放送?)された番組が「やらせ」であったとしても、そういう事実があったのかなかったのかという命題の答が決まるわけではないのだな。
中国共産党当局が調べて見つからないといっても、海賊版ソフトや偽ブランド商品みたいに業者が逃げてしまってほとぼりが冷めるのを待っているだけかもしれないし(著作権がらみの摘発だと、抜き打ちでやるけれども、こっちは報道が先なのだから、予告してから捜査しているようなもの)。
中国に限らず、アジアでは紙を食い物の嵩増しに使うのは一般的らしいし。

あと、知識のまるでないライターではなくてちゃんと料理人に作らせたダンボール肉まん試作品もあるらしい。水酸化ナトリウムは油汚れを落とすのにも使えるから、料理人はその性質を良く知ってるのかな?

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金曜日, 7月 13, 2007

中国共産党の米国でのロビー活動を唐沢俊一は知らない?

http://www.shakaihakun.com/data/vol066/main04.html
>唐沢●そもそもなんで北米がこんなことに口を出すのかがわからない。中国や韓国ならともかく。
>村崎▲追及すべき正義なんて世界史の中を漁ればいくらでもあるし、いま現在進行中の悲惨なテロや紛争もいくらでもあるのに、何でいまごろアメリカ議会が第二次世界大戦時の慰安婦問題なのか、さっぱり分かんねえよ。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/china/070315/chn070315001.htm
マイク・ホンダ議員の背後に中国共産党系ロビースト団体があるという事実(かどうかは知らないが)は、上のリンク先の産経新聞の記事でも報じられているし、Wikipediaのマイク・ホンダの項にも書かれている(ニュースソースは産経だろうが)。
その他、戦前から中国(当時は中華民国)は米国でロビー活動を続けていたという話もググれば出てくるし(これに関しても裏は取っていない)、米国議会の方向性は一定の割合でロビー活動によって決定されているというのは米国の政治に多少なりとも関心を持っているのならば常識だと思う。
こんな、ちょっと調べれば出てくる話を全く無視して「わからない」で終わらせてしまっているのは豪く不自然ではないか。
これだけ時事問題についていろいろ喋ろうという人間が、産経新聞だけ読んでいない? それとも国際欄は読まない? んなアホな。
そういう問題に首を突っ込むといろいろと面倒なので軽く流した、というのが一番好意的な解釈だろうか。
唐沢俊一がらみでついでに。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_6c29.html
唐沢俊一の盗作問題で、盗作された人に対してこの話題をblogに書くときは固有名詞を出してくれるなという要求があった、という話だが、実は唐沢俊一本人のサイトでは固有名詞出まくりなのである(2007/7/13現在)。
http://www.tobunken.com/news/news20070530155748.html
ということは、この要求は唐沢俊一本人ではなく幻冬舎から出たもので、しかも唐沢俊一本人には要求は出ていないということになるわけで、さすがに会社レベルでそんな首尾一貫しないことをするとも思えないので、担当編集者個人レベルか、新書編集部の編集長レベルの判断なのではないかと思う。
これは、そういう判断を下した編集者がかなりの馬鹿か、もしくは漫棚通信の主催者が相当舐められているかのどちらかなのではないか。
問題にきっちりと決着をつけたいのならば、さっさと裁判に持ち込むのが吉なのではないかと、無責任な外野の立場から言ってみたりする。

(2007/07/14追記)
唐沢俊一サイドの記録のみ検索に引っかかるようにするための布石、とも考えられるのか。でも、これだけいろいろなところに広まっちゃった現状からすると、それも無理がないか?

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「日本人スゲェ」にまつわる個人的妄想

http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20070712#home
もうすでに個人の感じ方の問題になっている気もしないでもないのですが、気になるところは気になるので。
この後に続く文章は、私が勝手に作り上げた物語であって、本当にそうなのかどうかの検証はしていないし、おそらく検証など出来ないでしょう。寸゛さんはご存じと思いますが、私の趣味は物語の創作なので、つまるところこれは私の趣味の活動です。お付き合いいただくだけの心と時間の余裕があるのならばお読みください。そうでないならば無視して下さって構いません。

一部とはいえ(失礼)ムーブメントの送り手側としての当事者たる寸゛さんがそういう感情を抱くことは理解できる。
しかしながら、それはあまりに「才能を持つ者」の視点に偏っているように思う。オリンピックの譬えしかり。
スポーツイベントやこういう何かしらのムーブメントを物語に譬えれば、プレイヤーになったり作品を送り出す側に立てる「才能を持つ者」は主役であり、そうでないものは脇役でさえないモブだ(脇役は、その中に競争が存在したとき「才能を持つ者」同士の競争に敗れたものだろう)。
そして自分が脇役にさえなれないモブに過ぎないことは、この世に生を受けてから15年ほど経てば嫌でも思い知らされる。才能を持たぬ「モブ」たちは、そこから5年ほど経ったところでそれを受け入れ、「誰もが認める主役になりたい」という欲求を押し殺してモブとして生きていくことになる。
「才能を持つ者」からすれば、それは単なる努力不足に見えるのかも知れないが、個々人の個性の一部として、得意不得意はあるのが当たり前だし、その不得意を乗り越えてまで努力するという不屈の精神の持ち主は普遍的にいるわけではないことは自明だろう。
また、自分や他人の目によるふるい分けも行われる。「才能を持つ者」は認められ、褒められ、応援される。そうでない者は、貶されるか無視される、もしくは自分でやっていて嫌になる。そういう状況においてもやる気を維持できるというのも才能の一つだと言って構わないだろう。
しかしながら、「主役になりたい」欲求を押し殺し続けたところで、それが消え去ってくれるわけではない。どこかで代償行為を行わなければ、押し込めた欲求が形を変えて歪んだ形で噴出してくることになる。それは心身によってよろしくない。
主役になっている誰かと自分の共通するところを見つけ、その共通点でくくることであたかも自分が当事者になった気分を味わうという行為(判り易く言うと、この場合の「日本人スゲェ」のこと)は、その代償行為なのではないかと私は考える。
精神が未熟な子供においてはそれがもっと直接的に発露する。
http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20070629#game070629
このエントリにおける
>「いい判断だつたね。彼はきつと『自分で描いた』と言ふよ」
という少年の行為や、他人の作成した痛車(ってもっと良い呼び名はないのか)を転売する行為などがそれに当たる。彼らは、(自分の心の中では本当は違うと知っているのに)他人から「才能を持つ者」と看做されることで、ほんのひと時だけでも「主役」になりたいのだ(Forza2に転買であることが即座に分かるシステムが実装されているのなら、転買に関する想像はまったくの的外れになる)。
転売ではなくコピーを作って配りまわる者は、その痛車を「世の中に広く周知する」という役割を演じることで、主役側に加わった気分を味わうのかもしれない。
ただ、転売やコピーの販売に関しては、ゲーム内通貨とはいえ「もっと価格が高い痛車を入手するための資金」を得るための手段にもなるので、この分析(というか勝手な想像)が当たらないパターンも数多くあるかもしれない。

とまあこんなことが想像(妄想)できるので、私は「日本人スゲェ」発言を責める気にはあまりなれない。私にだって「主役になりたい」願望は(いい歳こいて)人一倍あるし、それが満たされていない状況にあると自覚しているからだ。
それは無意味で愚かな行為かもしれないが、やらずにはいられない行為でもある。人間はそこまで強くないことを自分を通して私はよく知っている。

以下蛇足。というか疑問。
>* 例へば「マッチ捧で城の模型を作る」といつた様なアートが日本固有のものとは思へない
「日本で起きやすい傾向があるのでは」という意味のことは書いたけれども、「日本固有」というニュアンスは極力排したつもりだった。そう読み取れたのならば私の文章力不足である。申し訳ない。それとも、「日本固有」でなければ、多数の日本人がした優れた仕事に対して「日本人」とセットで語ってはいけないとお考えなのだろうか?

>* でも日本人の知らないところで他にいろんな凄いものが出来てるよねきつと
この文章は意図が上手く読み取れないのだけれども、まさかとは思うが、世の中の凄いものを全て知らなければ、「日本人スゲェ」と発言してはいけないとでも仰るつもりだろうか? 「日本人スゲェ、他民族はダメダメ」なら確かにそうだけれども、「日本人スゲェ」から他を貶める意図を読み取るのは穿ちすぎというものではないか。

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木曜日, 7月 12, 2007

IE経由で利用されるFIrefoxの脆弱性

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0707/11/news015.html
えーと、根本的な対応策としてはレジストリからURLハンドラエントリの削除なんだけど、そのレジストリエントリが何をするためのものなのかの情報がこの記事ではほとんど提供されていないので、削除すべきかどうか判断できない(他のブラウザからFirefoxを指定したURLで開く?)。
IEでいろいろなサイトを見て回らない限りはこの脆弱性は表面化しないわけで、会社ではMSDNのWeb上にあるデータベースがFirefoxでまともに表示されないのを筆頭に、IEを使わざるを得ない状況がそれなりにあるが、家ではIEでアクセスするのはRD-XD92のネットdeナビのみなので(SafariのWindows版が安定したら乗り換えるし)、家では対策しなくていいか

(07/07/13追記)
http://slashdot.jp/security/article.pl?sid=07/07/12/0142255
SlashDot-Japanで、脆弱性を構成しているのはOSの機能なのでIEに限らず利用できる、との指摘あり。家でも対策しなくちゃ。

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台湾ではメイド喫茶の看板に「女僕」と出ているらしい

http://www.tobunken.com/diary/diary20070705111417.html
直接的すぎてどこに萌えを感じればいいのかよく判らない。おんなのしもべて。

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大人向けエロメディアの存在しない世界

http://d.hatena.ne.jp/tomoegozen/20070707/p1
コメント欄がみあたらないのでエントリで答える。
>「商業的なエロ」が存在しない時代や国ってあるのかな。
裏事情は知らないが、表向きは現代のイスラム諸国(とくにイラン)には存在しないと思われる。なにせ、"イスラム ポルノ"でググると、
"ポルノ出演のイラン女性、「石打ち」で処刑"
http://cheese.2ch.net/wom/kako/990/990641381.html
とか、
"インドネシア版「プレイボーイ」発刊にイスラム教徒500人が抗議"
http://sakamotoryu.blog34.fc2.com/blog-entry-2167.html
とか、
"ポルノ俳優に死刑も イラン議会、厳罰法案可決"
http://blog.livedoor.jp/dirtyprettythings/archives/50708648.html
とか、「あぁ、日本人で良かった」としみじみ実感してしまう情報が山ほど引っかかる。
日本に来ているイスラム教徒だと、酒は飲むわ豚肉は食うわみたいな人もいるらしいのだが(「後で神様に謝っておけばいい」らしい)、イランのように国教がイスラムだとさすがに難しいだろう。

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その昔、TV番組はいかがわしい代物だった

http://noinoi.main.jp/archives/598
既に何度か書いたような気もするが、私が物心ついた頃(75~85年くらい)は、TVというのはNHKのニュース以外はいかがわしいモノで、流されている内容を心の底から信じるような奴はいなかった(「一億総白痴化」なんて言葉は、すでに歴史の教科書に載っている言葉だったけれども)。
「水曜スペシャル」の川口浩探検隊シリーズとか、そりゃあ小学校低学年くらいならば騙されもしたけれども、小学校高学年から中学生辺りにまでなって本気にしているようでは、「底抜けのバカ」と認定されてしまう程度の代物だったのだ(矢追純一のUFO特番は、中学生くらいまでなら許されたかもしれない)。心のどこかでは嘘だと思っていても、観ていて楽しいのだから問題などなかった。
民放TVのバラエティで言っていることなど、「嘘に決まっている」代物で、それを嘘と判った上で楽しむものだった。これはいうなれば、プロレスを観るのと同じことだ(まさかこのご時世に、プロレス興行が本気になって格闘を行って勝敗を競っているなどと考えている人間はおるまい)。
一体、いつからこんなにTVを信用する人々が増えてしまったのだろう。
日本の社会が少しずつ清潔になり、子供だましの駄菓子やおもちゃ、見世物なんかが人々の目に入らなくなってしまったからなのか。
おそらく、TV番組を制作している側の意識では、未だTVのバラエティなんていうものはいかがわしいモノである、ということになっているのではないだろうか。
たとえ、「嘘、大袈裟、紛らわしい」内容の番組を作っていたとしても(このフレーズはCMに関するもので、番組内容に関するものではないのだ)、騙そうという意識は薄く、騙されたと怒る人がいれば、「えっ、こんなものを本気にするんですか?」という気持ちになるのではないか(多少は本気にしている頭のネジの緩い人も交じっているだろうが)。
この、制作側と視聴側の意識のズレが、問題の根本にあるような気がしてならない。
「あるある」の内容を事前に流通業者に流していた人間に関しては、ちょっと判らない。感覚がマヒしていたのかもしれないし、積極的に視聴者をペテンに掛けてひと儲けをたくらんでいたのかもしれない。いずれにせよ情報が少なすぎる。
……まさかとは思うが、リンク先の番組について信じているようなエントリを書いている人々も、「わかっててやってる」なんてことはないよな?

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水曜日, 7月 11, 2007

一般的ペイントツールやメガデモでは自由度が高すぎる

http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20070710#game070710
>「Forza2」の痛車の盛上りに絡めた「言説」の中には「制約の中で無駄に
>力を入れられるのは日本人ならでは」みたいな論旨がテンプレの如く見られた
>ものだけど、さういふことを言つてる人は昔の(Amiga時代の)メガデモとか知
>らないんだらうなーと思つた。こんなところに国民性とかあまり関係ない、
うーん、どうなんだろう。
確かに、日本の現実世界で痛車が認知されつつある状況下で、タイミングよくゲーム内痛車を作れる環境を提供した、という要因が一番大きいのかもしれない。それがまたネットワークでユーザ同士が結構自由にやり取りできるようになっているという要因も大きいと思う。確かForza2は日本での発売が一番早かったように記憶しているので、先行者利益なのかもしれない。
しかし、私は思うのだ。「Forza2のペイント機能がPainter並みとは言わないまでも、他のゲームに実装されているドットで絵を描く機能と同等だったらここまでの盛り上がりを見せただろうか」と。
数々の痛車(失礼)を作成し続ける職人たちの心の中に、「こんな"貧弱な機能"だからこそすごい絵を描いてやる」という気持ちはほとんどないと言ってしまっていいものなのだろうか。彼らはただ単にそこに描けるから描いているだけなのか。
Forza2のペイント機能の「ぱっと見では単純なことしかできないように見えるけれど、凝ろうと思えばいくらでも凝れる」という性質に惹かれたからこそ彼らは作品を作り続け、受け手は大きなリスペクトを送り続けるのではないか。
容量の制限こそあるものの、メガデモというのはプログラミング技術の競い合いであると私は理解している。プログラミングというのは、その気になれば何でもできると言っても過言ではない。つまりは、一般的なペイント機能も容量を制限されたプログラミングも、日本人にとっては制限が緩すぎるように感じるのではないのか(メガデモに関しては、当時の日本の個人用コンピュータ事情の方がよほど効いているとは自分でも思うので、まぁ話半分くらいで)。
長く続いた江戸時代に、次々と出される幕府の禁令とそれをかいくぐって発展した町人文化の影響や、少ない予算をやりくりして独自に発展した日本のアニメーションの影響を、このForza2の貧弱なペイント環境で美麗な絵を描くという構図の中に見ることはそんなにおかしいことだろうか。
そういう心性は民族人種に関わらず万民が持ち得るものだけれども、歴史的経緯から日本人に強く表れる傾向がある、と考えるのは間違った発想なのだろうか。
つーかさ。日本人がウケを取ってる時に同じ日本人が「日本人スゲェ」くらい言ったっていいだろうに。誰かを貶めてるわけじゃなし。身内を褒めるのがいつからそんなに醜い行為になったのよ(鼻につく、くらいならまだしも)。

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NUDA(瓶入り)

コンビニで新パッケージ(300mlの細長い瓶)のNUDAを見かけたので成分表を見てみたら、いつの間にやら甘味料が入らなくなっているようなので買ってみた。
プレーンな炭酸入りミネラルウォーターの味だ。CrystalGayserに感じる「水っぽさ」(非常に微妙な風味なので、説明が難しいのだが)も感じない。おそらくは、水と香料以外に何も加えないと「水っぽさ」を感じ、NUDAには食物繊維やら何やらが入っているので「水っぽさ」を感じないのだろう。何かしらフレーバーが付いていればPerrieの代わりになりそうだ。コストパフォーマンスも似たようなものだが。

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月曜日, 7月 09, 2007

これは「月をなめるな」じゃない気がする

http://blawat2015no-ip.com/~mieki256/diary/200706184.html#200706184
結構な数のアメリカ人は、月面上を無重量状態(もしくは微小重量状態)だと考えていて、その理由は重力源たる地球から離れているせいだと考えている、という話。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/diary/dr0010_3.htm#001026
対して「月をなめるな」は、月面は地球表面と何ら変わらない環境であると考えているという話。
全然違うじゃん!
「月の環境について誤解している」という共通点はあるものの、誤解の方向がまるっきり逆だ。
さすがにアメリカは有人宇宙計画を実行中であるので、宇宙の環境は地球とはかなり違う、という認識は一般的であるようだ(その理由への理解はまるっきり間違っているようだが)。
対して、「月をなめるな」は自分の日常から思い切り離れてしまった環境を全く想像もできないという相当に深刻な話だ。
いや待てよ。もしかすると、アメリカ人は「地球表面以外はすべて衛星軌道上と同じ環境である」と認識しているのではあるまいな。なんかこっちの方が正解に近い気がしてきた。
だとすると、日本人とアメリカ人は日常的に目にする光景が違うために知識の範囲が異なるので、出てくる答えも違う。だが自分の日常と異なる世界に対する想像力を持たないという点では同じである、ということになる。
どちらが正解なのだろう?
関係ないが、その哲学クラスで「月をなめるな」のグループディスカッションをやるとかなり面白いことになりそうな気がする。

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正社員の給料を下げるべきという議論は前提を省略しすぎ

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20070626/128318/
(リンク先は会員登録をしないと途中までしか読めません)
格差社会の是正の話が出ると、必ず
>格差が問題なのだから、正社員のほうを下げるようにすべきだと思います。
という意見が出る。
こんなのに大多数が賛成することなどありえないので(大多数が不正規雇用になった世界なら別だが)、格差是正の話はここでストップしてしまう。
ところが、この論を張っている人間の前提は、「正社員」の定義が一般的なそれとは全然違うのである。
>出版社は特にひどい。大手になると、週刊誌のデスク(40代)が年収1300万円、取材は1本5万円でフリーライターにやらせている、そんな例がたくさんある。
この例を合わせて考えて、「(たとえば)年収1000万を超える正社員の所得を1割削って、その分を不正規雇用の人間に回そう」という提案にすれば、そりゃあ年収1000万を超える正社員(とその扶養家族)は反対するだろうが、それはおそらく少数派になり、多数決で決めることになればそのように決まってしまうのではないか(通常の会社組織内では、貰っている給料と発言力に強い正の相関性があるので、よほどのことがない限りはそんなことはあり得ないと思われるが)。
漠然と「正社員の給料を下げろ」などという粗雑な論を張るから賛同者が増えないのだ。それとも、世の中の大多数が不正規雇用者になるまで待っているとでもいうのか。
とはいえ、本来は年ばかり取った無能者から給料を吸い上げて有能な若者に配分するシステムである筈の成果主義も、単なる社員全体の給与削減策になってしまうか、成果の評価がまともにできずに以前の状況(つまりは年功序列)を引きずっているだけになっている現状をみると、どのような制度にしてみたところで上手くいくことなどありえないのではないか、などと悲観的になってしまうわけだが。

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日曜日, 7月 08, 2007

一番幸せな美食家のパターンとは?

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20070705/1183644385
>グルメで幸せに生きられるのは、毎食「美食」を楽しめる超大金持ちだけじゃないかと思うのですよ。
いやいや。人間というのは連続した刺激には必ず慣れるようにできている。
この世界に美食のパターンがどれだけ存在するのかは知らないが、一人の人間がその生涯で食事をする回数だけのバリエーションがあるとは思えない。
つまり、毎食「美食」を楽しんでいる超大金持ちは、そのうち「美食」そのものに飽きてしまい、美食を味わっても幸せだと感じなくなるのではなかろうか(梶尾真治の短編にそんなのがあったような。「地球はプレイン・ヨーグルト」か)。
そもそも、生まれてからずっと美味いものだけを食っているような人間は、それが普通だと感じ、別段自分が幸せな状態にあるとは認識しないのではないか。それは客観的には幸せだと思うが、主観的にはどうなのか。
つまりは安い給料しかもらったことがない人間(そしてもっと良い給料が貰える可能性を知らない人間)は安い給料でも不満を持たない、という命題の裏返しであるわけなのだが。
つまり何が言いたいのかというと、普段はまずい飯(もしくは普通の飯)を食っていて、欲求不満が貯まらない程度の間隔で美食を味わう美食家が一番幸せなのではないかな、と思ったということである。

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午後の紅茶special Sparkling Lemon

今までリプトンの独擅場だった炭酸入り紅茶の世界にキリンビバレッジが乗り込んできた。
と、思ったら、どうも昨年無糖の同じ名前の商品があったようだ。
しかしながら、今年のものは無糖ではなく、合成甘味料の不味い後味とも無縁だ。
リプトンのSparkleに比べるとレモンの風味が強く出ていて、午後の紅茶のレモンティーに炭酸が加わった感じと言ってしまうと実も蓋もないが、大まかにはそんな感じだ。もちろん、こちらの方がレモンの風味に切れがある。specialの名に恥じないというべきか。
甘みも抑えられていて、さすがに炭酸入りミネラルウォーターには敵わないものの、後味はすっきりとしていて飲んだら余計に喉が渇いた感じがするということもない。
リプトンはなぜかSparkleを夏限定にしていて、去年の冬にリンゴの風味を加えるといういらん事をした製品を出していたが、こういう優秀なライバルが出現したとなると、その地位(いや、炭酸入り紅茶を好んで飲む層というのはごくわずかなのだけれども)が脅かされること間違いない。
リプトンには是非とも壜ではなくてPETボトルの普通のSparkleを早期に発売して地位を守っていただきたいものである。

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木曜日, 7月 05, 2007

「うしろめたい」意識は趣味のスパイス

http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/58450db3a209cba94cb91c7aa4351d30
極論から極論へ振れすぎ。
これはおそらく(文中で揶揄されている)唐沢俊一も言っていることだと思うが、趣味というものはある程度うしろめたいものであり、そうであるからこそ魅力をいや増すものなのだ。
これが世間様が太鼓判で認めてくれるような公明正大で健康的な代物だったとしたら、とたんに面白みのないつまらないものに見えてしまうであろう(実際、世間様に認められるようになる過程において「漂白」されて面白みが抜けてしまう―例えば、アメリカの地上波放送テレビのように―ということもあるとは思うが)。
悪徳を悪徳であるがゆえに欲する。人間というものはそういう存在なのだと思う。それを卑下してみたところで何も得るものがないのは確かだが、そこから一気に「悪徳ではない」としてしまうのもおかしな話ではないか。そこに求められているのは、「悪徳大いに結構。ただし、節度は守ること」という態度なのではないか(そして大半のオタクは、自分が節度を守れていないと感じているのではないか)。
他人様に大きな迷惑がかからない限り、多少のうしろめたさを感じつつ趣味を楽しむ、これこそが充実した人生と呼ぶべきものだろう。

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表現者としての視点が欠けてはいないか

http://d.hatena.ne.jp/kagami/20070705#p1
最初に「検閲は正直どうでもいい」などと書いてある時点で、この人は創作者でも表現者でもないのだろうと判る。
確かにオタク趣味には金が掛かる。そして役人は阿呆なことで金を浪費しまくる。
しかしながら、平均的な感覚で評価したとして、オタクの金の使い方も役人の金の使い方も同様に見えるだろう。どちらも無駄遣いであることに変わりはないからだ。まぁこれは脇道。
閑話休題。
途中、貧困生活に喘いだ哲学者やライターのエピソードが引用されるが、彼らだって自らの文章のうち「自分が一番言いたいこと」を理不尽に曲げられてまで金を得たいと思っただろうか。私にはそうは思えない。
もし、東浩紀が極貧生活を送っていたとしても(そうすると、おそらくは文化庁から仕事など来はしないのだが)、今回のような扱いを受けたならば、やはり金は受け取らないだろう。受け取るようであれば、彼の言葉はたちまち力を失い、彼の肩書は単なる雑文書きに堕するであろう。
問題は金額の重みなどにはなくて、表現者としての矜持にあるのだ。

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水曜日, 7月 04, 2007

メタマテリアルは既に存在する

http://japanese.engadget.com/2007/07/02/darpa-laser-guided-bullets/
エキゾチック物質は確かにまだ存在も確認されていないが、メタマテリアルは研究室レベルですでに作成されている。
例えば、理研の以下のリリースを見よ。
http://www.riken.jp/lab/dri/discovery/jpn/press/press060119.html
というわけで、エキゾチック物質とメタマテリアルを同列に扱うのには非常に違和感を覚える。光学迷彩が実用化されるのとレーザー誘導弾丸が実用化されるのはどちらが先になるか(それとも実用化されないか)は判らないけれども。

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世界征服

http://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20070702/1183378445
バクテリアを征服するなんてたぶん無理。
征服対象のバクテリアを採取しておいて、一度地球を(地殻レベルの深度で大丈夫だろうか)完全に生命が存在できない環境に置き(全球凍結程度じゃダメなので注意)、その状態を1万年くらい維持してから限定的に採取しておいたバクテリアが生存できる環境を作り上げて、その環境中で培養するなんてことをすれば、征服したことになるのだろうか。この時、地球全体を元に戻してはいけない。それではバクテリアが環境全体に散ってしまって制御不能になる。それはともかくとして、そんなことして嬉しいのか?
やはり征服というのは、相手が社会的であることが前提なんではなかろうか。社会的ではない相手を自在に操ってなにがしかの利益を得ることを征服と呼んでいいのだろうか。
では日本人は納豆菌を征服している? ヤクルトやカルピスKKは乳酸菌を征服している?

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危機に陥っているのはアニメだけか?

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/999050.html
コメントでは「萌え」がどうこう言ってる奴が多いが、アニメが深夜帯に移る前(萌えとか言われ始めたのはさらにその後)に、ゴールデン帯でアニメを流しても視聴率が取れなくなっていたと記憶している。「ハウス名作劇場」の終了は、視聴率低迷が理由ではなかったか。
というわけで、氷川竜介の分析はそれなりに当を得ていると思うが、岡田斗司夫の発言はウケを狙ってるだけに見える。
その氷川竜介の分析も、アニメに限った話ではなくてTV番組全てに言えることではないのか。そういえば、音楽業界にも同じことが起きている。世代全体に認知される作品が存在しないのは、娯楽産業全てに存在する問題ではなかろうか。

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商業エロマンガの規制が強化されているらしい

http://fujimaki.air-nifty.com/mousou/2007/07/post_4247.html
松文館事件が上告棄却になって有罪(懲役ではなくて罰金刑だけど)が確定したので、警察利権の一つであるエロ出版のうち、法というよりは判例による根拠がなかったために、今まで多少緩かったエロマンガ分野の締め付けを厳しくして警察の恐ろしさを業界に知らしめ、よって利権の強化を図ろうとしているのではないか。
そのうちエロゲーも検挙→有罪コンボで警察利権に組み込まれるだろう。先に書店売り同人誌かもしれないが、こっちは下手に手をだしたら市場ごと消え去る可能性もある、という頭が働く奴が警察にいるかどうか掛かっているだろう。
(参考:http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2007/06/post_5641.html
実際のところがどうなっているのかは、現在執筆されている原稿が本になる来月か再来月にならなければ判らない(コンテ段階であればもっと先かもしれない)。それと、ワニマガジン社の本は確か自主規制がやたらと厳しいコンビニ流通だったと記憶しているし。
本当ならば、確かコミケット準備会の規制ラインは商業規制の一番厳しいところに合わせていると記憶しているので、夏コミは販売禁止サークル山盛りで、冬コミは大手が一斉に部数を絞って阿鼻叫喚の地獄が待ちうけるというメッセから追い出された直後の状況が再現されるのではなかろうか。

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東浩紀が文化庁に原稿を無断で検閲されたそうな

http://www.hirokiazuma.com/archives/000307.html
まーあれだ。文化庁なんていう場末の役所は「為にする」仕事しかしないということだ(そもそも現代日本人のうちどれだけの人間が、日本の文化を「積極的に金と手間をかけて」振興したいと考えているのか、非常に疑問な訳だが)。
もうちょっと高級な役人ならば、最低限、所属する役所が管轄する法律に反するようなことを仕事としては絶対にしないわけだが(もっと高級な役人ならば、日本に存在する法律には絶対違反しない仕事しかしない)、文化庁など、なにしろ場末もいいところだ。最低の人材の吹き溜まりと化しているのだろう。
もうこうなると、選挙のたびに「予算を削るべき役所」と「予算を増やすべき役所」を投票させてほしい。以前にも書いたが、国会でやってる予算審議に意味があるとは到底思えぬ(あれは野党が与党に嫌がらせをする機会を与えているだけだと思う)。今だと社会保険庁がぶっちぎりで1位なんだろうけど。

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火曜日, 7月 03, 2007

Safariβ3.0.2(その2)

7月になって新番組が始まったので、RD-XD92の録画予約の入力を試みたところ、キーから日本語が入力できないということが判る。
少しあせったが、裏で立ち上がっていたFirefoxのテキストフィールドに入力してCut&Pasteで入力できた。
βとはいえ、まだまだだねぇ。

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コカコーラZERO

私が見かける自動販売機では、モノクロの中に赤のドットを少しだけ散らすという、遠目で見ると非常に禍々しいポスターでアピールしているコカコーラの新製品。
あの珍妙なコーラペットボトルちょんまげ男のCMとか、どう考えても製品アピールに結びついているとは思えないのだが、まぁそれはいい。
あれだけアピールしているのだから、多少はこれまでと違う味がするのだろうと試しに買ってみたのだが、コカコーラLightとなんら変わらぬアスパルテームの後味しか印象に残らない。
並べて飲み比べたわけではないが、これ、本当に味が変わっているのだろうか?

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月曜日, 7月 02, 2007

回転運動は加速度運動である

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070701/1243270530

水の入ったバケツを振り回したときに、バケツから水がこぼれないのは、遠心力が生じるためですが、
もし、宇宙に自分とそのバケツしか存在しなければ、バケツが静止したまま自分と宇宙全体が回転しているのか、
それとも自分と宇宙が静止したまま、自分がバケツを振り回しているのかは、区別がつきません。

全体の論旨には特に意見はないが、この喩えはおかしい。
そもそも無重量状態で物を振り回すことが可能かどうかはさておいて、回転運動というのは加速度運動なので、重力場に置かれている状態との区別はできないけれども(おそらくはコリオリの力などで重力場にあるのではなく遠心力であることが判ると思うが)、加速度運動していない中心点と加速度運動をしているバケツが相対的に同等とは看做せない。
これは特殊相対性理論(等速直線運動している物体にのみ適用できる)ではなく、一般相対性理論(重力場中にあるか、加速度運動をしている物体にも適用できる)を使わないといけないシチュエーションだ。

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